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そのいち

 煮詰めた闇、みたいだと思った。


 ここへ辿り着くまでさんざん感じ取ってきた瘴気が、ここに来て急にどろどろに煮詰まったスープにでもなったかのようだ。


「勇者殿」

「わかってるよ」


 息苦しい澱んだ気配の中、私は剣を抜く。

 どろどろの闇の奥に潜む何かは……たぶん、元は人間だったのだ。人間だったのに、怨嗟、嫉妬、憤怒等々、諸々の負の感情によって、今はもう原形をとどめていない何かに変わってしまっている。


「“この世界を創りし聖なる女神の祝福と、我が暁の勇者の称号において命ずる。あまねく世を照らす明けの光よここに”」


 剣からまばゆい光が迸り、澱んだ闇をわずかに薄める。



 * * *



「しかたないから、五年でどうにかする計画を立てようか」


 パンを咥えたまま走り出し、角を曲がった先で突っ込んでしまった妙な光る紋様の向こう側、聖なる女神の創ったこの世界で、“勇者殿”などと呼ばれた私は、これ以上なくがっくりと項垂れた。

 そんな展開、ラノベだのアニメだのの中だからこそ楽しめるのだ。現実に起こって楽しいわけがない。




 “聖なる女神”に創られしこの世界では、現在とてつもなくイレギュラーかつ深刻な問題が起こっていた。


 魔王の台頭である。


 この世界では、人々の活動から生まれる負のエネルギーを一箇所に集めておき、五十年に一度聖女がその地に赴いて浄化するという儀式(システム)があった。

 そうしないと、世界に負のエネルギーが飽和し、世に災いを……今現在、“魔王”と呼ばれる災いとなり、世界を脅かすからだ。


 ――意味がわからないが、女神だの聖剣だの魔法だのがある世界なのだ。聖女も魔王も実際に存在するのだし、地球のエネルギー保存の法則みたいな物理や常識とは無縁なのかもしれない。


 ともかく、その、聖女による浄化は数年前……正確には八年ほど前に実行され、負のエネルギーは魔王となることなく霧散したはずだった。

 世界は浄化され、また、五十年の安寧をゲットできたはずだった。


 なのに、なぜか魔王が生まれてしまったのだ。


 なんらかの要因で聖女による浄化に失敗したか、それとも、負のエネルギーが大量発生するような要因があったか。

 なら、もう一度聖女に浄化させれば……というわけにもいかない。


 ひとりの聖女が浄化できるのは、ただの一度だけと決まっている。


 今代の聖女はすでに役目を終え、次代の聖女は未だ現れていない。

 聖女がいなければこの世界は詰み、だ。

 魔王に蹂躙され死に絶えた荒野ばかりとなるのが先か、次代の聖女が生まれて力をつけるのが先か……。


 何日も議論が重ねられ、神託を求め、出された結論が「勇者召喚」だった。




 滔々となされた説明の内容には呆れるばかり。

 私にとっては迷惑すぎる話だ。

 しかも、今の魔王による世界の汚染速度を考えると、現状を維持できるのは少なく見積もって五年だという。

 五年以内に、この世界の惨状をどうにかしないといけない。

 ロールプレイングゲームかよ。


「私さあ、今日から女子大生デビューだって、めっちゃウキウキしてたんだよね。春休み使って化粧テク磨いてたし、合コンとかほんっと楽しみでさ……」

「じょしだいせい? ごうこん、ですか」


 溜息を吐く私に、ワンコ系イケメンな女神の司祭くんが首を傾げる。


「なのになんで私ここにいるんだろうね。しかも剣抜いたから勇者とか、そこは聖女じゃないのかっつーの」

「いえ、しかし女神はたしかに勇し……」

「しかも五年? 舐めてんの? こちとら素人だっつーの。そりゃ高校の時は山ひとつ越えて自転車(チャリ)通学してたから体力はそこそこあるけど、そんだけだって。何が剣だよ。竹刀だってろくに触ったことねーっつーの」

「その、勇者殿……」

「黒い害虫ならともかく、ネズミすら殺したことがことないのに魔王()れとかマジ? 現代日本人舐めてんの?

