第七話「前途多難の管理者生活」
「なあミクル、本当にこっちでいいのか? それにその光、不気味すぎるだろ」
瀕死の少女を背負ったアリスが、前方を軽く照らす小さな光を追い走るミクルの跡をついて行きながら彼女に話しかけた。
「……本当に大丈夫だから、ちょっと黙ってて。後で全部話すから…」
「……」
ミクルが答えると再び、アリスは沈黙した。
だがやはり、不安を抑えきれずにいた。先ほど出発してどれくらい経ったのかわからない。心做しか徐々に少女の鼓動が弱まっていく気もするし、通常の走行速度は獅駆鳳翔に比べて遥かに遅い為、このまま行けば本当に少女は助からないかもしれない。
それに何より、ミクルが何を根拠に目的地へ向かっているのかが不明だ。ミクルがどの程度この土地に詳しいのかはわからないが、迷いやすい森の中という条件に加え今が夜であるという更に最悪のおまけ付きである。
とは言え、アリス自身も出来ることはかなり限られている。ミクルの代わりに少女を抱えて走るというのが、せめてもの役目だろう。現在の手掛かりはミクルを信じるほか何もないのも事実だった。だからアリスは、ミクルに従い黙ってついて行くしかないのだ。
「あ」
突然ミクルが間の抜けた声を発し、足を止めた。
「? なんだよ、急に。止まってる暇なんて──」
「お」
ミクルに倣い立ち止まったアリスが前方を見やると、容姿のよく似た男女ふたりがこちらへ歩いて来るのが目に入り、思わず身構えた。
「なんだお前ら、まさかさっきの──」
「大丈夫だよアリス、この人たちは敵じゃないから」
「お?おう…」
喧嘩腰のアリスを、ミクルは冷静に宥めた。
「おいおい、誰だお前は? なんでミクルと一緒にいんだ?」
すると今度は、片割れの男──歳や身長はアリスと一見変わらず、全体的に逆立った金髪が特徴的で、うさぎ耳は生えていないため特異点ではないようだ──がアリスに近付きながら、威圧的な態度で話しかけた。
「多分、帽子屋さんが言っていた新しい〝管理者さん〟だと思うよ、普通に考えて」
それを見たもう一人の女──柔らかそうに下方へ伸びた金髪以外は先ほどの男と容姿がほとんど一致しているが、男と比べると大人びた雰囲気がやけに目立っている──がそんなことを言った。
「いやいや、逆に考えて帝都からの刺客って線も十分に考えられるぞ」
「ダンテ、初対面の男の人に対してそういう態度とる難癖、どうにかして直らないの?」
呆れたように女はそんなことを口にした。
「……ハンナ。今すぐ応急手当用の〝実〟をこの子に食べさせて欲しいんだ」
ミクルがそう言うと、ハンナと呼ばれた女は
「…! なんて酷い傷…なるほど、わかったわ。謀らずも足止めしてごめんなさい、先を急ぎましょう!」
と、慌てた様子で取り出した小さな木の実を少女の口に入れた。彼女は一瞬不快そうな顔をしたが、次の瞬間には弱まっていた鼓動がだんだんと強く脈打ち始めていくのを感じた。
「これは一体…」
「アリス、急いで!」
「お、おう!」
その様子をアリスが不思議そうに見ていると、ミクルにそう催促され、再び走り出した。
「いや、どういうことだよ!」
それでも状況を呑み込めないダンテと呼ばれた男は少し遅れて、三人の跡に続いた。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「マジかよ……」
どれくらいの時が経っただろうか。四人が合流してから休むことなく走り続け、人工的な灯りが近付いて来る──正確にはこちらが近付いているのだが──のがはっきり見え始めると、周囲に浮かんでいた不気味な光は静かに闇に溶けた。
「こら。君たち、遅かったじゃあないか」
「チェシャ猫さん!」
施設の目の前まで来た四人を出迎えたのは、チェシャ猫だった。威圧感の無い言葉を、腰に拳を当て発した彼女は、アリスに背負われている少女を見据えるとすぐに形相を変えた。
「アリスとハンナは、そのまま私に着いてきてくれ。それと、ミクル。マッドハッターからだいじ〜な話があるから、大至急、な」
「はッ!」
それだけ言うとチェシャ猫は駆け足で〝家〟の中へと入っていった。ハンナがその跡を追うと、アリスは口をポカンと開け硬直しているミクルの様子を伺いながらそれに続いた。
そして、もうひとり。
「……え、俺は?」
最後まで状況が理解出来なかったダンテは、目を丸くしながら頭の中を整理し終えるまで、もうしばらくその場で直立していた。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「それじゃあ、その娘をこの寝台に寝かせてくれ。私はフィリシアを呼んでくるよ」
