第34話 心配だからこそ
王城に到着し、一刻も早くアルフレッドのもとへ向かいたかったシエラは、御者が開くのを待たずに馬車から飛び出そうとした。
しかし、慌てていたせいでドレスの裾を踏んでしまい、真正面から転がり落ちそうになる。
「きゃあっ!」
固い地面にたたきつけられるのを覚悟したが、いっこうにその衝撃は訪れず、それどころか、誰かがしっかりとシエラを抱き留めていた。
不快感なく、安心するこの手をシエラはよく知っている。
「えっ、あ、アルフレッドさま……っ!?」
馬車から盛大に転がり落ちようとしたシエラを救ったのは、今まさに安否を確認しようとしていた夫――アルフレッドだった。
見慣れた包帯姿でも、大怪我を負ったと聞いた後では心配でたまらない。
それなのに、何故かアルフレッドにエスコートされて、シエラは地面に降り立った。
「シエラ、大丈夫か?」
「それはわたしの台詞です! アルフレッド様、お怪我の具合は?」
「……私のことは心配いらない。一緒に屋敷へ帰ろう」
「ほ、本当ですか……?」
包帯を巻いているから、アルフレッドの表情が見えない。
それでも、アルフレッドの無事な姿が見られたことで、シエラの目からは大粒の涙が流れる。
「泣かないでくれ。殿下が大袈裟に言っただけで、私は無事だ」
「ご、ご無事で、本当にっ、よかった……です」
どんな大怪我を負ったのか分からないから触れることをためらっていると、アルフレッドから抱きしめられた。
あたたかなその腕に包まれ、なだめるように優しく背を撫でられる。
(アルフレッド様の心臓の音が聞こえる……)
少しだけ鼓動が早いのは、シエラと同じ理由だろうか。
とにかく、無事でよかった。
涙が少しだけおさまりかけた時、「アル!」というクリストフの声が聞こえてきた。
しかし、アルフレッドはシエラを抱きしめたまま、反応しない。
「あの、アルフレッド様……?」
シエラがもぞもぞと動きだしてようやく、アルフレッドは少し腕を緩めた。
「どうしたんだ?」
そこで初めて、シエラはアルフレッドの声に違和感を覚える。
何かいつもと違う気がする。
「クリストフ殿下が……」
話しながら、背後のクリストフに視線を移すと、ようやくアルフレッドは振り返った。
(アルフレッド様がクリストフ殿下の声を無視するなんて。それに……)
いつもは目を合わせて話してくれるのに、今はシエラの口元ばかりに視線が向けられていたような気がする。
少しの違和感に、どうしようもなく胸がざわつく。
「部屋で待つように言っただろう。せっかく医務官を手配したのに」
「……診察は必要ありません。私はシエラと一緒に帰ります」
そう言って、アルフレッドはシエラの手を握った。
やはりどこか話し方がいつもと違う。
クリストフの心遣いを無視して無理やり帰ろうとしていることも引っかかる。
不安でたまらなくて、シエラはアルフレッドの手をぎゅっと握り、訴える。
「アルフレッド様! 何があったのか分かりませんが、しっかり診ていただきましょう!」
アルフレッドが医務官の診察を受け、無事が分かるまでは帰れない。
大怪我だと連絡があったくらいなのだ。
外見で分からないだけで、体の不調があるのではないか。
先ほどからの違和感も、その不調が原因かもしれない。
一刻も早く、アルフレッドには医師の診察を受けてもらわなければ。
シエラの本気が伝わったのだろう。
アルフレッドは渋々頷いてくれた。
そして、シエラはアルフレッドが隠そうとした症状を知ることになる。
「耳が、聞こえない……?」
そんなはずはない。
だって、アルフレッドはシエラと会話をしていた。
けれど、その視線が口元に注がれていた理由も、反応が少し遅かった理由も、声に違和感を覚えた理由も、すべては聴覚を失ったからこその行動だったのだろう。
(アルフレッド様……)
今、アルフレッドは隣室で診察を受けている。
“呪われし森”での視察で何があったのか。
クリストフの話に、シエラは血の気が引く思いだった。
アルフレッドのことばかり考えていたせいで気づかなかったが、たしかにクリストフの頬や手には切り傷や擦り傷が多数ある。
きっと、アルフレッドにも同じような傷があるのだろう。
「すまない。アルは俺を守ろうとして、魔女の呪いを前に無防備だった……」
「いえ、殿下がご無事で何よりです……アルフレッド様も、そうおっしゃっていたのではありませんか?」
「あぁ」
自分のことよりも、目の前で助けられる人がいるのなら、真っ先に手を差し伸べる人だから。
包帯公爵の噂のせいで誤解されがちだが、アルフレッドはとても優しいし、情に厚い。
守りたい人のために、平気で自分の身を盾にしてしまう。
だからこそ、アルフレッドが無茶ばかりしないようシエラが守らなければならない。
(本当に、生きて帰って来てくれてよかった……でも、アルフレッド様はわたしに隠そうとしていたのよね)
魔女の呪いを受けて聴覚を失ったのだとしたら、医務官の診察を拒否して帰ろうとする気持ちも分かる。
けれど、アルフレッドはシエラに何も告げようとしなかった。
聴覚を失った状態を隠し通せると思っていたのだろうか。
心配をかけさせまいと気遣ってくれたのだろうが、そんなに自分は頼りないのだろうか。
沸々と湧いてくるこの感情は、きっと怒り。
そして、何もできない不甲斐なさと悔しさ。
しかし、いつまでも俯いてばかりもいられない。
(そうよ。わたしが暗い顔をしていたら、アルフレッド様だって、心配するに決まっているわ)
もっと強くならなければ。
アルフレッドがどんなことでも安心して打ち明けられるように。
シエラは顔を上げて、にっこりと笑みを浮かべた。
「クリストフ殿下。アルフレッド様のことは、わたしにお任せください」
「……あぁ。よろしく頼む。今は俺よりも、あなたが側にいる方がいいだろう」
そして、少しだけ間をおいてクリストフは口を開く。
「それと、“呪われし森”にはもう干渉しないことにする」
固い表情で、クリストフははっきりと言った。
しかし、その言葉が信じられず、シエラは問い返す。
「……呪いを解くことをやめるということですか?」
「あぁ。あなたも父上から手を引けと言われているだろう? 俺の無謀な計画に巻き込んですまなかった」
クリストフは知っていたのだ。
ザイラックが加護持ちの人たちに手を回していることに。
頭を下げるクリストフに、シエラは首を横に振る。
魔女の呪いを解きたいと願っているのは、クリストフだけではない。
「謝らないでください……それに、わたしは」
「いや、父上の言うことが正しかったんだ。それが今回の件でよく分かったよ。本当に、アルには申し訳ないことをした。もし、俺の側近を辞めたいなら、すぐに手配する。そうアルに伝えておいてくれ」
「クリストフ殿下、あまりアルフレッド様のことを見くびらないでください。きっと、アルフレッド様はこれくらいで諦めたりなんてしません。わたしだって、このまま終わりにするなんて嫌ですわ!」
「そうか。だが、もう何もしないでくれ」
それだけ言って、クリストフはアルフレッドの診察が終わるのを待たずに出て行った。