 それに、五年ってつまり成人式までに家帰れないってことだよね。私、振袖めっちゃ楽しみにしてたんだけど、どうすればいい?」


 私の勢いに呑まれてか、司祭くんは口を噤む。

 その代わりに、今度はこの国に仕える最高クラスの実力だという魔法使いくんが口を開いた。こっちはクール系イケメンだろうか。


「その、勇者殿が無事使命を果たしてくだされば、魔王を滅したときに解放される魔力を使い、故郷へと送り返すことは可能だ」

「……私に選択肢ないってことじゃん」

「端的に言って、その通りです」


 長いずるずるした衣装を着込んだ魔法使いくんはゆっくりと頷く。

 その通りだから従えというのか。

 ふざけてるのか。


「勇者殿には、我が国から図れるだけの便宜を図るつもりだ。

 どうか、この国を……いや、世界を救ってはいただけまいか。もう、我々には勇者殿だけが希望なのだ」


 いかにもな正統派キラキライケメンの王子様が、悔しげに眉を寄せる。

 世界を救えとか、重い。

 これ以上なく重い。

 浮かれたハイティーンの女子でしかない私に任せていいことじゃない。


 それにしても、さすが王宮と言うべきか。

 イケメン揃いで目が潰れそうだ。


「もちろん、勇者殿だけを矢面に立たせるわけではない。私や殿下、魔術師殿と司祭殿もお供する」


 とてもとても真摯にじっとこっちを見つめる騎士殿も、やっぱりイケメンだ。偉丈夫とか称される、軍属ハリウッドヒーローみたいなマッチョのイケメンだ。

 ここはイケメンしかいないのか。

 それとも、イケメン揃えてイケメンパワーで私を押し切るつもりか。


 が。


「――倒さないと、帰れないんでしょ」

「勇者殿、それでは!」


 どう考えたって、結論はそこだ。

 魔王を倒さなきゃ帰れないというなら、従うしかない。

 王子様の顔が明るくなる。

 あからさまに「やった!」という笑顔を浮かべている。


「帰れないんだから、やるしかないじゃん……でもさあ、私、剣どころかナイフ持ち歩くだけで犯罪者扱いされて捕まる国から来たんだよ? 切った張ったどころか、他人に張り手かましたことすらないんだから、そこは考慮してよね」

「勇者殿、ご安心を。私が剣を、魔法使い殿が魔術を伝授いたします。期間は厳しいですが、半年間で基礎を叩き込みましょう。

 それに、戦いの折には聖剣が導いてくれるはずです」

「はあ……あの喋る剣がねえ……」


 私の運動神経は、ぶっちゃけてしまえば中の上といったところだ。

 高校時代の体力測定は女子平均をちょっと上回る程度。体力はあるほうだが、取り立てて良いところも悪いところもないという程度でしかないというのに、ファンタジーロールプレイングゲームの主人公みたいなこと、本当にできるのか。


 騎士殿はキラキラした笑顔で、だから心配ありませんと頷いた。

 心配ないどころか、心配しかないのは気のせいじゃない。

 魔法使いくんと司祭くんは、急ぎ、専用の装備を用意しようとか、ぶつぶつと相談を始めていた。

 私は溜息しか出ない。



 * * *



「なんとかなっちゃったんだよな」


 魔王城……と思っていた場所は、北の果ての荒野のど真ん中だった。

 魔王が顕現して真っ先に汚染された、真っ黒で何もない土地。

 生きるものは何もなく……そう、それこそ、“ぺんぺん草一本生えない不毛の大地”と成り果てていた。




 ここへ辿り着くまでの三年間というもの、世界中を隅から隅までくまなく歩き回ったんじゃないかと思う。


 曰く、女神の加護を得なければ瘴気に耐えられないだの、魔王の瘴気を弱めるためにどこそこの迷宮を超えなきゃならないだの、ファンタジーロールプレイングゲームのシナリオか、みたいなことをこなすためにだ。


