そのに
「聖女による浄化がどのように行われるか、神殿はあまり明らかにはしていませんが」
そう前置いて、魔法使いはふっと笑う。
「掻い摘んで説明しましょうか」
「うん」
頷く私に、司祭くんを制して魔法使いは続ける。
「“封じの穴”に、澱み……つまり負のエネルギーが溜まり切る前に、聖女に護衛ひとりを付けてその地へと送り出します。聖女は“穴”に到着し次第、浄化の儀を行います」
「――それだけ?」
「はい、儀式としてはそれだけです。
付け加えるなら、護衛の役目とは、聖女が確かに“封じの穴”を浄化するまでを見届けること。浄化を完遂した後、護衛の帰還と報告があってはじめて、神殿は浄化が果たされたことを世界に宣言します」
「ええと……その儀式自体って何なの? それに、見届けた護衛の帰還で完了ってのがよくわからないな。聖女が無事に帰還して完了なんじゃないの?」
魔法使いが「勇者殿は察しの悪い方ですね」と呟いた。
まさか、と私は瞠目する。
「――聖女って、浄化をしたらどうなるの」
「神の子たる聖女は、その身を以って穴の底に溜まった澱みである“負”を浄化するんですよ。魔術的に説明するなら、相反するふたつのエネルギーをぶつけて相殺するとでも言いましょうか」
「ちょっと待って……SFでいうところの、物質と反物質がぶつかって対消滅、みたいに聞こえるんだけど」
「えすえふも対消滅も存じませんが、似たような事象のように聞こえますね。
とはいえ、一説では、浄化を行なった聖女の魂は完全に消滅するわけではないとも言われています。
なんでも、無事に役目を終えた聖女の魂は、女神ご自身の手で掬い上げられるのだそうですよ。そのまま女神の御許へ留まり、次の役目までに女神御自らの手により修復されるのだとか」
「つまり、この世界は……聖女ひとりを犠牲に平穏を保ってる?」
魔法使いはやれやれと肩を竦めた。
「勇者殿」
司祭くんが、私の言葉にいち早く反応して、一歩踏み出て……けれど、魔法使いが、それを遮るように言葉を繋ぐ。
「“聖女”とは、そのために存在する方ですから」
「つまり、神の子として生まれた聖女は、この世界の中和剤ってこと?」
「ああ、確かに。ある意味、中和剤ではあるかもしれません」
「魔術師殿、その言いざまは聖女と女神に対する不敬です」
淡々と述べる魔法使いを振り向いて、司祭くんが咎めるように顔を顰めた。魔法使いは、ちらりと司祭くんを一瞥して口を噤む。
「勇者殿、聖女とは、女神がこの世界を健やかに保つために遣わされる、神の御使であると言われています。
聖女の役目は、この世界を汚染する澱みを浄化し、女神の御許へ帰ること。
我々が聖女を犠牲にしているわけではありません。聖女が、ご自身の役目を果たすために、この地に降りてきてくださっているのです」
たしかに、この世界と地球とでは世界の成り立ちかたが違う。
地球の感覚では聖女を犠牲にしているように見えていても、聖女自身も納得ずくの“お役目”なのかもしれない。この地の人間でない私には、理不尽じゃないかなんて文句を言う権利などないんだろう。
それでも、うまく呑み込めない何かを感じつつ、でも、私は頷いた。
王子様と騎士殿が、安心したように胸を撫で下ろしていた。
ともあれ、どうして今回に限って、魔王が出現することになったのかは気になる。だが、今はそれをどうにかするほうに集中すべきだ。
魔王のお膝元まで来てしまったのだから。
もはや人里なんてはるか彼方で、私たちの姿は埃その他の汚れでドロドロだ。とても人に見せられたものではないが、もう、五人とも慣れてしまった。気にしてもしかたない。
順番に見張りをして休む間も、魔獣は襲ってくる。鎧を脱ぐことすらできず、本当に、心身ともにしっかりと休めるのは、魔王を無事倒せてからだろう。
明日にでも魔王戦か、と考える。
この三年で剣も魔法も使えるようになった。たとえ魔獣が相手でも、生き物を切ることへの抵抗もなくなった。
それでも本当に魔王が倒せるかどうかなんて、やってみなけりゃわからない。私は聖女でもなんでもない、ただの人間でしかないのだから。
それに。
魔法使いの語る聖女の話から察するに、この四人のイケメンは、私につけられた監視役なんだろう。
監視とするには少々もったいたいほどのスペックのイケメンばかりだが、もしかしたら、勇者というのは使い捨てではないのかもしれない。
あわよくば、この四人の誰かと私が恋仲にでもなれば……ってのを狙ってもいるのかもしれない。そうなれば、この世界としても万々歳だ。“勇者”という安全で強力な力を、手許に留めておけるんだから。
そこまで考えて、私は頭を振る。
――穿った見方なんて、やろうと思えばいくらでもできる。
だが、さほど間違ってなさそうな気もして、そっと溜息を吐く。
「勇者殿」
小さく声が掛かって、私は振り向いた。
王子様だ。
正統派キラキライケメンのはずなのに、今は等しく汚れでドロドロで、せっかくの美貌も台無しだ。
