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終末の地のアリス 一Alice in Deadland一  作者: 叶生 寧愛
第一章 青年傭兵と魔法戦士 一Boy meets Rabbit一 1.異端と世界
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第五話「自称世捨て人と記録の書庫」

「紹介が遅れた。私はマッドハッター、帝都で帽子屋を営んでいる」

 最初に男はそう名乗った。

「そうか…なぁ、さっきの女と話していたのは何のことだ?ネタばらしだとか、人形劇だとか」

「さあな。あちらの話だ」

 マッドハッターと名乗った男は、アリスの質問をそう受け流す。しかしアリスは、

「……何か知っているんじゃねえのか? さっきの口ぶり、俺には何も知らない(ふう)には聞こえなかったが」

 と言う。

「知っていたらなんだ? 君に何か不都合なことがあるわけでもあるまい」

「……」

 しかしマッドハッターの口は(かた)く、如何(いかん)せん言っていることに(あやま)りなど無く、アリスはやむなく本題を切り出した。

「そんなことより、俺に話があるんだったよな?」

「ああ。そうだな、何から話すべきか──」

 マッドハッターは少し考えると、口を開いた。

単刀直入(たんとうちょくにゅう)に申す。君に特異点(ラビット)護衛(ごえい)と施設の管理を依頼したい」

「施設……あのラビットの、ミクルらの家のことか。交渉……なるほどな、つまり見返りの方は(すで)に用意してあるんだろうな?」

「当然だ。この話を()けるのならば()()()()に住んでもらう必要があるためしっかりした寝床(ねどこ)だけは保証できないが…それ以外の快適な生活なら約束する」

「そうか……まあ、俺はうまい飯さえ喰えれば何でもいいがな」

 アリスはそんなことを言う。どうやら、この話を請けるつもりでいるようだった。

 確かに、今のアリスにとってこれほど好都合な話が舞い込んでくるなど願ってもいないことだった。不安なことが全く無いわけではないが、多少のことに目を(つむ)れば苦労せずとも快適な生活が手に入ると言うのならば、誰だってそれを選ぶだろう。そんなことを考えていると、マッドハッターが再び口を開いた。

「構わないのか?依頼には特異点(ラビット)()()も含まれている。それがどういうことかわかるか?」

 と。アリスは少し考える。

 仮面の男たちはミクルを──特異点(ラビット)を狙っていた。つまり、それの護衛をすると言うことは当然、今後激しい戦闘は(まぬが)れない。この男(マッドハッター)が心配しているのは、そんなところだろう。しかしアリスは、

「上等だ、請けてやるよ……て言うか、()()()()()()

 と、一笑(いっしょう)()し言い切った。


「──君なら、請けてくれると思ったよ」


 それを聞き、マッドハッターはまるでアリスのことを知っているかのような口ぶりで(こた)えた。

「……は?」

 しかし当然、それを聞いたアリスは困惑した。

「そういや、俺の名前を聞いた時、反応してたよな?どういうことだ、まさか俺のことを──」

「ああ、私は君を───正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 アリスの言葉を(さえぎ)ったマッドハッターから放たれた思いもよらないことを聞き、アリスは言葉を失った。

 この男には、自分が別の世界の住民だということを一切話していない。なのに彼は、〝君たちの世界〟と言った。それが、彼がアリスのことを一方的に知っている裏付けにもなる。

「私の知っていることは全て()()にある本に(しる)されていた。……まあ管理機関なるものが不要と判断した情報は破棄される為、何でも知っているわけではないがな」

 と、彼は言い立ち上がると、本が隙間(すきま)なく詰め込まれた、一番近い本棚に向かい歩きながら、続ける。

「ここは神により選ばれた人間にのみ閲覧(えつらん)する権限(けんげん)を与えられる記録の書庫(アカシックレコード)。世界の全てが記録されていて、君の元居た()()()()()()()()もまた例外ではない」

 マッドハッターは淡々(たんたん)と話を続ける。アリスはすっかり聞き()っていた。

「こちら側には君たちの世界、向かい側には私たちが今居る、さしずめ()()()()()と言ったところか──それぞれについて記された本が無数にある」

 そこでマッドハッターは振り向き、アリスの目の前まで来ると、その続きを口にした。

「さて、私は選別されし鍵の所有者(キーホルダー)のひとりだ、現在この鍵の所有権は私にある」

 いつの間にか彼の手には先ほどと同じ鍵が(にぎ)られていた。

「……何が言いたい?」

 アリスがそう()くと、マッドハッターは愉快(ゆかい)に、しかしどこか不気味な笑みを浮かべ応える。


「──これから君の身に起こりうる災難(さいなん)に比べれば、私の提示した報酬(ほうしゅう)(いささ)か割に合わないのだ。そこで、君にもうひとつ、この鍵の所有権を譲渡(じょうと)しようと思うのだ」

「……それは可能なのか? その鍵は神様とやらに選ばれた特別な人間にだけ所有権を与えられるんだろ?」

 アリスの素朴(そぼく)な疑問に、マッドハッターは淡々と応える。

「ああ、簡単な話だ。所有権が()()()()()()()ということは、それを()()()()()破棄(はき)しようと他の誰かに預けようと私の勝手というのも道理(どうり)だ」

