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そのさん

 ――どうして。


 ハッと我に返れば、魔王のねっとりとした闇が私を取り囲んでいた。


「勇者殿!」


 闇を振り払うように剣を振り回しながら、王子様が叫ぶ。

 騎士殿と魔法使いは、魔獣を相手にしていた。


 ――どうして、彼女だけが救われない。


 思わず、え? と訊き返し、注意がそれてしまう。勇者(マスター)、と剣に呼ばれたような気がするが、私の注意は魔王に行ってしまっていた。


 この“封じの穴”への旅の間、ずっと一緒だったのだ。


 私の中に、何かが流れ込んでくる。

 くるくる回る走馬灯のような、私じゃない誰かの、たぶん、護衛の記憶が。


 見るもの聞くものすべてが初めてだと喜び、見たことのない草花を愛で、旅を楽しいと笑う、美しく可憐な“聖女”。

 司祭以外の人間と話すのは初めてなのだと嬉しげに目を細め、人々と交流し、彼らを救うために頑張るのだと自らを励ましていた。

 そんな聖女の護衛であることは栄誉であり、そして、このうえない喜びで。


 だから、この浄化の旅の終わりに聖女は生を終えて天へ帰るのだと知った時も、にわかには信じられなかった。

 単に、“穴”まで聖女を無事送り届け、封印の儀を終えたらまた連れ帰ればいいのだと考えていたのだ。


 ほんのりと甘くて幸せで、けれど苦くて不幸な、護衛の記憶は続く。


 聖女自身によって“穴”の澱みが浄化されるなんて、知らなかった。

 何度も何度も繰り返されていることも、その度に聖女がこの地に降りては短い生を終えることも、知らなかった。

 この世界に生まれ落ちた聖女は、すぐに神殿に囲われる。

 神殿で女神の教えを受けながらひたすらに己の聖性を磨く生活を送り、力が十分に高まったところで“穴”へと赴いて澱みを清め、また消える。

 ただそれを繰り返すためだけに存在するのが聖女だった。

 聖女ひとりが澱みという人間の業を引き受けて皆の代わりに死ぬ。

 ゆえに、世界は救われても聖女は救われない。

 未来永劫、何度生まれ変わっても、聖女が救われる日は絶対に来ない。


 どうすれば聖女は救われる?

 いっそ、聖女が聖女でなくなれば救われるのではないか。


 聖女の資格は純真無垢であること。

 ならば、聖女を汚してしまえばいい。

 その上で連れて逃げてしまえばいい。

 神殿のない土地はまだ多い。このまま辺境へ逃れてしまえば、追っ手だってそうそう追いつけまい。


 けれど、どんなに考えても、聖女自身が「皆を救うための聖なる役目」を果たそうとする以上、護衛は護衛の任を全うすることしかできない。

 

 最後の最後まで、聖女が役目を果たすその瞬間まで、護衛は迷い続け……そして、迷い続けただけで終わってしまった。


 聖女は戻らない。

 消えた聖女に手を伸ばし、護衛は慟哭する。


「だけどさあ!」


 呑み込まれそうになる意識を奮い立たせるように、私は叫ぶ。


「それって要するに、あんたがただのヘタレだっただけってことじゃないか! 人のせいにすんなバカ!」


 魔王になるほどなのだ、護衛の嘆きも後悔も怒りも本当に大きいんだろう。


 けれど、肝心なところで何もしてない、ただのヘタレ男じゃないか。

 ヘタレのくせに、いっちょまえに魔王になんかなりやがって大迷惑だ。

 明るい大学生活と成人式を失った私の方が怒ってるんだぞボケが!


 ――こんな世界など、無くなってしまえばいいのだ!


 そう、護衛は血の涙を流して叫ぶ。


 ――うるさい黙れ腰抜けヘタレ!


