第三話「人と魔法」
ボクが生きる理由…か。死ぬまでには夢を叶えたいって、ただそれだけだけど。もう少し、欲張ってもいいのなら、普通の人間として生きられたらって。いつかそういう日が来たらって。あ、これは夢ではないからね?どちらかといえば、単なる願望ってとこかな。─ミクル・スカーレ
かつてこの世界には、大きく分けて二種の人間しかいなかった。
〝魔力〟を感知し、自らの意思で扱うことのできる〝魔法使い〟なる者が少数と、そうでない、魔力を五感で捉えることのできない者が多数。
いずれも生まれてから死ぬまで、それで在ることを貫徹している──つまり魔力を感知できない者たちは魔法使いになれないし、逆も然り。その上で、彼らは共存していた。だが十数年前、この法則に倣わない、二種のどちらにも属さない──或いは双方どちらにでも属す、〝第三の種〟が発見された。
それが〝特異点〟。異端にして災厄にして、未知。得体も、多寡も、実態も不明。
いま分かっている特徴はふたつ。ひとつは、普通の人間が突然魔力と直接的な干渉ができるようになるという点。もうひとつは名前の由来となった、うさぎの耳。突然変異が如く、何の変哲もない頭から二本、それと形状の似た何かが生えてくるのだ。
そんな彼らに、人々は様々な見解を説いた。
単なる新人類の誕生、神の御業、悪魔の呪い、精霊のいたずら──エトセトラ。
だが最後には特異点を忌避し、隔離した。しかしそれから少し経った頃、歴史を揺るがすほどの大事件が起きた。
それが、〝アルマクリフの黄昏〟。大都市アルマクリフの壊滅を意味するそれは、約二〇〇名の特異点の夜襲によるものだった。確認されている死傷者数は五〇〇〇にも及び、アルマクリフは火の海となり、その様が黄昏時の光景のようであったために、皮肉を込めて名付けられた事件。未だに遺体の見つかっていない者もいると言われている凄惨な虐殺の首謀者である〝終世の求道者〟グリファス・グランダーテが事件から間もなく行われた、公開処刑の場にて最期に吐いた言葉は、たちまち世界中に広まった──曰く、
「同胞諸君に告ぐ。この殺戮は自由への狼煙だ。もしも貴様らが我と同じ夢想を掲げるのならば、この闘志が我が身もろとも灰と化す前に反旗を翻せ。そして我が遺志の本懐を遂げよ。我が名はグリファス。自由を求道する者──ッ!!」
と。それから長きにわたり、この遺言に扇動された特異点の刺客が世界最大の帝都グレイラピスに潜入しひたすら皇帝を煽った──あえて露骨に革命を行うのではなく、民を襲撃するという陰湿な手を使って。
暴行や強姦、果てには殺人までをも犯した。だがそれほどまでに彼らの自由に対する執念は強く、根深いものだった。
これを受け、帝都側はもはや特異点の要望を全て受け入れ、共存の道を選ぶほか対処法はなかった。
──だがある時、その必要がなくなった。
クァルツ歴一二九年、帝都は特異点に対抗するため精鋭部隊を結成し、更に現代の技術をも凌駕する、製造方法や仕組みの一切が不明の戦闘に特化した武具──〝神機武装〟を手にしその圧倒的な力で特異点を鎮静させた。
そして現在──クァルツ歴一三六年、結局特異点たちは帝都の前になす術もなく、依然として存在を認められないまま、ひたすら身を隠しどこかで暮らしていると言われている。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「で、そこの女も件の特異点というわけだ。俺らはそれに用がある。事情がわかったなら、さっさとそこを退きな」
一通り説明し終えると、男はアリスとミクルの元へ歩み寄りながら言う。
「なるほどな……」
ここまでの話を聞き、アリスが後方に立ち竦んでいるミクルをちらり、と見やると、彼女は気まずそうに目を逸らした。
「しかしなぁ……肝心のお前らの正体が分からねえと、はいどうぞって引き渡す訳にもいかねえんだよな」
男に向き直ると、アリスは腕を組みながらそんなことを言う。確かに、情報が少なすぎる。彼の言う通りにするのは、全く安心ができない。しかし男は、
「悪いがそれは言えねえな。だが安心しろ、殺しはしねえ。何せ生け捕りっつう依頼だからな」
と言い一旦立ち止まると、続けた。