「……まあ、そうだが…それは俺にとってどんな(えき)があるんだ?」

「そうだな。例えば──」

 マッドハッターは鍵をアリスの目の前へ差し出し、続ける。


「君は──君の居た世界についてどれくらい知っているか、自分で理解(わか)っているのか?」

「……は?」

 その言葉に、アリスは疑問符を浮かべるほかなかった。

「君が、君たちが戦わなければならなかった理由(わけ)や、世界が何を(もっ)て平和となったか。君にはわかるのか?」

「……ああ、俺は自分の居た世界について、何も知らない。だが知ることに意味はあるのか?今の俺は、この世界の住人だ。もし戻れたとしても、あの世界と決別した俺にはもう──」

「関係のないこと、か?」

 マッドハッターはアリスの言葉を遮り、抑揚(よくよう)なく話し続ける。

「世界と決別した──本当にそう思っているのか?私の眼には、君の中で未だに消えない苦悩が蔓延(はびこ)っているように視えるが」

「……」

 会って間もないお前に何がわかる、と言おうとしたが、声に出せなかった。

 確かにアリスには、知りたいことが少なからずある。だが、世の中には知らない方がいい事実もあるということをアリスは理解している。

 今アリスが知りたいことは、それに該当(がいとう)すると、自らの直感が告げていた。だからアリスは、目の前の鍵を受け取れなかった。その勇気がなかった。

 ()()を知ってしまえば、今まで自分を築き上げてきたものが壊れてしまう気がした。アリスにはそれが恐かった。ある時期まで成長した人間は、ある程度〝型〟が創られる。(それ)瓦解(がかい)してしまうことを、人は最も恐れるものだ。

 しかしマッドハッターは、すっかり黙り込んでしまったアリスを見てもなお、話を続けた。

「まあ、今はそれほど考えなくとも良い。どちらにせよ、君にとってこの鍵は必要なものだと私は思うが」

「え?」

「言葉は通じるようだが、それぞれで使われている文字は全く異なる。それらの読み書きくらいは心得ておいた方が良いだろう」

「それは…そうだな」

 全くの正論だった。それに、別に知ることを強いられているわけでもない。自分が知りたい時に調べれば良いのだ、少なくとも(これ)を持っていて損をすることは間違いなくない。

 アリスは立ち上がると、マッドハッターから鍵を受け取った。

賢明(けんめい)だな」

「……まあ鍵の所有権(こんなもの)付属品(おまけ)だな、俺にとって重要なのはうまい飯だけだ」

 アリスが気楽にそう言うと、マッドハッターは鼻を鳴らしハットの(つば)(こす)りながら、身体の向きを自分たちの来た方向へ変え、歩きだした。

「では、戻るとしよう。今日はもうひとつ()()()()()()が残っているのでな」



♠︎ ♡ ♢ ♣︎



「俺のような大人にはなるなよ、お前ら」

 と、師はよく言っていた。

「言われなくても、師匠のような()()()()()になんかなるつもりねえよ」

 と毎度アリスが応えると、飽きもせずみんなで笑った。そのやり取りが、アリスにとってはいつからか掛け替えのないものとなっていた。


 そんなある日のことだった。

 訓練が終わり、アリスが玉蹴りをしてはしゃいでいる仲間たちをひとり眺めているところに、師は話しかけてきた。

「ようアリス。お前もこれ食うか? 腹減ったろ」

「いつもの(かて)ぇパンじゃあねえか。なんで師匠がそんなもん食ってんだよ」

「たまには庶民(しょみん)の食いもんも味わってみてえのさ。にしてもよくこんなもん食えるな」

「バカにしてんのかそれ」

 かかか、と師が笑うと、アリスは(あき)れた様子で、小さくため息を()いた。


「──なあアリス。お前、自分の境遇(きょうぐう)についてどう思ってる? ほんの少しでも、もっと恵まれて生まれてきたかったと願うか?」

 声色(こわいろ)を変えて、師はそんなことをアリスに訊いた。

 唐突な質問に戸惑いながらも、アリスは真剣に考え、応える。

「そうだな…そりゃあ、普通の人間として生まれて、普通の家庭で育ちたかったよ」

「……」

「けどまあ、戦友(なかま)がいて、そいつらと競ったり笑いあったりしている人生も、悪くはねぇんじゃあねえかって思うよ。境遇を呪ったりなんかしねえ。今の俺は、十二分(じゅうにぶん)に恵まれてるんじゃねえかな」

 ()()れとした笑顔で、アリスはそう言った。

「……なんかお前、俺に似てきたな」

「はぁ!? それだけは勘弁(かんべん)してくれよ」

 かかか、と師は笑うと、息を整え話を続ける。

「お前も十分(じゅうぶん)普通の人間だよ、アリス」

「なんだよ、気持ち悪い」

「まあ…俺のような大人にはなるなよ、アリス」

「はっ、言われなくても──」


 ──この時にもっと、色々な話をしておけばよかったのかもしれない。

 だがこの時、普段は決して師が自分たちに見せることはない表情(かお)を、はっきりと見てしまった。

 どこか(はかな)げで、物寂(ものさび)しくて、切ない。そんな表情(かお)を見てしまった。見てはいけないものを見てしまった、そう思った。

「ああ──できる限り努力するよ」

 たったそれだけの理由で、アリスは会話を無理矢理(むりやり)終わらせてしまった。師から逃げるように、目を背けるように。

 アリスは、(たわむ)れている仲間たちの元へ向かい、走り去った。目に焼き付いた、師の見たことのなかった顔をかき消すように。


 そしてそれが、最後に師と交わした言葉となった。


 翌日、師はアリスたちの前から姿を消した。

 なんの言葉も残さずに、忽然(こつぜん)と。


 アリスたちが(あこが)れ、(した)い、そして追いかけた師は、それから()()()()()()()()戻ってくることはなかった。


彼はやはり、筋金(すじがね)()りの()()()()()だった。

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