 私も負けじと叫び返す。


 たしかに、そんなクソな浄化システムを構築する女神はバカだ。

 私にだって、そのくらいはわかる。

 そのバカ親たる女神に甘やかされまくったこの世界の人間だって、他力本願の甘えた子供なんだろう。

 けれど、それ全部無くなってしまえばいいとまでは思わない。


「悪いなとは、思うんだよ」


 聖剣の放つ光が闇を払い、魔王の身体を切り裂いていく。


「もっと他の方法があればよかったのに、とは思うんだ」


 私に勇者として与えられた力では、殺して終わらせることしかできない。

 私の力じゃ、護衛と聖女にハッピーエンドをあげられない。

 そもそも、勇者なんて万能じゃない。


 切って切って切り裂いて……無我夢中で、聖剣の導きのままに剣を振り回す。疲労困憊のあまり膝をついた時には、あたりの闇はすっかり晴れていた。

 目を上げれば、人型に降り積もった黒い塵が、風に吹かれて舞い散っていくところで……。


「勇者殿、見事だ」

「――あ」


 王子様に手を差し出されて、ようやく周りが目に入った。ふう、と息を吐いて、王子様の助けを断り立ち上がる。


「勇者殿、まだ何か?」


 不思議そうに問う王子様に曖昧に頷いて、私はぽっかりと地面に開いた“封じの穴”に近づいた。

 底の知れない、深い深い真っ暗な穴。

 穴の闇は、澱みを呼ぶ。

 この穴に吸い寄せられて集まった“負のエネルギー”が澱みとなる。

 澱みはここに留まり続け、飽和を迎える五十年後には再び浄化が必要となり、次代の聖女がこの地に降り立つのだ。


「“暁の聖剣よ”」


 穴の縁に立って、私は剣の力を呼び出した。

 魔王との戦いのあとで、力はろくに残ってはいない。

 けれど、やるなら今しかない。


「“聖なる女神と暁の勇者の称号において命じる”」

「勇者殿?」


 司祭くんが怪訝そうに私を呼ぶ。


「――勇者殿、まさか!」


 魔法使いが声を荒げる。


「“この穴を断つんだ。二度とこんなものが開かないように、空間を断ち切れ――穴なんていらない。無くしてしまえ!”」


 振り下ろした剣に、何かがスパッと切れた手応えが伝わってくる。

 さすがチート聖剣。こんなわけのわからない穴も切れるらしい。

 真っ二つに切り裂かれた穴が、ぐるぐると渦巻くように、虚空に吸い込まれるように消えていった。




 司祭くんが呆然と、「これでは、“負”の浄化が」と呟いた。


「そんなの、自己責任だ。自分のことは自分でなんとかしろだよ。他人(聖女)に丸投げするな。馬鹿かお前ら」


 チ、と舌打ちをする音に続いて呪文の詠唱が聞こえた。

 振り向く私の背後に、印を結び複雑な紋様を空中に描き、声に乗せて不思議な響きの音を紡ぐ魔法使いがいた。


「魔法使い、それって……」


 訊くまでもない。

 これまで彼に教わった知識を総動員して考えるに、間違いなくそれは送還を意味する魔術語を散りばめた呪文で、集まる魔力は魔王を倒したから云々なんてのは関係ない、いつもの魔術とそう変わらないもので……。


「お、おま……騙したな! 私を騙してたな!」


 その呪文で私の足元に展開されるのは、あの日見たキラキラ光る紋様で。


「私のことすぐ帰せたくせに、騙してたな!」

「多少のリスクはありますが、送還の呪文は存在していましたから」


 ギリッと歯をくいしばる私を、魔法使いは目を眇めてじっと見据える。


「なんで……」

「このまま、あなたを王城へ戻すわけにはいきません」

「どういう意味よ」

「魔王を倒し、“穴”を閉じ、あなたこそがこの世界の災いとなりましたから」

「意味、わかんない!」


 紋様の光が増していく。ゆっくり、ゆっくりと紋様の中に沈み始める私は、聖剣をしっかり抱きかかえた。


「魔法使い殿、聖剣が」


 司祭くんが慌てたように声をあげる。騎士殿と王子様が、呆然と私と魔法使いを見つめている。


「こ……こいつは慰謝料として頂いてくからな、ばっかやろおおおお!」


 その叫びだけを残して、私の身体は完全に紋様に呑み込まれた。



 * * *



「勇者、勇者アキ。あなたの協力に感謝し、あなたの願いをひとつ叶えましょう」


 ふわふわと漂う、光と瞬きに満ちた空間に、不思議な声が響いた。柔らかく、慈悲深く、愛に溢れた……そう、赤子に対する母親のような呼びかけ。

 その声に呼応するように、頭の中に笑みを湛えた女神の顔が浮かぶ。


「どんな願いでも?」

「ええ。富、長寿、幸運……どんな願いでも」


 ゆっくりと頷く女神に、私はひとつ息を吐いた。

 叶えるべき願いなんて、ひとつしかない。


「なら、あの“聖女システム”は廃棄して」


 女神の、菩薩像の浮かべるような美しい笑顔が、わずかに強張った気がした。


「それでは、負の感情が人々に悪しき影響を与えてしまいます」

「そんなの各人の自己責任だよ、女神様」


 私は何を言ってるんだと笑う。

 そんなもの……それを抑えるのは、人間の、本人の理性の役目じゃないか。


「自分の嫌な感情なんて、本当は自分自身で克服して昇華しなきゃいけないものじゃないか。少なくとも、私のところじゃみんなそうしてる。それをサボって聖女ひとりに全部おっかぶせる仕組みなんて、最初から破綻してたんだよ」


