第8話 王子の目的
「俺は今年、王太子に指名される予定だ」
留学経験を終え、国に戻ったクリストフがいずれ王太子に任命されるであろうことは誰もが予想していた展開だ。
だから、アルフレッドは形式的に祝いの言葉を述べた。
「だが、ひとつ問題がある」
「問題、ですか……?」
「俺は立太子と同時にロナティア王国のイザベラ王女と結婚するはずだったが、アルたちも知っての通り、結婚は白紙になっただろう?」
「……申し訳ございません」
婚約破棄よりももっと酷い事態になっていたかもしれないことを思えば、よかったのだが、どうしても罪悪感を覚えてしまう。
アルフレッドは実際にイザベラと話をし、彼女の事情も知った。
だからこそ、クリストフとの結婚は無理に進めるべきではないと感じたのだ。
あの時は、婚約破棄される側のクリストフの気持ちを考える余裕はなかった。
「アルは最善を尽くしてくれたと父上から聞いている。謝ることはない。俺こそ、手紙のやり取りだけで満足してイザベラ王女と直接向き合うことをしてこなかったからな……今回の婚約破棄に何か深い事情があることは分かっている」
クリストフは責めるためにこの話題を出した訳ではないと柔らかく笑う。
「問題は、王太子になる俺に婚約者がいないということだ。王太子妃になれる身分の貴族令嬢は皆、すでに婚約者がいるか結婚している。他国の王女も、幼い頃から婚約を決めているから、今更結婚を申し込むこともできない。俺は今すぐ婚約者を見つける必要はないと思っているが、世継ぎ問題が関係してくるから、大臣たちもピリピリしていてな……」
うんざりしたようにクリストフがため息を吐いた。
王族の婚約は早いところでは生まれた瞬間から決まる場合もある。
クリストフにイザベラとの婚約話が出たのも、かなり早い時期だったように思う。
十年前にはまだ婚約者候補としてだったが、アルフレッドが社交界に戻った時にはすでに婚約を結んでいた。
第一王子であるクリストフが、大国ロナティアとの絶対的な関係を結んでくれると皆が期待していた婚約だった。
だからこそ、結婚を目前に婚約が白紙となり、貴族たちがざわつくのは容易く想像できる。
そしてふと、第二王子ウィスハイトの存在が頭をよぎった。
彼は国内の有力貴族の令嬢と婚約していたはずだ。
もしや、今まで起きることはないと思っていた後継者問題が浮上しているのだろうか。
嫌な予感がして、アルフレッドは慎重に問う。
「もしや、婚約者のいない殿下が王太子になることに反対している者がいるのですか?」
「さすが、アルだな。まぁ、そういうことだ」
苦笑しつつ、クリストフは頷いた。
(王国を離れている間にそんなことになっていたとは……)
以前は、王家に関わる何らかの噂が流れた時にはすぐにアルフレッドが把握し、ザイラックに報告していた。
それは、透明人間としてあらゆる社交場に潜入できたからこそ、可能だった。
呪いが解けた今は、当然ながらそれはできない。
だからこそ、様々な社交場にベスキュレー公爵として参加したり、時には変装して忍び込んでいた。
国の混乱に繋がる種は早めに摘んでおきたいのに、今回は後手に回ってしまった。
アルフレッドがロナティア王国に滞在しているうちに起きたことだ。
どうあっても対処できるものではない。
そうと分かっていても、アルフレッドがこうなる事態を予測していたならば、防ぐこともできたのではないかと後悔せずにいられない。
「婚約者がいないことは王太子になれない理由にはなりません。殿下は、この国を誰よりも思っている方なのに……っ!」
「ありがとう。アルにまだそう思ってもらえていたとは嬉しいよ」
「……っ!」
クリストフの言葉で、自分の本音まで吐き出してしまったことに気づかされる。
自由で、時に強引で、いつも楽しそうに笑っている王子――昔から変わらない、クリストフの印象だ。
しかし、その笑顔の裏には様々な努力や葛藤があったことも知っている。
彼が悩むのはすべて国のためで、王子として自分がどうあるべきなのかをいつも考えていた。
その姿を見た時から、アルフレッドの中ではクリストフが王太子になるのは必然だった。
だから、その当たり前が揺らいでいることが信じられなかったのだ。
「私に何ができますか?」
思わず、アルフレッドは前のめりになって問うていた。
クリストフが王太子になるために、未来の国王となるために、力になりたい。
(そうか。私は側近だとか関係なく、ただ殿下の力になりたかったのか……)
その思いは昔から決まっていたのに、遠回りばかりしてしまった。
そんなアルフレッドの言葉に驚いているのはクリストフの方で、一瞬面食らった後、口を開く。
「もちろんだ……俺がアルを側近に命じたのは、王太子になるための実績を作りたいと思ったからなんだ」
「実績、ですか」
「そうだ」
力強く頷き、クリストフは窓の外に視線を向けた。
その視線の先には、“呪われし森”がある。
「俺はずっと、ヴァンゼール王国内にある“呪われし森”について疑問を抱いていた。何故、魔女の怨念はいつまでも人間を恨み、呪い続けているのか。次期国王として、“呪われし森”の問題は放ってはおけないし、そろそろ魔女たちを憎悪から解放してやりたいんだ」
「殿下、まさか実績というのは……」
あぁ、とクリストフは笑顔で頷いて、これまで誰も成し得なかったことを口にした。
「俺は、“呪われし森”の呪いを解きたい」
そう言ったクリストフの目は本気だった。
(まさか殿下が呪いを解こうとしていたとは……)
十年前まで、クリストフの側にいたというのに、アルフレッドは知らなかった。
きっと、アルフレッドが知らないだけで、クリストフは昔から様々なことを考えていたのだろう。
「呪いを解く方法を探すために他国へ留学もしてみたが、魔女との争いの歴史は知れても、呪いを解く方法なんてどこにもなかった……」
クリストフは眉間にしわを寄せ、悔し気に話す。
留学の目的は解呪の方法を知るためだったらしい。
本気でクリストフは何百年と続く魔女の呪いを解こうとしている。
彼女たちを解放しようとしている。
「現状を見ても分かるように、魔女の呪いが外部へと影響を及ぼすのは時間の問題だ。そうならないために留学していたというのに、俺は有益な情報を持ち帰ることはできなかった……だからこそ、アルを側近に命じた」
そこで言葉を区切り、クリストフはまっすぐにアルフレッドを見た。
「アルは、誰よりも“呪われし森”の呪いについて知っているだろう?」
それは問いというよりも、確認の意味が強かった。




