36 幕間:伝説の魔女
粉々になった木々の破片が、花の嵐のように舞いあがる。
かつては緑の人型であったものは、もはや見る影もない。
ただの肉塊、もしくはただの手足や臓物となって、血しぶきとともに噴出している。
夕立のような血の雨が、部屋中に降り注ぐ。
野ざらしだった磔台の少女は、肌を打つ生あたたかい感触にウッと顔をしかめた。
岩の天蓋に覆われたこの洞窟に、天候の奇跡をもたらしたであろう人物は、雨が止むのを待ってから歩み出る。
ぱしゃり、ぱしゃり、と赤い水溜りを散らす音が近づいてきたので、少女はしみる瞼をなんとか持ち上げて、その正体を探った。
魔女帽に全身を覆うマント。
どちらも鮮やかな真紅で、まるでたったいま足元の血だまりから生まれ出でたかのようなその姿。
「あ、赤い魔法装束に、爆炎魔法、もしや……!?」
近づいてきた魔女は少女の驚きを遮るように、そっと人さし指を口に当てた。
うつむいているので顔は帽子のツバで隠れ、表情は伺い知れない。
でも意図はわかった。「騒ぐな」と言っているのであろう。
「ギャアッ!? ギャアッ! ギャーッ!!」
けたたましい警報のような鳴き声が飛び込んでくる。
しかも複数の方位から。
騒ぎを聞きつけたのであろう。
磔台の右手と左手にはそれぞれ廊下があって、新手のゴブリンたちが詰めかけていた。
魔女はクッ、と呻いたあと、
「もう少しだけガマンしててね」
と囁いて少女に背を向ける。
少女はその落ち着き払った声に聞き覚えがあった。だが、にわかには信じられなかった。
魔女は樫の杖を、右側の通路に向かってかざす。
すると部屋に次々と踊り込んでくるゴブリンたちの足元が、間欠泉のように吹き上がった。
地盤が対人用地雷のごとく鋭い破片となり、周囲に飛散する。
応援の初陣は礫のシャワーを浴び、原型がわからないほどの挽肉と化す。
かなり強力な魔法であったが、それはあくまで初動に過ぎない。
地面を盛り上げた者が起こした、これからの猛攻を予感させる前奏曲でしかなかったのだ……!
「「「グギャォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーンッ!!」」」
雄叫びの三重奏が、血に染まる洞内を、そしてゴブリンたちを震撼させる。
少女は目を見張った。
「ひっ、ヒドラ……!?」
大地から生える、三首の竜。
どれもが大樹の幹のように太く、焼けた鉄と見紛うほどの赤熱する鱗に覆われている。
全身から溶岩のようなどろりとした液体を滴らせ、巨体をうねらせるその様は……今まさに地獄の底から蘇ったかのようであった……!
ゆっくりと口を開くと、死神の鎌のような牙がのぞく。
喉の奥から迸ったオレンジの光で、ギラリと輝いた。
そして解き放たれる、裁きの業火。
地の底から突き上げてくるような轟音と爆音が交互に続く。
……ドンッ! ガァァンッ! ドンッ! ズガァァァン! ドンッ! グワッシャァァ……!
それは子供のケンカに大砲を、原始人相手に航空爆撃を持ち出したかのような光景だった。
小隕石のような火球は、通路の向こうからやってくるゴブリンたちをまとめてなぎ倒し、爆風で跡形もなく吹き飛ばす。
盾などを持ち出してはいるが、攻城兵器のようなブレスの前には障子紙同然。
増援がまたたく間に削られていき、屠殺される悲鳴が小さくなっていく。
その間、ヒドラの召喚主である魔女は、左側の通路からやって来るゴブリンたちを相手にしていた。
信頼のおける相棒に背中をあずけているかのように、見向きもせず。
そして彼女はただの一歩も動くことはなかった。
手をくい、とやるだけで、緑の小男たちが爆風に背中を押される。
しかし誰もが、足元に傅ことすら許されない。
身体を空中分解させられ、飛び出した目玉がピンポン玉のように足元に転がり、寄せる血の波となって……ようやくヒールに触れることを許されるのみ。
……シャル・ウィ・ダンス? この私に、近づけるのならね……!
魔女の口が、そう動いたように見えた。
妖艶なダンスの誘いは、誰であろうとも決して逃れられない……!
衝動のように突き動かされ、踊るように空中で散っていく……!
「ぶ、爆炎乱舞……!?」
血と炎と硝煙、そして咆号と叫喚が支配する空間のなかで、少女は叫んだ。
かつて、三首の竜を従える伝説の魔女がいた。
高位の魔法使いでも一発、最高の王宮魔道士であったとしても三発で魔力切れを起こしてしまう爆炎魔法を、吐息のように撃ち続けることができたそうだ。
爆炎を愛し、爆炎に愛された彼女を、人々は畏れ敬い、こう呼んだ……。
『ビッグバン・ラヴ』と……!
……ドッ! ガァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
落雷のような、ひときわ大きな爆鳴が轟く。
魔女が放ったトドメの爆炎は、落盤を起こして通路を塞いだ。
「ふぅ……まったく、キリがないんだから……でもこれで、しばらくは時間が稼げるでしょ」
魔女はひと息ついたあと、再び少女の元へと戻ってくる。
腰に下げていたナイフで、少女の両手を拘束していた皮ベルトを切った。
「いまはこれでガマンして」
しゅるんと滑るような音とともにマントを外し、少女の肩にかける。
魔女の外套の下にあったのは、黒いワンピースブラウスに白いエプロン。
まるでメイドのような、アンバランスな格好であった。
少女のなかで膨らみつつあった彼女への疑惑が、一気に真実味を帯び、爆発する。
「しゃ……シャリテさんっ!?」
礼を言うのも忘れ、息を呑む少女。
少女を救った伝説の魔女の正体……それはネステルセル家のメイド長だったのだ……!
