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包帯公爵の結婚事情  作者: 奏 舞音
女神の加護編

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第35話 もう一度、きっと

「突発的な難聴でしょうね。しかし、徐々に音が聞こえなくなるのではなく、突然発症するのは珍しいケースです。耳に強い衝撃を受けたのだとすれば、鼓膜が傷ついているはずですが、そうではないようですし……」


 一通りの診察を終え、医務官は難しい顔で原因が分からないと頭を悩ませていた。

 原因は分かりきっている。

 “呪われし森”の魔女の呪いだ。

 呪いを治療できるはずないのだから、医務官の診察なんて必要なかったのに。

 クリストフも余計なことをしてくれたものだ。

 目の前で、医務官の説明を真剣な表情で聞いているシエラを見つめながら、アルフレッドは内心でため息を吐く。


(シエラには私から、ちゃんと説明しようと思っていたのに……)


 他人の目があるところで呪いの話なんてできないから、さっさとベスキュレー家に帰って話をしようと思っていたのだ。

 けっして、シエラへのうまい説明が思いつかなかったから時間を稼ごうとした訳ではない。

 結局、他人の口から伝えられるという最悪な状況になってしまった。

 医務官よりも頭を抱えたいのは自分の方だ。

 シエラに、妻を騙そうとしていた夫だと誤解されたくない。

 早くシエラと二人で話がしたくて、アルフレッドは医務官の話を遮るように声をかけた。


「あとは私から妻に話します」

「わかりました」


 医務官は一礼して、部屋を退室する。

 ここは、クリストフが診察用に貸してくれた客間だ。

 そして、アルフレッドは大袈裟にもベッドに寝かされていた。

 特に大きな外傷はないというのに。

 アルフレッドはさっさとベッドから降りて、シエラの隣に腰かける。


「ゆっくりであれば、アルフレッド様は話していることが唇の動きで分かるのだと伺いました。このくらいの速さで大丈夫ですか?」


 シエラはゆっくりと、慎重に、アルフレッドに唇の動きがよく見えるように喋ってくれる。


「あぁ。だが、いつも通り喋ってくれて問題ない。陛下の密命をこなすために、読唇術は必須だったからな」


 自分の声が聞こえないから、うまく言葉にできているか少し不安だ。

 今までどんな風に喋っていたか。

 記憶の中の声を頼りに、アルフレッドは声を発する。


「そうなのですね。さすがアルフレッド様ですわ」


 にっこりと笑みを浮かべているが、シエラの目元は泣き腫らしていて赤くなっている。

 泣かせたいとも、泣いて欲しいとも思っていないのに、シエラが自分のために涙を流したのだと思うと、どうしても胸が熱くなってしまう。


「シエラ。心配をかけてすまない」

「心配なら毎日していますから、今更ですわ。それよりも、本当に無事に帰ってきてくださってありがとうございます」

「そうか。それなら、ただいまと言うべきだろうか」

「はい! おかえりなさい、アルフレッド様」


 優しく微笑むシエラに、あたたかな気持ちになる。

 と同時に、いつも自分を呼んでくれていた愛しい声が聞こえないことに、どうしようもない寂しさを覚えた。


「聴覚を失っても意思の疎通に問題がなければ大丈夫だと思っていたが、シエラの可愛い声が聞こえないのは辛いものだな……」


 思わず漏らした言葉に、シエラは大きな目を見開いた。

 一瞬、その瞳が潤んだように見えたが、すぐにシエラはにっこりと笑ってみせる。


「きっと、大丈夫ですわ。わたしたちの愛は、何度だって奇跡を起こせます。だって、毎日アルフレッド様のことを好きになっているのですもの」


 妻が健気で、可愛すぎて困る。

 愛おしさが募り、アルフレッドは思わずシエラを抱きしめていた。

 その口元が見えなければ、彼女の言葉を理解することもできないのに、本能には逆らえない。


「私も、毎日シエラを愛している」


 シエラの耳元で愛を囁けば、少しだけ彼女の体がふにゃりと緩んだ。

 聴覚を失っていても、自分の声で彼女はときめいてくれるらしい。

 シエラの吐息が、ぬくもりとして胸元に届く。

 彼女も愛していると返してくれたのだろうか。

 それとも、恥ずかしがっているのだろうか。

 あぁ、もう一度、シエラの声が聞きたい。

 そのために、女神の加護が必要だというのなら。


「シエラ、もう一度二人で奇跡を起こそう」


 アルフレッドの言葉に、シエラは腕の中で大きく頷いてくれた。

 シエラの顔が見たくなって、抱きしめていた腕をほどく。

 名を呼ぶと、耳まで真っ赤に染めたシエラがアルフレッドを見上げた。

 その瞳はまっすぐにアルフレッドへの愛を伝えていた。

 言葉で、態度で、シエラはいつもアルフレッドを好きだと全力で伝えてくれる。

 素直で優しいシエラの愛は眩しくて、暗闇に落ちそうになるアルフレッドの心を照らしてくれる。

 諦めようとしていた心を動かしてくれるのは、いつもシエラだ。


「シエラ」


 ――愛している。


 互いに引き寄せられるように唇が重なった。

 ついばむように触れ合うだけのキスは、次第に角度を変えて深くなり、互いの吐息が混ざり合う。

 無音の世界では、シエラとのキスの感触だけがやけに鮮明に感じられる。

 愛の言葉が聞こえない代わりに、その唇から直接愛をもらう。

 深く重なるキスの合間に、何度も何度も愛を伝えて、互いの温もりを分け合って。

 シエラのこと以外、何も考えられなくなる。


(あぁ、早く結婚式を挙げたい……)


 ヴァゼル大聖堂の予約が取れたのは一年後。

 それでも早い方なのだが、アルフレッドの理性が持つか心配だった。

 深いキスを一度しただけで、危うく逃げられてしまうところだったのだ。

 もし、段階を踏まずに欲望のままに一線を越えてしまったら……?

 シエラを怯えさせたくない。

 幸せだけを彼女には捧げたい。

 世界一幸せな花嫁にすると誓ったから。

 だから、ここでキスに溺れて手を出すような男にはなってはいけない!

 アルフレッドはなんとか理性を引き戻し、シエラの唇から離れる。


「一度、屋敷に帰ってゆっくり今後の話をしようか」

「……はい」


 頬を上気させ、虹色の瞳がとろんとしているシエラを前に、もう一度口づけたい衝動に駆られたが、必死に耐える。

 そして、理性を総動員し、無事にベスキュレー家へ到着した時には、“呪われし森”から帰った時よりもどっと疲労感が押し寄せていた。

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