 じっと見つめる女神様に、私は軽く肩を竦める。

 嫌なものに蓋をして、目に触れないよう捨ててしまえばいいって、子供を最高にスポイルする奴じゃないのか。


「そもそもシステムに無理があったって、今回のことでわからなかった? そんなの戻したところで、どうせすぐにまたガタが来るに決まってる」

「そうでしょうか」

「――それにさ、女神様は人間を舐めてるでしょ。女神様の作り出したかわいいペットみたいなものだもんね」

「あなたは、とても不遜なのですね」

「親の躾がよかったから」


 女神は不快を表す。

 一神教のわりに、この女神からはあまり万能感を感じない。


「今回の事件で、それでも優しさや穏やかさを維持してた人間がいるって、気づかなかった? 魔王のせいで世界は荒れたかもしれないけど、それでも自律を忘れない人なんてたくさんいたじゃん」


 女神は伺うように、私を見ている。

 だいたい、あの王子様や騎士殿からして、相当頑張っていたと思うのだ。司祭くんも魔法使いも含めて、きっと身分にふさわしくちやほやされて暮らしてたはずだ。それなのに勇者の結構な無茶振りに応え、身分なんだそれな扱いを受け、最後にはせっかくのイケメンが台無しになるくらいドロドロのボロボロになっても不平なんて言わなかった。


「わたくしの機嫌を損ねれば、帰れなくなるとは思わなかったのですか?」

「……聖剣は、女神様のお手製だと聞いたけど」

「ええ、たしかに、それはわたくしの被創造物です」

「この聖剣を作った女神様が、話の通じない相手だとは思えなかったんだ」


 女神は小さく吐息を漏らす。

 意外に人間臭い反応に、私はちょっとだけ驚いた。


「わたくしは、ただ、あの世界を作ったものとして、あの世界に生きるものを幸福に導かねばならないと考えるのみです」

「……でもさ、女神様」


 私みたいな若造が言うべきことなのかわからない。


「でもさ……山も谷もない幸せって、つまらないよ。悪いことは全部人任せにしていいとこ取りって、そんなにいいかな」


 女神は口を噤んだまま、じっと私を見つめている。


「それに……ほら、今回のことでシステムの欠陥が見つかったんだし、しばらくシステム無しでやってみるのもいいんじゃないかなーと。

 やってみてダメだって思ってから、聖女浄化システムを復活させるのは?」

「――わかりました」


 何か考えるように、女神はまた小さく息を吐く。


「あなたの言葉にも一理あるでしょう。“穴”を戻すにも今すぐというわけにはいきません。あなたの提案のように、人間たちに自律が可能なのかどうか、わたくしは見極めてみようと思います」


 ほ、と安堵の吐息を漏らす。

 どうやら、女神はシステム復活を見送ることにしたらしい。


「では、そろそろあなたをあなたの世界へと戻しましょうか」

「あ、あ、あ、私があの紋様潜った日に戻しては……」

「それはできません」

「え、あ……やっぱり?」

「わたくしに、時の流れに干渉するような力はありませんから」

「ですよねー……」


 がっくり項垂れる私を、女神がくすりと笑った気がした。


「聖剣は、あなたが持ってお行きなさい。聖剣自身もそれを望んでいます」

「え」

「では、あなたを、あなたを探す者の元へ」

「ちょ、剣なんか持ってたら、銃刀法違反が……」


 ふっ、と女神に息を吹きかけられて、私は思い切り飛ばされた。



 * * *



 ぐちゃぐちゃのどろどろの、鎧も剣もそのままで自宅の庭にぽてりと落とされた私は、すぐに母親に見つかった。

 が、あまりに汚すぎる姿に発狂したように叫ばれ、ホースで水を掛けられて綺麗になるまでゴシゴシ洗われたのは、また別な話である。


 それから、あの後あの世界がどうなったかはわからない。

 もう、私の気にするところじゃないだろう。

 ――そんなことより、私の就活のほうが問題なんだから。


そして、「妖サポートセンター」へ続く

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