第7話 王子王女との対面
エドワードにエスコートされて、イザベラが入場してくる。
兄妹ということもあり、二人とも美しい黒髪だった。
エドワードは健康的な肌の色をしており、煌びやかな白い正装に身を包み、にこやかに集まった人々を見つめている。
年齢はたしか二十四歳。鍛えられた身体と端正な顔立ちに、令嬢たちの黄色い悲鳴が聞こえた。
真面目で優しい王太子だとヴァンゼール王国にまでその人気は届いている。
一方のイザベラは長い前髪のせいであまり顔が見えない。
しかし背筋をすっと伸ばした立ち姿は美しかった。
開けた胸元に輝く深紅のルビーが白い肌によく映え、薔薇模様のドレスが背に流した美しい黒髪を引き立てる。
――お体はもう大丈夫なのかしら。
――先日も、あんなことがあったばかりなのに……。
イザベラの登場に、かすかに周囲がざわついた。
(あれが、イザベラ王女か……)
アルフレッドがイザベラをじっと見ていると、一瞬、赤い双眸と交差した。
その瞬間、アルフレッドの脳裏には自分を救おうとしてくれた、魔女グリエラの姿が浮かんだ。
――魔女殺しめ。
耳元で、そんな冷ややかな声が聞こえた気がした。
しかし、隣にいるシエラに変化はない。
耳が良い彼女に、この距離で聞こえないはずがない。
宮廷舞踏会が始まっても、アルフレッドの動悸は止まらなかった。
「……アルフレッド様、大丈夫ですか? エドワード王子とイザベラ王女がこちらへ来ています」
シエラに声をかけられ、アルフレッドはハッとする。
頭を切り替えなければ。
アルフレッドは王子と王女の前で跪いて、挨拶を述べる。隣ではシエラも一礼している。
「ヴァンゼール王国より参りました。アルフレッド・ベスキュレーと申します。こちらは私の妻のシエラです。エドワード王子殿下ならびにイザベラ王女殿下にお会いできて光栄でございます。どうぞ今後ともヴァンゼール王国と善き隣人でありますように……」
「ロナティア王国第一王子エドワードだ。ベスキュレー公爵は【包帯公爵】であると聞き及んでいたが、こんな美しい青年だったとは。いやはや、噂とは当てにならないものだ。そう思うだろう、イザベラ」
「……そうですわね」
明るいエドワードの声音に対し、イザベラの返しは淡々としていた。
たしかイザベラはシエラと同じ十八歳だが、王女として厳しく育てられたからなのか、近寄りがたい雰囲気がある。
「今回、ヴァンゼール王国へ宮廷舞踏会の招待状を出したのは他でもない。イザベラが貴国へ嫁ぐにあたって、不安がないように色々と教えてあげてほしいと思ったからだ。本当は婚約者であるクリストフ王子に来ていただこうと思っていたのだが、イザベラが是非【包帯公爵】に会ってみたいと言うのでな」
そう言って、エドワードはにっと笑う。彼から敵意はまったく感じない。
「お兄様。わたくし、少し人に酔ってしまったようですわ。もう休みます」
一方的にそう言い置いて、イザベラはくるりと踵を返す。
そして本当に会場から立ち去ってしまった。
「妹は人混みが苦手なんだ。でもここまで来たのは、ベスキュレー公爵に一目会ってみたかったからだろう。新婚旅行であることはザイラック陛下から聞いているが、どこかでイザベラと話をしてもらえないだろうか。その代わりといってはなんだが、我が国の観光地を紹介しよう」
疑惑のイザベラと直接話ができる機会を、エドワード側から提示してくれた。
ここで引き下がる手はない。
「こちらこそ、ヴァンゼール王国の魅力をイザベラ王女殿下にお伝えできる機会をいただけることに感謝いたします」
アルフレッドが了承すると、エドワードは安心したように笑った。
そして、そっとアルフレッドにだけ聞こえるように囁く。
「ザイラック陛下が何を危惧しているのか、僕も分からない訳ではない。ベスキュレー公爵とは後で二人だけで話をしたいと思っている。どうかな?」
