第八話「見つからないはずだった捜し物」
「……にしても、本当に広いな…ここは」
ずっと呻き続けながらうずくまっているのも癪だと感じたアリスは、ちょっとした探検のつもりで施設内の散策を始め、早速その広さに感嘆の声を漏らした。
しかし、どこか懐かしさを感じるような。そう、ここはまるで──
「……まるで、俺たちの居た施設の様だ」
内外装や、建っている場所もそうだ。人目につかない森の中。聞いた話による過去最大住在人数を比べてみると、圧倒的に自分たちの方が多かったが、それでも広さや天井の高さは自分たちの居た施設と酷似していた。
──こうして歩き回っていると、なんだかあの施設で苦楽を共にしてきた仲間達のことを思い出す。平和になった世界で、独りきりになってしまったあの日から、そんなことは一度もなかったのだが。不思議なものだ。
そんなことを考えていると、不意に背後から、まだ性別の判断がし難い幼い声がした。
「ひょうてき、かくにーん! こうげき、よーい!」
「あぁ?」
アリスがその声の主を確認しようと振り向くより先に、
「でえええええやあああああああああ!!」
と、先のものと同一と思われる、威勢はいいが覇気のない掛け声とほぼ同時にして、後頭部にほんの一瞬、痛みが走った。
「何やってんだお前」
すぐさま声の主を掴み上げると、それは手足や胴の長さも顔立ちも、青年とは程遠い幼い容姿の男児だった。檸檬色の柔らかそうな髪からちょこんと生えたうさぎ耳は、何度見ても慣れないし、異物感を覚えずにはいられない。
「はなせー!」
その男児は往生際悪く手に持っていた棒切れを振り回すが、全て空振りしていた。
「まあ、元気なのは何よりなんだがな……」
アリスはそう言うと、小さくため息を吐いた。───と。
「えいっ」
今度はそんな抑揚も感情もない落ち着いた掛け声と同時に、接触部分の面積がちょうど親指の太さ程度の何かで、しかし極めて弱い力で下腹の辺りを突かれた───というより、感覚的には押された、という表現の方が近いのかもしれない───。
その攻撃とも言えない攻撃と声の主───体格は先ほどの男児よりほんの少し小さく、可愛らしい桃色の髪は左右非対称の長さで、片眼にだけ完全に隠れるほど覆い被さっている。例によって、頭には小さなうさぎ耳が生えている、ラビットの少女だ───を見ると、こちらを見上げ先ほどアリスをつついたのに使ったものであろう棒切れをそのままに、首を傾げていた。
「えんぐん、よかった…?」
抑揚なく淡々とした、静かな声で彼女は言った。
「はーなーせー!」
そんな彼女の声をかき消すように、無力な男児は未だアリスの手から脱出できず、じたばたしながら依然観念する気のなさそうな元気な声をあげている。
「本当に、なんなんだこいつら…」
この非常に理解し難い状況で、アリスは混乱していた。見知らぬ子どもに、このような形で絡まれたら当然のことなのだが、と。
「あ、あの! だいじょうぶ…ですか?」
と、弱々しく透き通った声で話しかけられた。そちらを見やると、先のふたりよりも更に小柄で、甜瓜のような淡い緑色の腰まで伸びた長い髪が特徴的な、ラビットの少女が立っていた。
「おお、やっとマトモそうなやつが───」
「ひぃっ」
「……ひ?」
この場でただ困惑するしかなかったアリスに救いの手を差し伸べた少女は、しかし彼が特に意識をしたわけでもなくほっとした様子で声を掛けようとした瞬間、緊張からか顔を紅潮させながら一歩後ずさってしまった。
よく見ると膝はがたがたと震えているし、眼には今にも零れそうなほど涙を溜めている。それに、そもそも明らかに、アリスと距離を取りすぎだ。
この場で唯一アリスの話を聞いてくれそうな彼女ですら、マトモに会話が出来そうにない。ボロボロの泥舟が救援に来ても、心許ないというものだ。当然と言うのもなのだが、アリスはそこでまたひとつ、ため息を漏らす。
「クーちゃん、やっぱり…だめ?」
そこでアリスは下腹部への違和感が消えたと思うと、二度目に襲撃を行った少女がいつの間にか、〝クーちゃん〟と呼んだ未だに赤面が収まらない彼女の元へ駆け寄り、そんなことを言いながら指で彼女の涙を拭っていた。
「これは…どういうことだ?」
そんな風にアリスは困惑していると、少年を捕まえていた腕が急に軽くなった。その次の瞬間、「ええいっ」という少年の声と同時に、またもうひとつ頭部に打撃を喰らった。