「勇者殿、何か、憂うことでも?」
やや心配そうに尋ねられて、私は肩を竦める。
「別に、成人式にはとうとう間に合わなかったなって思っただけだよ」
「勇者殿……その、せいじんしきというものはいったい? 式典なのか?」
「んー……日本じゃ、二十歳になると社会から一人前の大人だと認められるんだけど、それを祝う式典ってところかなあ。
その日のために用意した振袖で着飾って、子供時代の友達と会って、成人したんだからってお酒飲んでお喋りして……楽しみだったんだよなあ」
「そうだったのか」
王子様も、小さく息を吐く。
「それに、大学だってせっかく入ったのに、この分じゃ退学か除籍のどっちかだろうし、そうなったら就職もどうなるかわかんないし……魔王を倒した後の人生設計はどうしたもんかなあってさ。
帰ったあとの自活は難しそうだなと思うと、頭が痛いね」
苦笑する私に、王子様がわずかに眉を寄せる。
「ならば、勇者殿……」
「ん?」
「魔王を倒した暁には、私があなたのために美しいドレスを用意しよう。あなたの成人の儀を祝うための夜会も開催しようではないか」
「え、は?」
「あちらに帰っても暮らし向きが困難だというなら、こちらに残れば良い。私はこの後爵位を得て臣籍に降ることは決まっているが、しかし、あなたのための便宜を図るくらいの力はある。容易いものだ」
やけに真剣に言われても、私には、曖昧に「はあ」としか返せなかった。
さて、さすが魔王のお膝元である。
でてくる魔獣は、魔王の瘴気を受けてほとんど異形といっていいほどに姿を変えていたし、持てる力もさらに増していた。
火や酸を吐くもの、脚がムカデのようにたくさん生えたもの、大きく裂けた口の中に、でたらめに牙を生やしたもの。
それに、魔法に似た力を使うものも多かった。
どれもが私たちを見つけるなり、敵意も露わに襲いかかってくる。魔法で姿を隠しているのに、ますます増える魔獣のせいで、遅々として進めない。
水はともかく、食事は女神の奇跡で出した栄養はあっても味気ないものばかり。休息だってしっかり取ることは叶わず、疲労は溜まっていく。
それでも女神の加護か勇者チートのおかげか、私たちは澱みの中心、“封じの穴”のある場所……通称“魔王城”に到達した。
ブゥン、と聖剣が唸りを上げる。
ようやく神敵を見つけたと喜んでいるようだ。
「勇者殿、油断なさらぬよう」
「わかってる」
騎士殿が黒い靄のような闇を透かし見るように、周囲をぐるりと一瞥する。
魔王がどんな姿をしているのか、誰も知らない。ただ、ひたひたと寄せ来る何か恐ろしいものの気配が、ここに魔王がいることを示していた。
どろどろの、まるでゲル状の半固体みたいに感じる闇が、どんどん深さを増しているようで……。
「勇者殿」
「わかってるよ」
魔法使いの呼び掛けに頷いて、私は高く剣を掲げる。
「“この世界を創りし聖なる女神の祝福と、我が暁の勇者の称号において命ずる”」
私の祈りに司祭くんが唱和しながら、女神を象徴すると言われるスタールビーの粉をあたりに振り撒いた。
「“あまねく世を照らす明けの光よここに”」
剣からまばゆい光が迸る。
それに呼応するように、司祭くんの撒いた粉がキラキラチカチカと瞬く。
写真で見た、厳寒の北の大地で煌めくダイヤモンドダストみたいだ。
周囲の闇がいっきに薄れ、ほっと息を吐いて私は剣を構え直す。
現れたのは、漆黒の粘液のような闇を纏うかつての人間、だった。
――前回の浄化では、護衛が戻らなかったのです。
旅立つ前に司祭くんがちらりと言っていたことを思い出す。
さもありなん、だ。
魔王の前身が人間だってのは、ゲームでも小説でも定番だろう。ネタとして使うには王道すぎて、目新しさなんぞないなと考えてしまうくらいには。
だいたい、こうも負の感情を拗らせて魔王にまで進化するなんて、人間以外にはできないことじゃないか。
「やっぱり、護衛だったね」
司祭くんは信じられないと目を瞠り、私は溜息を吐く。王子様と騎士殿は、ぐっと剣の柄を握り締めた。
平然としているのは、魔法使いくらいか。
司祭くんは……王子様も騎士殿も、人間が魔王になるわけがないと言った。
人間は皆、生まれた時に女神の祝福と加護を受ける。
だから、“魔王”になるほどの澱みを取り込むことなんて絶対ないのだと司祭くんは言い切ったが、蓋を開けてみればこのとおりだ。
「勇者ソード、正念場だ」
はあい、と少年めいた返答が剣から伝わる。ブンブンと唸るように震えて、剣から力が伝わってくる。
大きく深呼吸をして、私は魔王目掛けて走り出す。
これが終わったら帰るんだ。
大学スタートのあの日にさえ戻れれば、私の青春だってやり直せるはずだ。
いや、戻れるかはわからないけど、魔王を倒すなんて偉業を成し遂げるんだから、女神もそのくらいのお願いは聞いてくれたっていいはずだ。
とにかく、これさえ終われば、凱旋なんだ。