第43話 焦燥と疑惑
「奥様、例の件でお返事がきておりますわ」
メリーナが一通の手紙をシエラに渡す。
シエラは緊張しながらその手紙に目を通した。
「…………」
「どうでしたか?」
心配そうなメリーナの問いかけに、シエラは一度深呼吸して、「了承してくれたわ!」と笑顔を向ける。
「よかったですね!」
「えぇ、本当に! でも、まだあと少しね。アルフレッド様も頑張っているのだもの、わたしにやれることはなんでもしなくちゃ!」
うまくいくかは分からないから、アルフレッドには内緒で進めていた、とある計画。
もうすぐアルフレッドにも良い報告ができるだろう。
と言っても、最近のアルフレッドは忙しすぎてシエラとゆっくり話す暇もない。
第一王子の側近と公爵としての仕事をこなしている上、女神の加護を得るために作業場にこもっているためだ。
シエラが話したいと言えば、時間を作ってくれることは分かっている。
しかし、アルフレッドの仕事の邪魔はしたくないのだ。
耳のこともある。無理をして体を壊さないかだけが心配だった。
アルフレッドのことを思うと、胸がきゅっと切なく疼く。
会いたい。寂しい。口に出せない思いでいっぱいになる。
「シエラ、もう練習の時間よ?」
いつの間にか父との歌の練習の時間になっていた。
なかなか来ないシエラをベルリアが迎えに来てくれたらしい。
ザイラックに呪いを解く計画は止められたけれど、クルフェルト家での歌のレッスンは続けている。
シエラたちが諦めていないことはザイラックも知っているだろう。
「ごめんなさい。今行くわ!」
「ねぇ。その手紙のこと、公爵様は知っているの?」
慌てて手紙を机に置いたシエラを見て、ベルリアが心配そうに問う。
姉と一緒に練習室へ向かいながら、シエラは首を横に振る。
「まだアルフレッド様には言えないの。うまくいくか分からないから……」
「シエラ。この前言ったでしょう? 自分の気持ちを話すことが大切だって。こちらが相手のためを想ってやっていることが、本当にその人のためになることかどうかは分からないのよ」
「分かっているわ。でも……」
アルフレッドはきっと、シエラの助けは必要ないと言うのだろう。
自分の力で成し遂げなければ意味がないと思っているようだから。
それでも、彼の助けになりたいとシエラが勝手に動いている。
「分かっているのなら、早く話した方がいいわ。あなたも、公爵様に隠し事をされていい気はしないでしょう?」
姉の言葉に頷きながらも、シエラはまだ言うつもりはなかった。
(女神の加護を求めることが、アルフレッド様にとって心の傷に触れることだったように、きっと今わたしがしていることも……)
成功すると確信が持てなければ、アルフレッドをいたずらに傷つけてしまうだけだ。
どうか上手くいきますように。そう願わずにはいられない。
しかし、姉からの言葉が頭から離れず、この日の歌の練習には身が入らなかった。
***
「……シエラ」
「はい。アルフレッド様」
「その……私に何か……いや、なんでもない」
「アルフレッド様?」
愛しい妻と数日ぶりに一緒にとる朝食。
美味しいはずなのに、味が分からない。
眉間にしわを寄せ、険しい表情をしていることにシエラが気づかないはずがなかった。
「アルフレッド様、何かあったのですか?」
心配そうに、シエラの虹色の瞳がアルフレッドを見つめる。
これはいい機会かもしれない。そう思い、アルフレッドは逆に問い返す。
「……いや、シエラこそ、何か私に話したいことはないか? 最近、忙しくてあまりゆっくり話せなかったから」
「わたしは、アルフレッド様が無理をしていないかが心配です。最近は寝室にもあまり帰って来ていないようですし、きちんと眠れていますか?」
「あ、あぁ。だが、私は鍛えているし、多少眠らずとも問題はない」
「ちゃんと寝てください!」
前のめりになってアルフレッドに注意するシエラが可愛くて、思わず笑みをこぼす。
こんなにも本気でアルフレッドの心配をしてくれるシエラが、裏切るはずがない。
「分かった。シエラの方は変わりないか?」
「はい。今日も、父のところへ歌の練習に行く予定です……あっ、アルフレッド様。今度、この別邸で音楽会を開いてもいいでしょうか? やはり実践練習の方が感覚を取り戻すのに最適だろうと父に言われていて……」
