それでも貴方は…
私には、コエが聞こえません。
貴方は今、何を言っているんだ?とお思いでしょう。そう思っても無理はありませんよ。私が聞こえないのは、声ではなくコエですから。
……貴方はこの絵を見てどう思いますか?え?絵心がなさすぎて何とも思わない?…それはすみません。この絵、私が描いたものですから。ああ、お気になさらず。別に気にしてませんから。
では、彼の有名な巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵を思い出してください。彼が嫌なら誰だってかまいません。ゴッホだってかまいませんよ。とりあえず、彼らの絵を思い出してくださればよいのです。貴方は、どう思いますか?…よく分からないけど、凄いと思う、ですか…。そうですね。そのような反応が普通だと思います。私たちは決して専門家ではありませんし。私も知識として知っているまでです。
…私は貴方が今思い浮かべているであろう絵を見て、何も思いません。何も思えないのです。最近の子の言い方を使うのであれば、「だから何?」でしょうか。…私も現代っ子ではあるんですけれどね。最近の子のようには話しづらいですね…。まあそれはよいのです。私が言いたいのは、人が普通何かしらの反応を示すものに対して、何の反応も、ましてや感情すら得られない、ということ。
それは絵画だけに限りません。音楽も、映像も、貴方がたが様々な物から受けているコエをシャットアウトしてしまっているのだと思っています。だから、私は始めに「コエが聞こえない」と申し上げたのです。
…そのせいで、少々厄介な目にはあって参りました。昔から美術と音楽系の成績は全て駄目、友人ともうまが合わなくなって皆離れ、そのまま孤立…。独りでいることには慣れているので特に問題はございませんでしたが、グループ活動をしろと言われたときにはいつも独りでやっていましたね。その分、誰にも負けないように知識をつけました。淡々と、持ちうる知識でだけなら数時間は話続けられるでしょう。…まあ誰も聞きたいとは思わないでしょうが…。
さて、これにて私の話は終わりです。何故この話をしたか…。貴方はお察しのことでしょう。
貴方は私のことが好きだとおっしゃいました。ですが、私はこのような人間です。それをお先に伝えるためにこの話をいたしました。その上で、もう一度お尋ねいたします。
こんな私が相手で、本当によろしいのですか?