 途中、この世界の住民たちの困りごとを解決することも多かった。

 彼らは決まって「私たちを助けてください」「世界を救ってください」と私に祈った。私は祈られるようなことなんて何もしていないのにだ。

 私は単に、そうしなきゃ帰れないから、魔王を倒しに出てきただけなのに。

 この世界の滅亡よりも、現代日本に本当に帰れるかどうかということのほうが、私にとっての重大ごとだった。


 そんな私に、司祭くんが語る。


 本当は、この世界はこれほど荒れてはいなかったのだと。

 私から見れば、スリや置き引きには注意しましょう、とか、都心部の夜歩きは気をつけましょう程度の治安だというのに、司祭くんの話ぶりでは相当に不穏な世の中になってしまっているらしい。

 およそ犯罪らしい犯罪どころか喧嘩のような争いごともめったに起こらないなんて、いったいどんなお花畑ワールドなのかと、私は首を傾げてしまう。

 人間にとっての脅威は、町の外からくる魔獣だけなんだというが、それ、どういう世界なのか。


 “この世界では、人々の活動から生まれる負のエネルギーは澱みとなり、そのすべてが一箇所に集積され、聖女によって浄化される”

 王城で聞いたその話が、じわりと思い起こされた。




「ねえ、あんたたちの言う“負のエネルギー”って、つまり、何?」

「勇者殿?」

「何なの? 負のエネルギーって、どこから生まれてくるの?」


 とうとう興味が勝って質問する私に、司祭くんは戸惑い顔で口を開く。

 この世界のことなんて知っても仕方ないと、変に知って愛着がわいたりしたらどうするんだと思っていたのに、とうとう興味が勝ってしまったのだ。


「怒り、悲しみ、憎しみ、嫉み……そういった悪心が生み出す力です」

「つまり?」

「つまり、女神は、悪心が生み出すその力こそが人々の平和と安寧を脅かすのだと教えています。悪でしかないそれを、我々人間より分離、集積し、さらにはそれを浄化する聖女という存在を生み出したのです」


 司祭くんの説明が今ひとつピンと来ない私を、王子様や騎士殿が不思議そうに見つめた。この世界では常識なのだろうが、私はそんな常識は知らない。

 ただ、司祭くんのその話で頭に浮かぶのは、浄水器の仕組みだった。

 蛇口の先端に付けて、フィルターやらなんやらを通して水道水から余分な成分を取り除き、おいしい水に変えてくれる、アレ。

 フィルターには濾しとった汚れが溜まるし、雑菌だって繁殖するから、たまに交換しないときれいなおいしい水を維持することはできないのだ。

 新しいものに交換してしまえば、古い汚れたフィルターは用済みだ。ゴミとして捨ててしまうしかない。


「その、浄化っていうのは……聖女って、いったいなんなの」

「女神がお選びになった、この世界でいちばん無垢な者のことですよ。

 女神のお告げにより見出され、物心の着く前に神殿に召し上げ、世俗から切り離し、“聖女”としての尊い役割を学ばせながら育てられます。

 そうやって十分な力を得て、然るべき時を迎えた暁に、“封じの穴”へと送り出され、役目を果たすのです」

「だから、その、役目って具体的に……」


 やっぱり要領を得ない言葉に、私は眉を顰める。言いたがらない何かがそこにあるんじゃないのかと感じられて。


「それは……」

「聖女は、その聖なる存在そのものにより、澱みを浄化します」


 困ったように眉尻を下げる司祭くんの後ろから、は、と小さく溜息を吐いて魔法使いが口を出した。



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