第32話 “呪われし森”の脅威
「今、何と……?」
アルフレッドは、どういうことなのか分からず問い返していた。
「だから、初代国王ラリアーディス陛下が俺に憑りついてるんだよ」
やはり聞き間違いではなかったらしい。
クリストフの言葉は、にわかには信じがたい。
しかし、魔女や呪いが実在するのだから、霊魂もたしかに存在するのだろう。
「つまり、初代国王の幽霊が殿下に憑りついていると?」
「おい、幽霊だなんて失礼だぞ。まぁ、だいたいの解釈は合っているがな」
クリストフなりにラリアーディスへの敬意を示しているようだが、幽霊であることに違いない。
それも、ヴァンゼール王国の建国時からこの世をさ迷っている、年季の入った幽霊だ。
(グリエラといい、ラリアーディス陛下といい、どうしてこうもすれ違ってしまうんだ……)
アルフレッドは額に手をあて、ため息を吐く。
これが五年前であったなら、グリエラはこの“呪われし森”に生きていたのに。
たとえ肉体は他人のものでも、ラリアーディスと話すことができたかもしれない。
そう思うと、やるせない気持ちになる。
「それにしても、憑りつかれているなんて、殿下のお体は大丈夫なのですか?」
「あぁ。この通り、ピンピンしている。それに、俺にとってはご先祖様だし、このヴァンゼール王国を建国した伝説の王だ。安心しろ」
「しかし、それでは何故私に剣を?」
「あぁ……すまない。ラリアーディス陛下は魔女のことになると見境がなくなるらしい。アルが何らかの情報を持っていると確信しているようで、もどかしいようだ」
「……そうですか」
ラリアーディスは、魔女のこと――おそらく恋人であったグリエラのことを知りたがっているのだろう。
本当にラリアーディスがクリストフに憑りついているのなら、話すべきなのだろう。
“呪われし森”で彼女と過ごした時のことや、ロナティア王国で知った古い過去のことを。
アルフレッドが意を決して口を開いた時。
――……っ!!!
耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、アルフレッドは思わず両耳を押さえる。
しかし、その悲鳴は脳に直接響き、頭がくらくらする。
今回の悲鳴はクリストフにも聞こえているようで、彼も両手で耳を塞いでいた。
『憎い――人間が憎い――裏切り者には死を――呪って……やる――』
悲鳴に交じって、怨念の声が断片的に聞こえる。
ぞわりと全身に鳥肌が立ち、ただ事ではない空気を感じる。
かつてこの身に呪いを宿した時と、同じだ。
(この場から、殿下を早く遠ざけなければ……っ!)
いくら王族が女神の加護を受けているといっても、呪いの影響がゼロとは限らない。
アルフレッドは両耳を押さえていた手を外し、素早くクリストフに包帯を巻く。
ぐわんぐわんと音が脳内で反響し、耳障りな悲鳴が平衡感覚を狂わせる。
しかし、とにかく今はどこかへ逃げなければ。
自分一人ではないのだ。守るべき主君がいる。
鼓膜が張り裂けそうに痛くても、止まることなどできはしない。
アルフレッドは必死だった。
できるだけ悲鳴の聞こえない方向へと。
すでに森のどこにいるのかも分からないままに、魔女の呪いから逃れるように走り続けた。
そうして走り続け、ある瞬間にぷつりと音が途絶えた。
ようやく、魔女の悲鳴から逃れられたのだ、とアルフレッドは立ち止まる。
しかし、クリストフは焦ったような顔で、アルフレッドに何やら訴えようとしていた。
口をパクパクと動かすが、声になっていない。
もしや、呪いで声を失ったのか……!?
そう思い、アルフレッドは「殿下」と呼びかけた――つもりだった。
すると、殿下の声だけではなく、自分の声も聞こえないではないか。
(そういえば、やけに静かだな)
いくら“呪われし森”が静かだとはいえ、風の音も、衣擦れの音も、足音も――すべての音が聞こえないなんて異常だ。
そのことに、今になって気づく。
(……まさか)
アルフレッドは、恐る恐る自分の耳元で指を鳴らしてみた。
何も聞こえない。何度鳴らしてみても、大声を出してみても、結果は同じ。
ふと顔を上げると、クリストフが申し訳なさそうに包帯を差し出していた。
「どうやら私は耳が聞こえなくなったようです。殿下はなんともありませんか?」
うまく言葉にできたかは分からない。
それでも、クリストフは意味を理解して頷いてくれたようだから、伝わったのだろう。
そして、クリストフは「すまない」と言っているように見えた。
「危険は承知の上です。殿下をお守りできてよかったです」
本心だった。今日の自分はクリストフの護衛としてここにいるのだ。
だから、クリストフを守れてホッとしている。
しかし、シエラには怒られてしまうだろうか。
黙って“呪われし森”に行っただけでなく、魔女の呪いを受けて聴覚を失ったかもしれない――なんて言ったら。
(早く帰るという約束も守れそうにないしな……)
実に情けない話だ。
シエラには何も告げなかったのにこんなことになって、どう説明しようかとアルフレッドは頭を悩ませる。
できるだけ心配をかけないように、シエラに負担をかけないようにするにはどうすればいいだろう。
シエラへの言い訳を考えていると、クリストフに袖を引っ張られた。
何度も声をかけていたようだが、アルフレッドが気づけなかったようだ。
「こっちだ」と、クリストフが暗い森の中を指す。
必死に走ってきたせいで、方角も分からないのに、どうして分かるのだろう。
その疑問が顔に出ていたのか、クリストフは「ラリアーディス陛下が」とゆっくり口を動かして伝えてくれる。
どうやら、クリストフに憑りついているラリアーディスが森の出口を教えてくれているらしい。
うまい言い訳なんてまだ思いついていないが、愛しい妻の元へ帰れるのなら、大昔の国王の幽霊でも何でも信じよう。
そうして、アルフレッドはクリストフ(ラリアーディス)の案内で、無事に“呪われし森”を抜けることに成功した。