「それよりいいのか?そこの特異点は大量虐殺者どもの残党──言ってしまえば人類の敵だぞ。そこに横槍を入れるっつうことは、どういうことかわかるよな?」
「生憎だが国ひとつくらい敵に回す覚悟の重さは肝に銘じている。だからどんな事情で人類に楯突くことになるとしても、俺はここを退かないぜ」
アリスが言うと、男は嘲るように応える。
「おいおい、これ以上笑わせないでくれよ。一体どこにそこまでラビットを護る義理があるってんだ?」
「コイツには恩があるからな。今の俺には護る事しかできねえ。しかし間違っても、仇で返すことにはなっちゃあいけないだろ」
「そうか……残念だな。何よりそんな無価値で無意味な命を、身を挺して護ろうとする馬鹿頭が残念だ」
───ぴく、と。アリスの眉が痙攣した。
「おい……今お前が言ったこと、一字違わずもう一遍言ってみろ」
「……は?」
アリスの唐突な要求に、男は思わず訊き返す。
「いや……聞き間違いならいいんだがよ。内容によっちゃあお前が数秒後まで生きていられる保証はできねえ」
先程までとは雰囲気が変わり、決して半端ではないその気迫を前に、一同は身を震わせた。しかし男は息を呑むと、精一杯に平静を装いながらアリスの要望に応えた。
「ハッ、いいぜ。何遍だって言ってやる。何より残念なのはよ……ソイツのことを身を挺してまで護ろうとするお前の馬鹿頭───」
「ちげえよ。そこじゃあねぇ」
男の言葉を威圧的に遮り、アリスは続けた。
「言ったろ……一字違わずってよ……それに俺がもう一度聞きてえのはそこじゃあねえ。肝心なところ、忘れてんじゃあねえよ」
「……まさかとは思うけどよ───俺がそこのラビットのことを、無価値で無意味な命と言ったのが問題だってのか?」
「やっぱり、そう言ったんだな?」
不思議と、空気が凍てつく感覚に誰もが陥った。アリスの表情はその場の誰にも悟られず、ただただ身の毛もよだつ闘気が、彼の身体に纏わりついていた。
男はもはや仮面でも隠しきれていないほど怯えているが、それでもアリスに応えた。
「ああ……そうだそうだよ! ラビットに生きている価値なんて微塵もねえ! 〝依頼 〟通りに事が進まねえと俺らは飯が食えねえんだ……せめてそれだけの為にも生かしてやるだけ俺らには慈悲があると思うぜッ!!」
しん……と、ほんの一瞬だけ静寂が訪れる。それを破ったのは、「喜」の仮面よりも遥かに狂気を思わせる笑み───修羅が如くの狂笑を浮かべたアリスだった。
「残念だ。本ッ当に残念だ……何より、俺に殴られる覚悟を持たずに、他の命を貶したお前のメデタい頭が残念だ」
「……えッ?」
───眼にも留まらぬ速さで男との差を詰め、アリスが拳を男の顔面に叩き込むと、男は遥か後方へ宙を舞った。
「「………」」
男の仲間である、残りのふたりはただ、その場で棒のように立ち尽くしている。どうやらアリスの底知れない力に圧倒され、身動きが出来ないようだった。
「───ちょッ!!」
そこでようやく動けるようになったミクルが、表情に平穏さが戻ったアリスに駆け寄ってきた。
「どうしたミクル? 胸糞悪い野郎が吹っ飛んでスッキリしなかったか?」
アリスがそう言い終えた直後、ぱちん……と彼の頬が鳴り響いた。
「……ばか! 素直にボクをアイツらに引き渡していれば、事は丸く収まったハズなのに……!」
「ンなこと出来るわけねえだろ」
赤くなった片頬をさすりながら、アリスは即答した。
「どうして」
「言ったろ。お前は恩人なんだから、少なくとも仇で返すような結果にするわけにはいかねえんだ」
「恩人だなんて……大げさでしょ。それにキミは今ので、ほんとのほんとに世界を敵に回してしまったようなモノだよ? 代償が、大きすぎるよ……」
彼女は涙を溜めながら、しかし決して流すことは許さず、ぐっと下唇を噛み締め俯いた。
───難しい年頃だな、と思う。アリスはこめかみの辺りを掻きながらため息を吐くと、言葉を探りながら話しだした。
「気にすんな。俺が選んでやった事だ、それに俺ならなんとかこんな世界でもやっていけるさ」
無根拠だし、そんな自信はない。しかし彼女を安心させるには、こう言うしか方法は分からなかった。