「まぬけー!」アリスの手に小汚い布切れを残し脱出した彼はそう言いながら、彼女たちの元へ素早く去ってゆく。
「ンの野郎……」
苦悩からか頭を抱えながら、少し離れたところにいる子供たちを見据える。会話は聞こえないが、アリスはなんとなく彼らの行動の意味が解った気がした。
それについて大人気もなく子供たちを問い詰めるつもりはない。だが、ひとつだけ重要なのは、黒幕の存在だ。
誰が計画し、子供たちに唆したのか。それはこれから管理者としてこの施設で生活していくにあたりとても重要な───
「と。うーん、作戦失敗かな?」
「え……」
いつから見ていたのか。どこから観ていたのか。
天井から突如この場に降り立った、見かけはアリスと同じ、十代後半頃かと思われる少女は、次に〝クーちゃん〟の頭を撫でながら話しだした。
「まあ、自分から男の人に話しかけるだなんて、すごい進歩だと思うよ? クルロ」
「うん……せっかくかんがえてくれたのに、ごめんね? ねーちゃん」
クーちゃん───クルロは励ましの言葉に囲まれながらその中で微笑んでいて、先程までの涙や赤く染まった肌は嘘のように、元の彼女に戻っていた。
「ったく、だからはんたいだったんだけどなーおれは」
「助けてあげたのにそんな文句を垂れるなんて、いい度胸しているんだね? ローミア」
「いたいいたいいたい! ごめんなさいゆるしてくださいルイーラさま!」
少年───ローミアは頭頂部に拳骨を喰らいながら、〝ルイーラ〟にそう、丁寧に赦しを乞う。
そんな馬鹿馬鹿しくもどこか微笑ましいやり取りを、ただアリスは見つめていた。
しかし、これではっきりしたようだった。このアリスを襲った〝作戦〟を考えたのは、彼女で間違いない。
これから言及をしようと、アリスは試みる───はずだったのだ、が。
「なん……で、こんなところに…?」
そう、アリスは呟いた。
「ん…?」
ルイーラはローミアへの体罰をやめアリスの様子を見ると、疑問符を浮かべた。彼の自分を見る眼は、まるで───
「あなた、あたしのこと知っているの?」
と。思わずそう、訊きたくなってしまうようなものだと感じた。
「あ……」
はっ、とアリスは我に返る。そして心の中で、自分を嘲った。そんなハズはないのに、と。
それでもどこか、期待をしてしまったのか。遠い記憶の誰かと容姿が重なる彼女に対して。
だから。
「いや……大したことじゃあないんだがな…少し、手を見せてもらってもいいか?」
そう、訊き返してしまった。大した意味はないが、ただ確認したいことがあったから。引きつった笑顔に戸惑いを隠しながら、アリスはそう訊いた。
「え……でもな」
「ねーちゃん?」
狼狽えるルイーラの顔を、子供たちは覗き込む。
「しょ、初対面の人にこれ…見せたくないんだけれど」
「……てつだおっか?」
「い、いいよ! あたしだって、覚悟決められるんだから」
自分たちにしか聞こえない声で相談を少しだけし、心と呼吸を落ち着かせるとルイーラはアリスに向き合った。
───そして。
「その……ど、どうぞ…」
そっと、アリスに見えるようにしっかり両の手のひらを向けた。羞恥からか、薄く頬を桃色に染めながら。
「……」
「───ほ、ほら! 変な空気になっちゃうでしょ!」
しかしその数秒の沈黙に耐えられなかった彼女は手を引っ込め、そんなことを抜かした。その理由は、ただひとつ。
彼女の両手には、指一本入れられるほどの風穴が空いていた。
「……や、やっぱり、変だよね…これ?」
そう、ルイーラは窺うようにアリスに訊く───しかし。
「……やっぱり、そうなのか」
「え?」
そんな質問など耳に入っていない様子で、アリスはまっすぐにルイーラを───背丈は自分とさほど変わらず、とりわけ目立つ夜空のような紺色の髪は鎖骨のあたりまで伸ばされていて、それとは反対に真っ白な肌と、思わず眼を奪われてしまう整った顔つきの、彼女を見つめた。
「ひゃっ!?」
そして次の瞬間───アリスはルイーラを強く抱擁していた。
「……?」
言うまでもなく誰もが理解できない状況の中、ただひとり。
「ア……リア…な、んで……」
ただひとり、アリスはそう呟いた。
柄に合わず切なそうな表情で、声を震わせながら。彼はそう呟いた。