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包帯公爵の結婚事情  作者: 奏 舞音
結婚式編

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第3話 気がかりだったこと


 濃厚な薔薇の香りが、部屋には漂っていた。

 美しい赤やピンクの薔薇は、花弁の形や咲き方が違い、それぞれ魅力的な顔を見せている。


「甘くて、上品な香りがしますね」


 花瓶に活けられた薔薇たちは、互いに主張しすぎず、うまく調和がとれている。

 その上、香りもとてもいい。

 シエラはうっとりと、薔薇に顔を寄せる。


「イザベラ様は本当に薔薇がお好きなのですね」

「薔薇は好きだけれど、さすがに他国に来てまで自分ではこんなに用意しないわ」


 ふっと表情を緩めて、イザベラが言った。

 その赤い瞳は今、心の内で誰を見つめているのか。


「じゃあ……もしかして、これ全部クリストフ殿下からの贈り物ですか?」

「えぇ」

「まぁ、素敵ですね!」


 両手を合わせて、シエラは笑みを浮かべる。

 クリストフが元婚約者であるイザベラのことを大切に思っていることが分かって、とても嬉しい。


「でも……毎日使用人に届けさせるものだから、そろそろ置き場に困ってしまうわ」


 と言いながらも、イザベラもまんざらではなさそうである。

 シエラはにこにこと頬を赤く染めるイザベラを見つめた。

 あんまりにも見つめすぎたせいで、照れたイザベラにふいと顔を背けられてしまった。


(でも、もうお二人は婚約者ではないのよね……)


 イザベラは、クリストフとの――いや、ヴァンゼール王国王族との結婚を拒んでいた。

 しかし、クリストフと一緒にいるイザベラは、彼のことを憎からず思っているように見えるのだ。

 二人はお互いのことをどう思っているのだろう。

 そんなことを考えている間に、イザベラは応接スペースへと歩いて行く。


「それで、今日は何か用事があったのではないの?」


 椅子に座るように促され、シエラはイザベラの向かい側に座った。

 王城の侍女たちが紅茶を淹れてくれる。

 その流れるような給仕に、シエラも見習いたいと心の内で思う。

 作業をしているアルフレッドのために、最近は紅茶やハーブティーを美味しく淹れる練習をしているのだ。

 茶葉の量を間違えたりして苦くなっても、アルフレッドは美味しいと言って飲んでくれる。

 それどころか、シエラの甘さで苦味なんて感じない――とまで。


「シエラさん?」


 名を呼ばれ、ハッとする。

 アルフレッドとのあれこれを思い出して、意識を持っていかれていた。

 シエラは居住まいをただし、口を開く。


「今日は、イザベラ様に先日の音楽会に来てくださったお礼を言いたくて来ました」

「それを言うなら、わたくしこそ、素敵な音楽会に招待してくださったことのお礼を言わせて。本当にありがとう」


 優雅に微笑むイザベラの姿に、シエラは不覚にもドキっとしてしまった。

 しかし、イザベラに頭を下げられて、シエラは慌てて両手を振った。


「いえいえっ! お礼なんて必要ありませんから! 顔を上げてください!」

「あの時はちょっと特殊な状況だったし、まともに挨拶もできなかったから、そのお詫びもしたいと思っていたのよ」

「謝るのならわたしの方です! イザベラ様に来ていただきたいと思って、イザベラ様の状況や都合を考慮できなかったこと、申し訳ありませんでした」


 あの音楽会の日、イザベラはクリストフの従者として参加していた。

 イザベラは、クリストフとの婚約を解消したばかり。

 招待客のほとんどがベスキュレー家の元職人たちで、親交のあった貴族にも悪い噂を広めるような人はいない。

 それでも、どんな形で情報が他者に伝わるか分からない。

 だからこその行動だったのだと今なら分かる。

 シエラとアルフレッドの方でも、座席や歓談スペースの案内は対策を考えていたが、まさかクリストフと共に、従者に扮して参加するとは思ってもいなかった。


「ふふ。その気持ちが嬉しかったのよ。それに、あれはわたくしがやりたくてやったことだから、気にしないで。おかげで殿下の面白い表情も見られたし、楽しかったわ」

「たしかに、あんなに人前で余裕のない殿下は初めて見た気がします」

「そうでしょう?」


 従者の装いを目にした時のクリストフの驚きようや、従者に扮しているのにエスコートのために手を伸ばされたこと、後ろに控えているイザベラのことをずっと気にしていたこと。

 クリストフのことを話しながら、イザベラは楽しそうに微笑む。


「でもまさか殿下の隣に座ることになるとは思わなかったから、わたくしも少し緊張してしまったけれどね」

「わたしも、客席にお二人が並んでいるのが見えて、びっくりしました」

「あら、あんなに大勢いたのに、気づいていたの?」

「もちろんです! だって、皆さんに感謝の気持ちを伝えたくて歌っていましたから」


 あの日、招待した一人ひとりの顔を見て、想いを歌に乗せていた。

 シエラの歌が、クルフェルト家の音楽が、皆に幸せを届けられますように。

 いつも願うのは大切な人たちの幸せだ。

 盲目だった頃は、どんな風に聞いてくれているのか、想像するしかなかった。

 でも今は、自分の目で見ることができる。

 自分の目で大切な人たちの表情が見えるようになったのは、アルフレッドのおかげ。

 だから、イザベラやクリストフがいたことも、ちゃんと見えていた。

 ――イザベラが涙を流していたことも。


「それで、あの、イザベラ様。わたしの歌で、何か……」


 女神の祝福が、人々に幸せな思い出を見せていた。

 感動して涙を流してくれる人たちは他にもいた。

 けれど、どうしてもイザベラのことだけは気になっていたのだ。

 イザベラの中にある記憶には、前世のものも含まれるから。


「心配しないで。ずっと忘れていた、幸せな思い出だったから。思い出せてよかったの。だから、ありがとう」


 どこか遠くを見るような目で、イザベラはにこりと笑った。

 そこに悲しみは感じられず、シエラもほっと息をつく。


「少しでもイザベラ様が幸せな気持ちになれたのなら、よかったです」

「ぜひまた、シエラさんの歌を聴かせてね」

「はいっ! もちろんです!」


 たくさんの幸せで胸がいっぱいになるように。

 悲しいこともあるけれど、幸せだって必ず側にあるはずだから。

 シエラはイザベラの言葉に強く頷いた。


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