第20話 異変
ベスキュレー家の音楽ホールに、美しい歌声が響いていた。
(アルフレッド様たちの作業が今日も無事に進みますように)
歌うシエラの心には、いつもアルフレッドのことばかりだ。
差し入れをする時に聞く限り、計画通り進んでいるという。
このまま事故もトラブルもなく続くよう、シエラは祈りを歌に込める。
王都からリーベルトへ帰ってきて、約一ヶ月。
最近は忙しいアルフレッドの代わりに公爵家の仕事も公爵夫人としてシエラが行っていた。公爵家に届いた手紙や帳簿の確認、書類の仕分けなど、ゴードンに助けてもらいながらなんとかこなしている。
そうした作業が終われば、シエラは音楽ホールへと足を運び、歌の練習をする。
父の教えを忘れないよう、シエラは毎日歌の練習を続けている。
この場所で歌うことが、息をするように当たり前になっていた。
このリーベルトが、アルフレッドの傍が、シエラの帰る場所だから、こんなにも心地よく歌えるのだろう。
幸せを感じながらシエラが次のフレーズを紡ごうとした時。
――ゴゴゴゴゴゴゴ。
数秒間、低い唸り声のような地響きが続いた。
頭上のシャンデリアがガシャンと音を立てたが、落ちてくることはなく、ホッと息を吐く。
「奥様、ご無事ですか?」
揺れがおさまったところで、慌てた様子でメリーナが駆け込んできた。
「えぇ。メリーナも大丈夫?」
「はい」
屋敷内にいたゴードンや他の使用人たちも無事だと聞いて、シエラはひとまず安堵する。
「アルフレッド様たちが心配だわ」
あの作業場には、様々な工具や道具がある。
アルフレッドや職人たちが怪我をしていないか心配だ。
シエラはメリーナとともに作業場へと向かった。
***
急いで馬車で向かう途中、街の様子も確認したが、大きな被害はなさそうだった。
さすがベスキュレー家が設計した街だ。
元々の地盤も関係しているだろうが、地震に強い建物が多い。
それは公爵夫人としてベスキュレー家のことを学んでいく上で知ったことだ。
「アルフレッド様!」
作業場に到着してすぐ、シエラはアルフレッドの姿を見つけた。
「シエラ! 無事か?」
「はい! アルフレッド様も、お怪我はありませんか?」
パッと見て、アルフレッドに外傷はなさそうだ。
しかし、隠している可能性もある。
じっとシエラが見つめて問うと、アルフレッドは苦笑をこぼしながら頷いた。
「あぁ、私は大丈夫だ。これからシエラの無事を確認しに戻るところだったが……」
「ふふ、私の方が早かったみたいですね」
工場には多くの職人たちがいて、制作中の石碑があるのだ。
すぐにこの場を離れることができなかったことは容易に察せられる。
シエラがにっこり笑うと、アルフレッドにぎゅっと抱きしめられた。
「無事でよかった」
耳元で囁かれた安堵の声に、シエラも強く抱きしめ返す。
本当は、人生初めての地震を経験して、怖くてたまらなかった。
ヴァンゼール王国は、女神の加護に守られている国。
これまで地震が起きたことはなかった。
「先ほどの地震、やはり魔女の呪いが関係しているのでしょうか……?」
「おそらく……もうあまり時間は残されていないのかもしれないな」
そう言って、アルフレッドは抱擁を解いた。
"呪われし森"を囲う女神の加護の力が弱っていることは知っていたはずなのに、何も分かっていなかった。
こうして恐怖を体感しなければ、恐ろしいことが起きるのはまだ先だと心のどこかで思っていたかもしれない。
しかし、魔女たちの数百年前からの呪いは慰霊碑の制作を待ってはくれない。
怨念が望むのは、宿敵となるヴァンゼール王家の滅亡だろうか。
想像するだけで怖くて、シエラはぶるりと震えた。
「顔を見せてくれてありがとう。シエラは皆と屋敷に戻っていてくれ。地震がまた起きたとしても、あそこなら安心だ」
不安や恐怖が表情に出てしまっていたのだろう。
アルフレッドは安心させるように笑って、後ろに控えていたメリーナに目配せをする。
「アルフレッド様は……?」
「私はリーベルトの様子を見てくる」
「それなら、私も行きます!」
きっと、皆が不安になっているはずだ。
領主夫妻が揃って顔を出せば、少しは安心してもらえるかもしれない。
(わたしは、アルフレッド様がいてくれたら、もう何も怖くないもの)
真っ直ぐに虹色の瞳でアルフレッドを見つめれば、愛しい人は観念したように頷いた。