「で、でも……『ビッグバン・ラヴ』は、今ではおとぎ話……! 私が子供の頃に死んだって教えられたのに……! それに、仮に生きていたとしても、こんなに若くは……!」
シャリテは矢継ぎ早の疑問をぴしゃりと遮った。
「私は『ビッグバン・ラヴ』じゃないわ。そんなことはどうでもいいの。そんなことより、ひとりでゴブリンの洞窟に乗り込むなんて、ムチャよ!」
いつもはやさしいシャリテだが、怒ると怖い。
さしもの少女もしゅんとなってしまった。
「ご、ごめんなさい……すこし、油断をしてしまって……。でも、どうしてここがわかったんですか?」
「あなたの後をついて来てたのよ。さすがに罠にかかって転落したあとは、探すのに手間どっちゃったけどね。」
「ついて来たって、どうして……!?」
「レイジくんに言われたの。あなたがムチャするかもしれないから、見張っておいてくれって」
「れ、レイジくんが……!?」
崩れた通路の向こうから、さらなるゴブリンの声が迫ってくる。
ふたりは同時に瓦礫の山のほうを見やった。
「まったく、しつこいわねぇ……!」
メイド姿の魔女は、再び窮地に立たされたかのように歯噛みをする。
少女はマント一枚だというのに、凝りもせず奮い立っていた。
「やりましょう、シャリテさん! 私も助太刀します!」
「なに言ってるの。私はあなたを助けに来ただけで、ゴブリン退治に来たわけじゃないわ。それにふたりだけじゃ、命がいくらあっても足りないから、このまま逃げるわよ」
「えっ、でも……!? シャリテさんほどの魔法の使い手なら……!」
世間知らずの少女に、魔女の顔に再び厳しさが戻ってくる。
「あのね、あなたが村でゴブリン退治を演説したとき、村の人たちは誰も賛成しなかったでしょう? その意味がわかってなかったの?」
首をふるふると振る少女に向かって、一気にまくしたてる。
「ゴブリンは食い扶持を確保するために、群れの数に応じた悪さをするの。村を襲うということは、相当な規模になっているでしょうね。きっとこの洞窟だけじゃなくて、他にも棲家はあるでしょう。ひとつのゴブリンの巣を殲滅させるには、手練の冒険者が大勢……それこそ分隊くらいの数が必要なの」
魔女は噛んで含めるように言ったつもりだったが、少女はなおも食い下がる。
「で、でも、このまま放ってゴブリンをのさばらせておくなんて、私にはできない!」
「いまは退散するだけで、放っておくだなんて言ってないでしょう? 大丈夫、きっと根こそぎ追い払ってくれるわ」
「追い払ってくれるって、そんな他人事みたいに……! それに、いったい誰が……!?」
「レイジくんに決まってるでしょう」
「れ、レイジくんが……!? 彼って、そんなに強いんですか……!?」
「ううん。彼には一切の適正がないの。魔法は使えないし、剣の腕もさっぱり……。この前グランちゃんと遊びでやってたチャンバラも、一方的にやられてたしね」
「じゃ、じゃあ、ダメじゃないですかっ!? どうしてそんな人がゴブリンを追い払えるっていうんですかっ!?」
「うーん、方法はわかんないけど……。私は彼を信じてるから」
「レイジくんを、信じてる……?」
「ええ。彼はいくつもの不可能を、ゲームで可能にしてくれたでしょう? 『ゴブリンストーン』で白金褒章をとって、『ブリーズボード』でセンティラス様の御病気も快方に向かわせた……。それに、私がいくらやっても無理だったことを、あっさりとやってのけたしね」
「シャリテさんが無理だったこと……? そんなこと、あるんですか……?」
「ええ。ハイザー様が亡くなられた時、塞ぎ込んでいたコリン様を……立ち直らせて、笑顔にしてくれたこと。私ではできなかったでしょうね、悔しいけど……」
瓦礫の山がガラガラと崩れ始め、隙間からゴブリンたちの顔が見え始めた。
魔女は言葉を打ち切って、少女に手を差し伸べる。
「だからあなたもレイジくんのこと、信じてあげて。あなたに見張り台に立つように指示したのも、きっとなにか理由があるはずよ。今は彼を信じて協力してあげて。ね、お願い」
「しゃ、シャリテさんがそこまで言うなら……わかりました、信じてみます。でも……誤解しないでくださいね、信じたのはレイジくんじゃなくて、シャリテさんなんですからねっ!? そこのところは誤解しないでくださいね!? いいですねっ!? 絶対ですよ!」
少女は赤い顔で何度も念を押したあと、ギュッと手を握り返した。
シャリテはこの期に及んでも意地を張る、少女の気持ちが理解できなかったが……今はこれ以上の論議をしている場合ではない。
「わ……わかった、わかったわ。あっ……! もう瓦礫が持たないわ、早く行きましょう!」
急かすように少女の手を引き、瓦礫とは反対側の通路へと向かうシャリテ。
鎮座する三首竜に向かって「あとはお願いね」と、まるで番犬のように声をかけてから走りだした。
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