第四話「帽子屋と鍵」
「差し当たりは、ボクたちの家に来てから考えるっていうのはどうかな?」
射貫くようにアリスの瞳を真っ直ぐに見つめながらミクルから発せられたのは、そんな言葉だった。
「……お前らの、〝特異点〟たちの…家──?」
それを聞いて、アリスは戸惑った。これ以上、ミクルたちの事情に深入りしてもいいのか。自分はこの先、この世界でどのように生きていくのが正しいのか。今の自分に何が出来るのか。
だが、ミクルの言う通り、今のアリスが帝都へ向かうのは恐らく無謀だった。
そこには当然、故郷のように自分を〝呪われた血〟と蔑む者もいなければ隔絶する理由もないだろう。しかし、今は事情が変わった。
帝都側の人間に対して阻害をしてしまった。それに、先のミクルが言うように既に顔を見られたふたりは逃亡してしまった。培われてきた戦闘経験と鍛え上げられた肉体があっても、もはや敵同然と言っても過言ではないそこに身を曝すのは自殺行為だ──こんな調子でアリスが無言で長考をしていると、
「やぁミクル、こんなところに居たのか。……ん、そちらの彼は?」
突然目の前に、黒髪で背の高い若い女が出現した。唐突に、言葉通り刹那、何の気配も感じ取れず──
「……!?」
だがそれでもどのように近付いて来たのかわからないほどに強大な存在感を放っていて、それはアリスに恐怖すら与えるのに十分だった。
「!……君は、ただの人間じゃあないようだね」
アリスの様子と機械仕掛けの小鳥を見て、彼女はそう言う。依然としてアリスは体を小刻みに震わせているままだが、それでも眼差しはしっかり女へと向けられていた。
「そんなことより、ボクを探してたんでしょ、キミ」
──何故か1人蚊帳の外に置かれていたミクルが沈黙を破ると、女は今度はミクルと向き合い、
「そうだ、マッドハッターが怒ってたぞ〜?あれほど勝手に外出するなと言ったのにこれで何度目だ、ってね。でも今日はいつもより帰りが遅いから今頃家出だなんだってあっちでは騒ぎになってるよ、だからほら用事が済んだならさっさと帰る」
と半ば早口に言うとミクルの手を引き歩き出した。
「えっ…ちょ、待っ……まだ用事は済んでない…っていうか、済んだけど、また別の用事が出来たの!それに…」
ミクルは力限りの抵抗と抗議をし、続ける。
「キミ、ここから帰る道わからないでしょ」
──女の動きが止まり、ミクルの腕を離した。図星のようだ。
「……たぶんキミのことだから、みんなと一緒にボクを探していたら自分が迷子になって、たまたまここに来たんでしょ」
ミクルが容赦なく追い討ちをかけると、女はその場で崩れ落ちすすり泣き始めた。ミクルはそんな彼女を放置し振り返ると、アリスの目の前まで戻ってきた。
「……容赦ねえなおい」
「そうかな?…で、どう?考えてくれたかな、さっきの話」
アリスの批評をあっさり受け流し、ミクルは話を再開する。アリスは、一瞬だけまた悩んだ。
「ひとつ、言っておきたいんだが」
「うん?」
「俺はこの世界の人間じゃない」
「まあ……分かってた。にわかには信じ難いとは思うけれど、本気でボクたちやこの世界のことなんてさっぱり知らないみたいだし」
「……は?じゃあなんで」
アリスが訊くと、ミクルは少し考え、答えた。
「だからこそ、かな。ボクたちはキミみたいな存在を今必要としていて、キミにとってもこれは悪い話ではないと思うし」
「……」
具体的な話が見えない分請け難いが、同時に魅力的な話だった。如何せん話がうまく出来すぎていて、甚だ不安ではあるのだが。
「詳しく聞かせてくれないか?」
すると今度はアリスたちがここまで来た道と同じ方向から、大きなハットを被った男が歩いてきた。
「うわ……」
そちらを見たミクルが顔を引き攣らせながら呟いた。男はうずくまっている女の横を通り過ぎ、そのままアリスたちの元まで歩み寄り、続ける。
「さて、ミクル・スカーレ。幾度とない無許可な外出と私の言いつけを無視した君への懲罰だが」
「ゔ」
「まず日が暮れる前に戻って先に彼と話がしたい。弁解はその後で存分に聞こう」
男は言うと踵を返し、女に「戻るぞ」と声を掛けると、女は立ち上がりこちらを一瞥すると男について歩き始めた。
「……ボクたちも、行こっか」
ミクルはアリスの手をつかみ男たちの後に続いた。
「随分強引だな」
「不安?」
「まあ、この拉致られている状況の中じゃあな」
「人聞きの悪いこと言うね」
「事実だからな」
「……」
ミクルが沈黙したことで、会話は終えられた。
(なんか、今日はいろいろと忙しい日だな…)
ミクルに引っ張られながら、アリスはそんなことを考える。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「ここがボクたちの家だよ。意外と立派でしょ」
「……」
