第12話 妻が怒る理由
「まあ。旦那様ったら、なんてことをしてくれたのでしょう……!」
「いいのよ。アルフレッド様が起きたらきっと分かることだもの」
微睡みの中で、かすかに会話が聞こえてきた。
(頭が痛い……)
だんだんと覚醒してきた頭で、アルフレッドは何故こんなに身体が重いのか思考する。
そして、エドワードとの密談で赤ワインを十本ほど開けたことを思い出す。
エドワードの手前、理性を飛ばすようなことはなかった……はずだ。
しかし、新婚旅行だということで、シエラのことを聞かれて、ひたすらにシエラの可愛さについて語った気がする。
エドワードがアルフレッドの惚気に降参したところで解放された。
ここからが問題だ。
エドワードの部屋から客間まで使用人の案内で帰りつき、シエラの顔を見た瞬間に安心してアルコールがいっきに身体中を巡った。
それまで抑えていた理性も吹き飛んだ。
(シエラをベッドに押し倒して、そのあと……どうなった? 覚えていない)
先ほどのシエラと侍女メリーナのやり取りを思い出し、アルフレッドは焦る。
最悪だ。
酔いを覚まそうとしてくれたシエラを強引にベッドに連れて行くなど。
もしかしてそのままシエラの同意なく襲ってしまったのだろうか。
思い出そうとするが、何も思い出せない。
頭も痛く、喉がカラカラだ。
覚えていないが、とにかくシエラに謝らなければならない。
アルフレッドは腹を決めて起き上がる。
「……あ、おはようございます、アルフレッド様」
耳が良いシエラは、かすかな衣擦れの音でアルフレッドが起きたことに気づいたらしい。
いつものように明るい声だが、不自然にシエラの目線が揺れている。
そして、後ろに控えるメリーナからは責めるような視線が向けられている。
「あ、あぁ。おはよう」
罰が悪くて、ぎこちない挨拶となってしまう。
「アルフレッド様、どうぞ」
シエラが差し出したのは、水が入ったコップ。
「ありがとう、助かる」
「いえいえ、きっと必要だと思いましたので」
にっこりとシエラは微笑んでいるが、アルフレッドは罰が悪くてたまらない。
ぐいっと水を飲みほして、アルフレッドはシエラに頭を下げた。
「シエラ、昨日はすまなかった!」
「アルフレッド様、昨夜のことちゃんと覚えていますか?」
その問いにはっきりと答えられたらどんなに良かったか。
「昨日は、エドワード王子のところで、その、ワインをかなり飲んでしまった。部屋に帰ってから、シエラには迷惑を、かけてしまっただろう?」
「迷惑? 夫婦ですもの、迷惑だなんて思っていませんわ。でも、まさか、あんなことをしておいて、覚えていないなんて言いませんよね?」
シエラが言う「あんなこと」がどんなことなのか、アルフレッドはまったく思い出せない。
しかしきっとあのまま、シエラを欲望のままに抱いてしまったのかもしれない。
そうなれば、いくらシエラでもアルフレッドを嫌いになってしまうのではないか。
「……シエラ、二人だけで話がしたい」
アルフレッドはジリジリと追い詰められる心地になりながら、苦し紛れに口を動かす。
「えぇ、そうですわね。メリーナ、少し席を外してもらえるかしら?」
シエラの命に、メリーナは一礼して退室する。
「……シエラ、怒っているよな?」
「はあ。アルフレッド様は、ひどい夫ですわね」
「本当に、悪かった……」
再びアルフレッドはシエラに深く頭を下げた。
せっかくの新婚旅行なのに、シエラを幸せにするどころか怒らせている。
本当に自分は酷い夫だ。アルフレッドは眉間にしわを寄せた。
「謝らないでください。気にしないと言ったら嘘になりますけど、わたしはアルフレッド様の妻ですもの。でも……」
よほど言葉にしがたいことをアルフレッドはしてしまったのか、シエラが言い淀む。
「いくらでも罵倒してくれてもいい。妻を強引に襲うなど、本当に最低な夫だ。シエラ、あなたは私にもっと怒ってもいいんだ」
いつもシエラは、笑顔でアルフレッドの側にいてくれる。
春のようなあたたかな愛情で、包みこんでくれる。
シエラがいてくれるから、アルフレッドは未来に希望を見出せる。
そんなシエラを酒に溺れて傷つけてしまったのだとしたら。
自分の行動の責任は取らなければならない。
どんな罵倒も、非難も、すべて受ける覚悟だ。
「……せっかく、アルフレッド様と本当の意味で夫婦になれると思いましたのに、途中で寝るなんてあんまりです。わたし、ちゃんと覚悟を決めていたのですよ!」
真っ赤な顔をして、シエラが口を尖らせた。
予想もしなかった答えに、今度はアルフレッドが固まる。
「……それじゃあ、私はシエラを無理やり襲ったりは……?」
「ふふっ、してませんわ。アルフレッド様は寝落ちしたのですから」
悪戯が成功した子どものような無邪気な笑みを浮かべて、シエラが言った。
自分が彼女を襲っていないことが分かり、アルフレッドはいっきに脱力した。
「よかった……」
「もう、何も良くありませんわよ! わたしはアルフレッド様にすべてを捧げるつもりで」
「シエラ、そういうことを言わないでくれ。決意が揺らぐから」
「あら、そんなことを言って、この手はなんですの?」
無意識に、アルフレッドはシエラの手を引いて膝に座らせていた。
愛おしいぬくもりに触れて、心が安らぐ。
「シエラを愛しているからこそ、まだ駄目だ。それに、今はシエラのことだけを考えられる状況ではないから」
「……イザベラ王女様のことですね。わたしも、気になっていることがありますの」
「では、お互いの情報交換といこうか」
「えぇ。早く解決して、アルフレッド様には覚悟を決めてもらいますわ」
そう言って、シエラはアルフレッドの唇に軽いキスを落とした。
理性が負ける日は近いかもしれない。