施設内の有り余った部屋の一室で少女を休ませると、チェシャ猫はそう言い部屋を後にした。部屋にはアリスとハンナが残された──と、ハンナは何やら部屋の一隅にある棚に載せられた、瓶詰めにされている木の実をひとつ取り出すと、少女の口の中に押し込んだ。眠っているはずの少女は眉間に皺を寄せそれを拒むも、数秒程度で受け入れ飲み込んだ。
その棚には他に、包帯や骨折箇所を矯正するのにちょうど良さそうな棒切れなどが用意されていた。なるほどどうやら、ここはちょっとした医務室や治療室の類いなのかもしれない。
ただ、魔法という概念が存在するこの世界にそれらの必要性を問いたい。〝魔法〟なら、大抵の傷なんかは簡単に治癒出来そうなイメージはあるが。
そんなことを考えていると、
「傷はやっぱり、自然に回復するのを待つのが最適な治癒法だと思うの。今食べさせたのは、その自然治癒を促すための〝実〟。さっきのは、一時的に軽度の傷を塞ぐ応急手当用。効果の継続性には期待出来ないし、そろそろ効力がちょうど切れるくらいかしら」
と、ハンナが寝台のすぐ傍に置かれた木製のスツールに腰を掛けながらそう言った。そのまま首だけをアリスの方へ向け、続ける。
「それに対して、長期的な治療を想定しているこの〝実〟は、服用した時点での負傷箇所全てが完治するまで効力は消えないの。普通に有能でしょ?」
「あ、ああ…」
実は話の一割も頭に入っていないが、とりあえずアリスはそんな曖昧な返事で応じると、少し気になっていたことを口にした。
「……なあ。ハンナ、でいいのか? ダンテって奴もそうだが、お前ら、ラビット…ではないよな。どうしてここに居るんだ? それに、その…大丈夫なのか? ラビットと一緒に居て」
遠慮しつつもはっきりと疑問を発したアリスに対し、ハンナは少しだけ表情を曇らせると、口を開いた。
「後ろの質問に関しては、言うまでもなく『大丈夫』よ。でも、前の質問には、今は答えられないわ」
彼女はアリスの眼を、可憐で優しい目つきで、しかしどこか貫くような鋭さでまっすぐに見つめ、続けた。
「話せば長くなるし、それに私はまだあなたを、〝管理者〟として認めても信用してもいないから」
「……」
「なんて、ね! 私は少しずつでもお互いのことを知っていけたらいいと思っているわ! 管理者さん」
黙り込んだアリスに一変して笑顔を向けそう言うと、彼女は扉の方へと視線を変えた。
「さて、来たみたいね。フィリシアさま」
「さま……?」
その言葉に応えるように扉が開けられると、そこには清廉で上品な雰囲気の特異点が立っていた。
「……ハンナ。その呼び方はご法度ですわ。いつも言っているでしょう」
首元まで伸ばされた赤髪に、同じ色を水で薄めたような瞳。見窄らしい服装ですらその風格を台無しにすることはなく、まさに童話に出てきそうなプリンセスそのもののようだった。
「……そちらの方が、管理者様…名は、アリス様だったかしら?」
「……ああ」
彼女に思わず見とれていたアリスは、少し遅れて反応する…が、彼はこの直後の彼女の発言に驚愕することとなる。
───フィリシアはアリスの全身を舐めるように見ると、彼を───身体中のほとんどを包帯で巻いただけの彼を鋭く指し、必要以上の大声でアリスを罵った。
「そんな裸同然の格好…! 恥ずかしくないですの!? 見ているわたくしの方が恥ずかしくなりますわ! 今すぐご退室願えますかしら!」
「……」
数秒間の沈黙。硬直したアリス。しかし寝台で眠っている少女のうめき声によって、時は再び動き出した。
「……! わたくしとしたことが…貴重な時間を無駄にしましたわ」
フィリシアはそう言うと、眠っている少女の服を脱がせようと上半身だけ起き上がらせた──そして裾に手を伸ばしたところで、アリスと眼を合わせると青ざめた表情で言った。
「あ、あなた…変態、ですの…?」
「──はっ!? 脱がせるならさっさと言えよ!」
思わずアリスが顔を赤くして声を荒らげると、ハンナが口の前に人差し指を当て「静かに」と声に出さずに伝えた。
……なんだか居た堪れなくなったアリスは、速やかに(目の前で少女が肌を露わにしようとしているのだから、当然のことなのだが)退室した。
──通路に出たアリスはその場で頭を抱えしゃがみこむと、酷く落胆した様子でうめき声を漏らした。「彼女は苦手だ」と。信頼関係を築くのは恐らく彼女が一番難しいと、直感が告げていた。