ヴァンゼール王国についての不穏な噂。
婚約破棄の真偽。
友好国としての繋がりの継続。
それらの問題についてアルフレッドが調べに来ていることは、エドワードにとっては簡単に分かることなのだろう。
(当然、か。王太子が自国の噂話がどこまで広がっているのか知らないはずもない)
それも、内容が内容なだけに。
「分かりました、是非、こちらからお伺いさせていただきます」
今夜はシエラにたくさんの愛を囁いて眠ろうと思っていたが、お預けのようだ。
「それにしても、驚いた。ベスキュレー公爵の嫁が【盲目の歌姫】だったとは。僕が王太子に任命された時の夜会以来かな? 君の美しい歌声は忘れられないよ。また是非聴かせてほしいな」
「そう言っていただけて嬉しいですわ。愛しい旦那様の許可が下りましたら、披露させていただきますね」
「さすが、新婚だけあってお熱いな。二人の幸せな思い出がこのロナティアの地で作られることを祈っているよ。それでは、今夜は楽しんでいってくれ」
エドワードはそう言って微笑み、他の招待客のもとへ挨拶に回っていた。
(あぁ、私は一生シエラに勝てる気がしないな)
王太子相手にも、シエラはアルフレッドを立ててくれる。
ちょっと昔の知り合いが現れたからといってすぐに拗ねる心の狭い自分とは違う。
だが、シエラの夫は他の誰でもないアルフレッドだ。
シエラに相応しい男でありたいと強く思う。
「シエラ、私と一曲踊っていただけませんか」
愛しい妻に、アルフレッドは跪いて手を差し出す。
頬を桃色に染めて、シエラはアルフレッドの手を取った。
広間には、柔らかなワルツが流れている。
皆が踊っている広間の中心までシエラをエスコートしている時、演奏している楽団にモーリッツの姿が見えた。
モーリッツはこちらを睨むように見つめながらも、手元は正確にヴァイオリンを弾いていた。
ゆったりとした三拍子のリズムに合わせて、二人で踊る。
こんな風にシエラと踊ることに、最近になってようやく慣れてきた。
それも、ベスキュレー公爵家の屋敷で音楽会や夜会を開こうとシエラが提案してくれているからだ。
「やっぱり、モーリッツのヴァイオリンは本人の性格とは違って繊細で柔らかな音色だわ」
アルフレッドが気づいた時に、シエラも気づいたようだった。
と言っても、シエラの場合、演奏が始まった時からモーリッツの音色を聴き分けていたのだろう。
「シエラ、私とのダンスの際中に他の男の名を出すのはどうかと思う」
「あっ、申し訳ございません! ……もしかして、妬いているのですか?」
くすっと嬉しそうに笑われて、アルフレッドは眉間にしわを寄せた。
少しだけ強引なターンで攻め、ふらついたシエラを抱き寄せる。
「きゃっ」
「私の心をこんなに乱すなんて、悪い妻だな」
ぎゅっと抱きしめたまま、音楽に合わせて身体を揺らす。
アルフレッドの心臓はどくんどくんと忙しなく動いている。
その鼓動に耳を澄ませるようにシエラが胸に身体を預け、ぽつりとつぶやく。
「アルフレッド様こそ、悪い旦那様ですわ。せっかくあなたを手に入れたのですもの。わたしが手放すはずないじゃありませんか」
きゅっとアルフレッドにしがみつく手に、胸の内が熱くなる。
(そういえば、私との結婚を望んで強引に押し掛けてきたのはシエラの方だったな)
十年越しの初恋を胸に、恐ろしい噂の絶えない【包帯公爵】に嫁いできた。
それだけの愛情をアルフレッドに向けてくれているのに、何を不安に思うことがあるだろう。
「愛してるよ、シエラ」
シエラが好きだと言ってくれる低い声で愛を囁く。
「わたしも、愛していますわ」
周囲にピンク色の幸せオーラをまき散らしながら、ベスキュレー公爵夫妻はダンスを終えた。
その様子を見ていたモーリッツが悔し気に顔を歪めたことも、会場を去ったはずのイザベラが影から冷ややかな視線を向けていたことにも気づかずに。