第25話 妻の秘密と迷う心
「旦那様、おかえりなさいませ」
ベスキュレー家の王都別邸に帰り、真っ先に出迎えてくれたのは可愛い妻ではなく、執事オリバーだった。
思っていたよりも随分帰りが遅くなってしまったから、仕方がない。
「あぁ。シエラはどうしている?」
「奥様でしたら、先ほどまで旦那様をお待ちしておりましたが、今は寝室に」
オリバーの言葉を聞いて、アルフレッドはすぐに二階奥の寝室に向かおうと足を動かす。
しかし、その背中にオリバーが焦ったように声をかける。
「あのっ、旦那様、お待ちください!」
「何だ?」
一刻も早くシエラに会いたいというのに。
そんな苛立ちを込めてオリバーを睨むと、怯えたような表情で手紙を差し出した。
「奥様から、こちらをお預かりしております。そして、寝室には入らないで欲しい、という伝言も」
「なっ……⁉」
「そ、それでは、失礼いたします」
手紙をアルフレッドに渡し、逃げるようにオリバーは去っていった。
(仲直りはしたはず、だよな……?)
今朝、実家へ帰ると屋敷を飛び出したシエラのことを思い出す。
もうアルフレッドの側から逃げないと笑ってくれたシエラのことも。
アルフレッドは不思議に思いながらも、すぐさま手紙に目を通す。
『愛するアルフレッド様へ
お仕事お疲れ様です。今日は色々とお恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。
そこで、お願いがあります。
ベスキュレー公爵家からクルフェルト家へ通うことについては同意しましたが、結婚式を挙げるまでは寝室は別にしたいです。
アルフレッド様のことを避けている訳ではなく、わたしの心臓が持ちそうにないからです。どうか誤解なさらないでくださいね。
その代わり、朝食は毎日ご一緒したいです。もちろん、お仕事の邪魔はしたくありませんので、ご無理はなさらないでください。
あなたを毎日愛している妻シエラより』
シエラの可愛らしい文字を読むと、彼女の可憐な声が聞こえてくるようだ。
そして、寝室を別にしたいというのも、理由が可愛すぎて、会いに行くことを我慢できそうにない。
アルフレッドは大股で二階へと上がり、寝室へと向かう。
王都別邸には多くの部屋があるが、現在は夫婦のための部屋を使っている。
昨日までは大きなベッドで二人、添い寝をしていたものだが、やはりというか、夫婦の寝室にシエラはいなかった。
個室として使っても良いと案内していた部屋の扉から灯りが漏れているのが見えた。
アルフレッドはシエラを驚かせないよう、激しくなる鼓動を落ち着けながらゆっくりと近づく。
そして、扉に手を伸ばした時、室内の声が聞こえてきた。
「奥様、本当に旦那様に話さなくてもいいのですか?」
「……えぇ。メリーナも、絶対に言わないでね!」
「まあ、あたしは別にかまいませんけど……奥様が旦那様に秘密なんてできるんでしょうか」
「で、できるわよ!」
「ふふ、それでは頑張ってくださいね」
普段なら、耳が良いシエラがアルフレッドの足音に気づかないはずがない。
しかし、よほど会話に集中しているのか、まったくこちらに気づいていないようだった。
聞き耳を立てていたアルフレッドは、何とも言えない心地で踵を返す。
シエラはアルフレッドに何か隠したいことがあるのだろうか。
愛する相手のことはすべて知りたいと思ってしまう、恋や愛とはやっかいなものだ。
(だが、私もシエラにすべてを話せている訳ではないしな……)
情けない過去の話なんかは、できればシエラに知られたくはない。
逆に自分の誇れる話はあるのかと問われれば、返答に困ってしまうが。
だからこそ、シエラに愛されるに相応しい夫でありたいと常々思っている。
そして、そのためには――。
「女神の加護――果たして、私に手にする資格があるのだろうか」
女神の加護を手に入れてみせる。その覚悟は決めた。
愛するシエラのために。かつて自分を救ってくれた魔女のために。友人であり主君であるクリストフのために。
しかし、迷いが完全に消えた訳ではない。
明日は、クリストフとともに“呪われし森”に向かうことになっている。
迷いを抱えたままでは、魔女の呪いに呑まれてしまうかもしれない。
そうなれば、共に行くクリストフのことを守ることができないだろう。
(側近が主を危険にさらしてどうする……)
迷いを断ち切ろうと、アルフレッドは書斎へ向かう。
書斎には、かつて父が国王や貴族から受けた仕事の資料が残されている。
本邸に行けば、それこそ先祖からの記録がすべて残っているのだが、王都別邸には直近のものしかない。
しかし、アルフレッドにとって幼い頃から目標であり、憧れだったのは父だ。
父が何を思い、どのようなことを考え、仕事に取り組んでいたのか。
何度も何度も読み返したから、残っている資料や記録はアルフレッドの記憶に刻まれている。
それでも、知識としてではなく、父の直筆で書かれた設計図や記録の実物に触れることで、感じられるものがある。
そして、父に背中を押してもらいたくて、アルフレッドは夜が明けるまでずっと書斎にこもっていたのだった。




