第31話 友の信用
薄暗い森の中は、不気味なほどの静けさに包まれている。
目の前には剣を構えた主がいて、その表情は真剣そのもの。
普段は軽口ばかりだが、とても冗談とは思えない。
ということはつまり、本気でクリストフはアルフレッドを脅しているのだろうか。
「殿下、剣を下ろしてください」
「それはできない」
「魔女の怨念にでもあてられましたか?」
「いや、俺は正気だよ」
「そうですか……それは、よかったです」
先ほど怨念の渦に巻き込まれたせい、という訳でもないようだ。
様子を見る限り、本当に正気を失っていないようで安心する。
「なんでお前はこの状況で俺の心配ができる?」
クリストフが向ける剣先は、少しずつアルフレッドの首に近づき、皮膚に触れるか触れないかのところで寸止めされている。
その状態で冷静に話をしているアルフレッドに、クリストフが怪訝そうな表情をした。
「私は殿下の側近ですから。それに……」
アルフレッドは体を素早く横にずらし、クリストフとの距離を詰め、その手にあった剣を奪う。
そして、奪った剣をポイっと投げ、アルフレッドはにこりと微笑む。
「私は殿下よりもはるかに鍛えていますから」
ザイラックの密偵として動いていた過酷な日々を舐めないでほしい。
誰も信用できずに一人で体を鍛えていたし、ザイラックに密偵の話を持ち掛けられた時は、王家直属の密偵たちにかなりしごかれたのだ。
王族を狙う暗殺者と対峙したこともある。
クリストフに剣を向けられたことに驚きはしても、脅しに屈するほどではない。
「さて、殿下。どうしてこのような行動をとったのか、じっくり聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
包帯を巻いていないせいで、ピキピキとこめかみに青筋が浮かんでいるのを隠せない。
ボキボキと思わず拳を鳴らしてしまうのも、不自然に上着のポケットに手を入れてそこにある何かの感触を確かめてにやりと笑ってしまうのも、仕方がないことだろう。
アルフレッドが怒りを露わにするのを見て、クリストフは焦り出した。
「ま、待て、アル。俺が悪かったから、落ち着け! ちょっ、何して……」
クリストフが地面に尻もちをついたまま、後ろへずりずりと下がっていく。
「実は、以前にもこういう経験がありましてね」
「は⁉」
「そういえば、あの時も森に誘いだされたのですよね。まあ、大人しく言いなりにはなりませんでしたが」
「いやいや、ちょっと待て」
アルフレッドがじりじりと追い詰めているうちに、クリストフの背中は太い木の幹にぶつかった。
もうこれ以上、クリストフが後ろに下がることはできない。
「殿下も、包帯で縛られてみますか?」
「絶対に! 嫌だ!」
「でしょうね。私も、そういう趣味はありません」
アルフレッドは軽い脅しのために手に持っていた包帯を、上着のポケットにしまう。
つい冷静さを失っていた。
馬鹿馬鹿しいやり取りをしているうちに、親友に剣を向けられたことで動揺していた気持ちも落ち着いてきた。
「それで、本当にどういうつもりですか。私を脅してまで、魔女のことが知りたいなんて」
腰が抜けたクリストフの目の前に膝をつき、アルフレッドは問う。
アルフレッドがグリエラのことで話せていないことは確かにある。
しかし、それをクリストフに話してどうなるというのだろう。
それに、アルフレッドはクリストフの友であり、側近だ。
脅さずとも、理由を話してくれればよかったのに。
(やはり、昔とは違い、【包帯公爵】の私は信用できないのか……?)
昔と変わらず信じてくれていたことが嬉しかった。
もし、魔女のことを知るためだけに利用されていたのだとしたら。
人に裏切られることには慣れている。
元々、他人を信じないと決めていたではないか。
シエラのおかげで変われたと思ったが、【包帯公爵】として他人を寄せ付けなかった自分の過去が変わる訳ではない。
クリストフが信じられないのも無理はないだろう。
「すまなかった、アル。お前を脅したのは、俺も色々と追い詰められていてな……その、信じてもらえないかもしれないが」
「どういうことですか?」
「魔女に執着しているのは、俺じゃない。でも今は、俺も魔女のことを知りたいと思っている」
剣を向けてきたのも、魔女のことを知りたがっていたのも、クリストフだ。
それなのに、一体何を言っているのだろう。
もしやアルフレッドを騙そうとしているのだろうか。
(いや、殿下はそんな人ではない……はずだ)
たとえ、アルフレッドを信用してくれなくても、卑怯な真似はしない人だと信じている。
仕事終わりに王都を眺めて、王族の務めを語っていた笑顔を。
包帯公爵である自分を友だと笑いかけてくれた、友人の言葉を。
他人を信じることを教えてくれたシエラを思い出しながら、アルフレッドは笑みを浮かべた。
「どんな話でも信じますよ。殿下は、私が呪いで透明人間になっていたなんて話を信じてくれましたから」
「アル……ありがとう」
クリストフは視線を落とし、大きく息を吐いた。
そして、意を決したようにアルフレッドの目を見て、その理由を口にする。
「今の俺には、初代国王ラリアーディスの霊魂が憑りついているんだ」




