第13話 待ち時間に
任命式は滞りなく行われた。
終了後、アルフレッドはクリストフの執務室へと呼び出され、シエラは一人応接間で待っている。
「こんなにゆっくりしていてもいいのかしら……?」
王城のメイドが淹れてくれた紅茶を飲み、美味しいクッキーまでいただいてしまった。
優雅なティータイムに少しの罪悪感を覚えるが、王城で好き勝手に動きまわることもできない。
話し相手もいないため、シエラは時間を持て余していた。
「そうだわ! 腹式呼吸の特訓をしましょう!」
クリストフには、“呪われし森”の呪いを解くために、シエラの歌を求められているのだ。
魔女の呪いを解くほどの加護を求めるのならば、それ相応の歌を捧げなければならない。
(わたしがアルフレッド様の負担を少しでも減らしてみせるわ!)
気合は十分だが、結婚してから歌の特訓は十分にできていない。
王城で大きな声を出す訳にもいかないので、シエラは腹式呼吸に集中することにした。
ソファから立ち上がり、お腹にそっと手を当てる。
腹式呼吸は、発声する時の基本の呼吸方法だ。
胸を動かさずにお腹を使って呼吸することで、歌のコントロールに安定感が生まれる。
鼻から息を吸い、口で息を吐く時はお腹をへこませるよう意識する。
肩や胸が動かないように注意しながら、数十秒ほどかけて細く長く息を吐く。
普段から腹式呼吸が癖になっているため、難しいことでもない。
しかし、紅茶を飲み、クッキーを食べた後にやることではなかった。
それも、お腹をきゅっと締め付けたドレス姿で。
(あ……)
くらり、とめまいがした。
一瞬、酸欠になってしまったのかもしれない。
幸い、すぐ側にソファがある。
ソファへ倒れ込むように体を傾けた時、ガチャリと扉が開いて。
「シエラ!」
血相を変えたアルフレッドにすぐさま抱き留められた。
「大丈夫か!? 何があった!?」
「……ア、アルフレッド様。ごめ、なさい」
まだ少し苦しくて、うまく舌が回らない。
その上、お菓子を食べた後に腹式呼吸の練習をしていたら酸欠になりかけた――なんて恥ずかしくて言えない。
「謝らなくていい。すぐに医者を手配」
「っしなくていいです! だ、大丈夫ですから!」
「しかし」
「本当です。ただ、その、食べ過ぎてしまっただけですから……」
尻つぼみになりつつも、シエラは視線でテーブルの上のティーセットを示す。
そこにはまだクッキーやスコーン、紅茶入りのティーカップが置かれている。
「そうか……それなら、よかった。シエラに何かあったら私は生きていけない」
心の底から安堵のため息を吐くアルフレッドに、シエラは不謹慎ながらも喜びを感じてしまった。
それほどまでに愛されているのだと。
アルフレッドの愛を疑ったことはないが、乙女心というものは複雑で我儘なのだ。
何度でも愛の言葉を求めてしまうし、彼に自分が必要だと求められることが嬉しい。
大丈夫だと言っているのに、まだ心配そうに見つめてくる海色の双眸が愛しくてたまらない。
「おかえりなさい、アルフレッド様」
彼に抱き留められた状態ではあるが、シエラは安心させるように微笑んだ。
「あぁ。ただいま、シエラ」
力なく笑みをこぼし、アルフレッドはシエラの頬にキスをした。
唇に落ちてこなかったことに少し寂しさを覚えたが、ついさっき倒れたシエラを気遣ってのことだと思えば胸がキュンとした。
しかし結局、アルフレッドはシエラを医者に診せ、異常がないことを確認するまで離してはくれなかった。
(こんなことで倒れかけているようじゃ、“呪われし森”の呪いを解くための歌なんて歌えないわ。それに……アルフレッド様の方が大変なのにわたしが心配をかけてどうするの)
歌姫として活動していた時よりも、はるかに体力と肺活量が落ちている。
今回のことでそれを実感したシエラは、ある人に助けを求めようと決意した。




