第31話 王女の覚悟
――ねぇ、ベラは好きな人はいないの?
親友からの問いに、恋を知らなかった前世の自分はなんと答えたのだろう。
「イザベラ王女、大丈夫か?」
クリストフの声に、イザベラはハッとする。
アルフレッドたちがついに慰霊碑を完成させたと連絡があったため、クリストフとともに“呪われし森”へと向かっていたのだ。
クリストフの馬に一緒に乗って。
(やっぱり、是が非でも歩いていくべきだったわ)
イザベラは何度目か分からない後悔を心の内で叫ぶ。
王族を護衛する騎士たちも皆呪いを受けて眠っているので、森までは自分たちで向かうしかない。
乗馬は王族のたしなみとして挑戦したことはあるが、イザベラには向いていなかった。
移動手段に悩むイザベラに、クリストフは当然のように自分の馬に乗ればいいと提案してきたのだ。
背に腹は代えられず承諾したものの、クリストフに抱きしめられるようにして馬に乗っているのは落ち着かない。
「わ、わたくしのことはお気になさらず、先を急いでくださいませ」
クリストフは、イザベラへの負担を考えてか馬のスピードを明らかに落としていた。
このままではアルフレッドたちの到着よりも遅れてしまうのではないだろうか。
そう思ったのだが。
「“呪われし森”の側でアルたちの到着を待つのは危険だろう。急ぐ必要はない」
クリストフはスピードを速めるつもりはないようだった。
たしかに慰霊碑の重量を考えれば、アルフレッドたちは通常よりも歩みが遅くなるはずだ。
その間、ずっと呪いの元凶である場所で彼らの到着を待ち続けるのは危険かもしれない。
それに、ヴァンゼール王家の刺繍があるとはいえ、クリストフは無防備だ。
無理に急いでいく必要はない。
そのことに納得はしたものの、イザベラの精神的な負担は大きい。
(――つまり、ずっとこの距離でクリストフ殿下と一緒ということ!?)
手綱を握っているのはクリストフだ。
イザベラがつかまる場所はひとつしかない。
「イザベラ王女、揺れると危ないからしっかりつかまって」
「え、えぇ」
いっそ落としてくれと思いながらも、イザベラはクリストフにつかまった。
ここで自分が計画から外れては意味がないからだ。
(早く到着してほしいわ)
イザベラを囲うように手綱を握っている彼に、自分から抱きついている。
こんな体勢で長時間いるなんて耐えられない。
主に、イザベラの心臓が。
ドキドキと脈打つ鼓動をクリストフに聞かれているのではないかと思うと、恥ずかしくてたまらなかった。
どんなに冷たい態度や言葉をぶつけても変わることのない彼の優しさに、どんどん惹かれているなんて気づかれてはいけない。
前世で親友の恋路を邪魔して絶望させた自分は、恋に悩むことすら許されないのだ。
それに、もう彼を自分のせいで傷つけたくはない。
イザベラはぎゅっと拳を握った。
「やはり、森へ近づくほど暗くなってくるな」
森の上空は暗雲に覆われ、昼間だというのに周囲も暗くなっていく。
クリストフはその様子を深刻な表情で見つめていた。
――我らと同じように、苦しみを。
――永遠の眠りに。
――人間を許すな。王国の滅亡を。
「魔女たちの声も、かなり聞こえるようになりましたわ」
「そうか。イザベラ王女は魔女の声が聞こえるんだな。大丈夫か?」
「……えぇ」
こんな時でも、クリストフは真っ先にイザベラを心配する。
彼が優しすぎて、イザベラはかえって罪悪感を覚えてしまう。
イザベラも、前世の記憶を思い出してからずっと、魔女を封じたヴァンゼール王国を恨んでいたから。
前世の後悔や憎しみをぶつける相手がヴァンゼール王国しかなかった。
クリストフとの結婚を回避し、ヴァンゼール王国を滅ぼそうとしていた。
結果としてクリストフとの婚姻は解消されたが、イザベラがしようとしていたことは許されることではない。
その罪を償うために、こんなにもイザベラに相応しい役目はないだろう。
「クリストフ殿下、わたくしにチャンスをくれてありがとうございます」
前世の命を終えたあの森で、やるべきことがある。
今世の命はきっと、そのために与えられたものだから。
(必ず、この計画は成功させてみせる)
前世のベラと、同胞のために。
ヴァンゼール王国のために。
この国の未来を背負うクリストフのために。
魔女が残した呪いを解き、ヴァンゼール王国に平穏を取り戻す。
「礼を言うのは俺の方だ。一緒に来てくれてありがとう。皆で協力して、無事に戻ろう」
「そうですわね」
今のイザベラは一人ではない。
シエラやアルフレッド、クリストフがいてくれる。
だからきっと、大丈夫。
イザベラは強く頷いた。