仮面の男から聞いた、この世界の情勢からは到底想像が出来ない程、ミクルの言う「家」は大きかった。家と言うよりは、アリスが嘗て訓練兵だった頃の寮に似ているのだが。
「さて、君の名をまだ聞いていなかったね」
ハットの男が振り返り、アリスに訊く。……なんとなく横から視線を感じたが、そう言えばまだミクルにも言っていなかった気がする。
「アリスだ」
「……!」
名を聞いた瞬間、男は目を見開いた。当然その意味がわからないアリスが困惑していると、
「アリス君、今すぐ君と話がしたい。……単なる交渉話だが、ここではできない。君も立ち話は癪だろう…相応しい場所へ案内する。ついて来てくれ」
と男は言った。
「……勝手に話が進んでるのは少し気に食わないが、聞くだけ聞いてやるよ」
「すまないな…チェシャ猫、暫しの間スカーレを頼む」
チェシャ猫と呼ばれた女──先で会った黒髪長身の女だ──が指示を受けると、仮面を貼り付けたような不自然な笑顔で「はいはい、承りました」と言いミクルの背後に回ると、そのまま目の前の小柄な少女を抱きかかえた。
「ちょっと! 離して、そんなことしなくたって逃げないから!!」
ミクルが手足をバタつかせながら力いっぱいに叫ぶが、まともに自由の効かない状態では当然無力に終わった。
「ぷっ」
──その様が滑稽であったため、思わずアリスは吹き出してしまった。慌てて両手で口を塞いだが、ミクルの耳にはしっかり届いていたようで。
「アリスぅ……」
ミクルは顔を上げ、耳まで真っ赤に染めると、さっき聞いたばかりの青年の名を怒りっぽく口にした。……そんなミクルに目を向けることなく、ハットの男はアリスの肩に手を置き、背を向けると歩き出した。
最後にアリスはミクルにちらりと一瞬目配せをし、男について歩き始めると、後ろから「後で覚えてなさい!!」と不機嫌な声。
「すまないな、彼女はかなり幼い頃に捨てられた為に多少教養がなっていないのだ、あのような戯言を抜かすことも多いが言わせておいてくれ」
「……容赦、ねえな…」
アリスはそう呟くと、ため息を吐いた。
(にしても……)
捨て子か、とアリスはふと思う。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「どこが、相応しい場所だって?」
数分前の男の発言を振り返りながら、目の前の更地を見てアリスは言った。当然そこには腰掛けるものなどない。到底交渉話とやらに相応しいと言えるべき場所ではなかった。
しかし男は気にする素振りを見せずに数歩前に立ち止まると、ちょうど掌ほどの大きな鍵を自身の目の前の虚空へ突き刺した。
「!?」
──その奇行の意味を考えるより先に、何もなかったはずの男の前には巨大な扉が出現し、そのまま解錠の音が響いた。しかし出現したのは扉だけであって、それはそれとしての機能を全うしていない。
「ここだ、入ってくれ」
困惑するアリスを気にも留めず、男は扉の中央にある鍵穴に先ほどの鍵を刺したまま扉を開くと、そこへ入るようアリスを促した。
「いや、入るつってもなぁ…」
しかし開かれた扉の奥には全く同じ更地の風景が広がっていて、どう考えても男が何をしたいのかがわからない。だが彼は冗談や揶揄のつもりで言っているわけではなさそうなので、アリスは半ば思考停止状態で扉の奥へと足を踏み入れた。
「……は?」
──そこには先ほどのような更地は広がっておらず、れっきとした屋内だった。そして壁一面には無数の本が並べられていて、また迷路のように道は入り組んでいた。
「来ていたのか、バル」
背後からの男の声で、アリスは我に返った。そのまま前を見ると、若くもどこか艶かしい雰囲気を漂わせる長い金髪の女性が座って本を読んでいた。
「心外だな、君がここに来る理由はもうないと思っていたが」
男はアリスより前へ歩き出しながら〝バル〟と呼んだ女性へ話しかける。
「退屈なのじゃ。それに以前も言ったように、ここでは常に書が更新されている。……なにも、妾がここに来る理由がないなんてことはないと思うのじゃが?」
「そうだな……しかし悪いが席を外してくれないか? これから彼と話があるのだ、別に君になら聞かれても構わないが気に障って仕方がない」
それを聞くと、〝バル〟はまだ読みかけの本を閉じると、椅子から立ち上がり、男に向き合った。
「……そうか、ようやく始められるのじゃな?」
「ああ。君も先にネタばらしを聞いてしまうのはつまらないだろう?」
「全くその通りじゃ。それに──」
〝バル〟はそこで言葉を切るとアリスに目を合わせ、続ける。
「ようやく、楽しめそうな人形劇が始まりそうなのじゃからな」
「……?」
アリスが会話の意味を理解できずに戸惑っていると、〝バル〟はこちらに背を向け奥へ歩き出した。
「では失礼するとしよう。期待しておるぞ、帽子屋」