アリスはミクルの持っているハンチング帽を奪い取ると、彼女の頭に被せた。
「まあ、安心しろよ。とりあえず今日はもう面倒事に巻き込まれねえように、しっかりソイツを被っておきな」
さて、と。
「しかし───あのふたり、逃げやがったな」
……遠方で気を失っているようすの男をそのままに、残りのふたりはいつの間にかその場から姿を消していた。
「仲間意識ってもんがねえのか、コイツも恵まれねえな……で、どうするよ?」
ぴくりとも動かず横たわっている「喜」の男のもとまで来ると、アリスはそうミクルに問いた。
「さぁ……そこの樹にでも縛っておく?」
と、特に悩んだようすもなく彼女はそう提案した。
「それ賛成。丁度ここに、いいツタがあるからなぁ……」
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「ところでさ、キミ何者?」
男を縛り終え、ようやく安息にありつけると、ミクルはそう訊いた。
「……言われてみれば何者なんだろうな。少し前までは──傭兵だった」
「何それ。もしかして、歴戦の勇者だったり?」
「いや、そんな大層なもんじゃあねえよ」
「うーん、不思議な人」
ふたりでそんな話をしていると、
「……本当に残念な野郎だ。ほんの少し形が違えば、お前ほどの人材は帝都の精鋭部隊に入隊出来たんだろうが」
と。目を覚ました男がそんなことを口走った。
「驚かせんじゃあねえよ……しかしそうかもな。もしかしたら俺は本来帝都側についていたかもしれない」
「一番残念なのは、帝都の方かもしれんな……ところで、その子鳥はなんだ? いや、普通の子鳥には到底見えないが…生きているのか?」
「あ? …あぁ、戻っていたのか、ニーナ」
どこかではぐれてしまっていたニーナが、いつの間にかアリスの頭上を飛んでいた。
「あ、そういえば、さっきの大きな鳥も普通ではなかったけれど…」
「ああ、コイツは──俺が創った命だ。言葉通りな」
暫しの沈黙。それを破ったのは、男だった。
「……化け物め」
「あぁ、化け物だよ。本当にそうだと思う」
アリスはどこか暗い表情でそう言うと、男に向き直り、続けた。
「さて、お前の話だが──死ぬまでここに縛られているか、逃げてった仲間が戻ってくるのを待つか…どちらにしても長時間この状態だろうが、せいぜい頑張りな」
「くっ…言ってろ」
「…んじゃ、もう暫く眠ってな」
アリスは言うと、もう一度男の顔に鉄拳を見舞った。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「ところでミクル。お前、こんなところで何してたんだ?探し物か?」
ふたり──と一羽で森の中を進んでいると、アリスはミクルにそんなことを訊いた。
「まあ、そうだね。でももうすぐそこだよ、ほら──」
ミクルが走り出し、森を抜けるとそこには、一面の花畑があった。
「うわぁ……」
深緑の中に敷き詰められた色鮮やかな花々に、ミクルは眼を輝かせた。空気を吸い込むと、鼻につんとくる刺激的な香りを感じた。
「あてもなく歩いていたわけじゃあなかったのか…って、お前ここ来るの初めてなのか?」
「うん、そうだよ」
そこでアリスは違和感に気が付き、それを訊こうとする前に、ミクルは一輪の花を摘み取るとそれをアリスに差し出した。
「さっきは、叩いたりしてごめんね。護ってくれてありがとう」
「え? あ、おう…」
アリスは受け取り、花を見ると口元をほんの少しだけ、緩ませた。
「……ねえ、キミ、これからどうするの?」
アリスは少し考え、応える。
「特にこれと言って目的はないが、上空から見えた都の方に向かってみようと思ってる」
それを聞くとミクルは「ふーん」と呟き、続けた。
「でもそれは、やめておいた方がいいと思うな……仮面の男たちに顔はバレているし、いくらキミでも危険だと思う」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
似合わない困惑の表情を浮かべながらアリスは訊くと、ミクルは少し考えてから提案した。
「そうだな……差し当たりは、ボクたちの家に来てから考えるっていうのは、どうかな?」