「分かった。音楽会を開催できるように手配しよう。まだ王都に来て一度も夜会を催していなかったから、ちょうどいい」
それというのも、領地リーベルトから出る気がなかったアルフレッドをクリストフが側近に任命したり、“呪われし森”の呪いで色々あったせいなのだが。
【包帯公爵】の悪い噂を信じている者や敵対視する者もいるため、積極的に交流するつもりはないが、シエラの美しい歌声を閉じ込めておきたいとは思わない。
(今まで通り、私が気をつけていればいいだけだしな。それに――)
アルフレッドがクリストフの側近になって、約半月が過ぎた。
様子見していた貴族たちも、そろそろアルフレッドとの接し方をどうするか判断している頃合いだろう。
今、アルフレッドが持っている情報はすべて密偵として得たものと、側近としての仕事で関わって得たものだけだ。
元の体に戻って夜会に参加することもあったが、やはり皆警戒して近づいてはこなかった。
自分にとって、相手がどういう人物なのか。
それは実際に接してみなければ分からない。
誰かにとっては善人で、誰かにとっては悪人なんてことは珍しい話ではない。
だから、陰から情報を仕入れるのではなく、アルフレッド・ベスキュレーとして正面から貴族たちと向き合おう。
ベスキュレー公爵として。クリストフの側近として。
これから必要になってくる人脈をアルフレッドも構築していかなければならない。
そんな決意とともにシエラに答えれば、その虹色の瞳がきらめいた。
「本当ですか!? 嬉しいです! でも……」
ぱあっと輝いたシエラの表情が、一瞬で陰る。
その理由に思い至り、アルフレッドは気にするなと笑う。
「音が拾えずとも、シエラの歌う姿を見たいんだ。私も、これからは領地に引きこもっている訳にはいかないしな。それに、今回は事故のようなものだったし、突然呪いが解けることもあるかもしれないだろう?」
「そうですよね! もしかしたら、父やクルフェルト楽団と一緒なら、わたしの歌で奇跡を起こすこともできるかもしれませんもの! わたし、アルフレッド様に素敵な歌を届けられるよう頑張りますわ!」
「あぁ、ありがとう。でも、無理だけはしないでくれ」
「ふふ。それはアルフレッド様も同じですわ」
「そうだったな。では、お互い無理をしないよう頑張るとしよう」
「はいっ!」
久々の夫婦の朝食は、そうして何事もなく終わった。
しかし、アルフレッドの内心は焦燥感でいっぱいだった。
(……私が不甲斐ないせいで、何も話してくれないのか?)
王宮内の彫刻の数々や王都の装飾や建築物の設計、道の整備まで、歴代のベスキュレー公爵家の者が手掛け、女神の加護を受けたとされる依頼はすべて受けた。
しかし、いまだに女神の微笑みは得られない。
焦れば焦るほど、女神の求める芸術とは離れていくのだろう。
分かっているのに、ではどうすればいいのかなど分からない。
それに、こうして話す時間を作ってもシエラは何も話してくれなかった。
シエラから話してくれるのを待つ。
そう決めたが、待つことがこんなにも苦しいなんて思わなかった。
オリバーに確認したところ、時々シエラは屋敷の外で誰かに会っているらしい。
クルフェルト伯爵家とは別の方向から、馬車が帰ってくることが何度かあったのだとか。
そして、その外出にはメリーナも同行している。
秘密の共有者であるから、当然だろう。
(シエラに限って、浮気なんてあり得ないが……)
一体、誰に会いに行っているのだろう。
アルフレッドに秘密にしているくらいだ。
直接聞いたところで教えてもらえるかどうか分からない。
それに、シエラに嘘を吐かれることを想像しただけで、胸が痛い。
だから、聞きたいのに聞けない。
(もしかしたら、シエラはその誰かに脅されているのでは?)
そうでなければ、シエラがアルフレッドに秘密を抱えるはずがない。
包帯公爵の妻であるが故に何者かに脅されているのだとすれば、アルフレッドにも責任がある。
今はまだ危害を加えられていないようだが、シエラが危険な目に遭う前に、なんとかしなければ!
と、アルフレッドはシエラの身辺を調査する口実を自ら作り出した。




