第11話 芽生えた感情
盲目の花嫁が来て一週間。
いつも静かで、どこか暗い影を背負っていたベスキュレー家の屋敷は、その空気を変えていた。
その変化に最も戸惑っているのは、ベスキュレー家当主、【包帯公爵】アルフレッドである。
(こんなにも、この屋敷は明るく美しいものだったか……)
アルフレッドは、音楽ホールに向かうシエラの後をこっそりつけながら思う。
音楽ホールの壁面を上り、上部にある窓から覗き込むアルフレッドの姿は不審者そのものだ。
しかし、包帯を巻いていない今のアルフレッドは、誰にも見られることはない。
透明人間でよかった、と今は心から思う。
いつも屋敷では包帯を外さないので、なんだか新鮮な気分でもある。
毎朝、シエラの歌を聴くのがアルフレッドの日常になりつつあった。
「それにしても、ミュゼリアの加護を得る歌姫、か」
幸せそうに歌うシエラを見て、アルフレッドはぽつりと呟く。
女神の加護を得ているだけあって、シエラの歌は心に響く。
そして、アルフレッドが頑なに閉ざしている心を優しく開こうとする。
「何故、出て行かない……?」
アルフレッドはこの一週間、シエラを徹底的に避けていた。
彼女の笑顔の前で冷たい態度をとれないのならば、避けるしかないと思ったのである。
しかし、彼女がこの屋敷から出て行く様子はない。
毎日懲りもせずアルフレッドの所在をゴードンに確認し、いないと分かればすぐに手紙を部屋に置いて行く。
その内容のほとんどはアルフレッドを案じるもので、最後の一文は決まっていた。
『アルフレッド様にお会いしたいです』
手紙を読めば、純粋な恋心が伝わってきて、アルフレッドはシエラに会いに行きたい衝動にかられる。
しかし、そこをぐっと堪えて無視しているのだ。
それでも、シエラの様子は何度も見に行っていた。
彼女に気付かれないよう、遠目からではあるが。
アルフレッドはこの一週間で、見事に妻のストーカーと化していた。
じっとシエラの歌に聴き入っていると、いつの間にか陽が高くなっていた。
アルフレッドは慌てて公爵邸を出る。
国王からの召集や依頼がない限り、アルフレッドは基本的に領地から出ない。
日中は透明人間のままで領地を視察し、問題がないかを確かめる。
そして、ベスキュレー公爵領に詰めている騎士からの報告書や、領民たちからの嘆願書に目を通す。
夕刻には報告書や必要な書類にサインをしたり、領地の運営方針や領民の抱える問題について考えたりする。
そうして一日が過ぎていくのがアルフレッドの日常だった。
しかし、シエラが来てからアルフレッドの予定は狂いっぱなしだ。
今だって、彼女の歌に聞き惚れて時間を忘れていた。
日々寄せられてくる領地の問題や国王からの嫌がらせのような仕事よりも、シエラを相手にする方が難しい。
だからこそ、避けてしまっているのだが、このままでは何も解決しないことはアルフレッドも分かっていた。
彼女をどうすべきか、決断しなければならない。
アルフレッドはこの一週間、彼女だけでなく、自分の内に芽生えた感情からも逃げ続けていた。
あの美しい歌声をずっと聴いていたい。
あの優しい笑顔をずっと見ていたい。
――シエラを、幸せにしたい。
【包帯公爵】である自分には、叶えられない欲だ。
それなのに、彼女を見ているとどんどん欲が湧いてくる。
どうすればこの欲を消せるのだろう。
そんなことをうだうだ考えていると、リーベルトに到着した。
リーベルトは、岩山を背に広大な平地が広がる場所にできた街だ。
ベスキュレー家の人間が街の設計に関わり、今でも建物の補修や道路の工事などにはベスキュレー公爵の指揮が求められる。
初代国王の信頼が厚かったベスキュレー公爵家の人間によってつくられたこの街は、王都ほどの華やかさはないにしても、素晴らしい技術と知恵が詰まっている。
石畳の道は水はけがいいように馬蹄状に、街は歩道と道路が整備され、水道も通っている。
立ち並ぶ建物は、ベスキュレー家が開発した特製のコンクリートでできており、どんな嵐にも負けない丈夫さを持つ。
リーベルトに来る度、アルフレッドは祖先の技術に感嘆の溜息を吐かずにはいられない。
そして、自分もいつか……と思いをはせる。
しかし、その思いはいつもアルフレッドの胸の内にとどめている。
建築や芸術は他者からの評価を得て初めて価値を持ち、輝く。
十年前から人を信じられなくなったアルフレッドにとって、自分の心を映しだす芸術を他者に見られたくなくなった。
あれから、アルフレッドは何もつくっていない。
しかし、代々のものづくりの血が騒ぐのか、無性に何か作りたくなることがある。
しかしそれらは誰に見せることなく、自ら壊していた。
昔はよく、誰かのために何かを作ることに喜びを感じていたのに。
そんなアルフレッドが、最近になってものづくりを開始した。
日常だけでなく、抑えつけていた欲望までもをシエラはかき乱してくれる。
盲目のシエラのために、アルフレッドは影でこそこそあらゆるものをつくっていた。
初めて作った杖は、彼女の寝室に忍び込んで置いてきた。
彼女がどういう反応をするのか内心どきどきしていたが、毎日愛用してくれているのを見て、言いようのない高揚感で満たされた。
自分の行動が矛盾していることは分かっているが、どうしても彼女のために作らずにはいられなかった。
目の前にいなくても心を占めるシエラを無理矢理意識の外においやり、アルフレッドはリーベルトの街を歩く。