第二話「運命の邂逅」
少し、昔の話をしよう。
アリスら傭兵の戦闘技能は、訓練兵として施設で修練をしていた際、施設の表向きにおける管理者のひとり──アリスらが呼ぶところの師から指導され身に付いたものであり、そのほとんどは武器を使わない、丸腰の状態を想定した業である。
例えば、自身の走力を最大限に引き出し自らが出せる最高速度で駆け抜ける走法──〝獅駆鳳翔〟
地上を駆ける獅子が如く地を蹴り、そして空を翔ける鳳が如く風を切り言葉通り眼にも留まらぬ速さで、驚異的な疾走が実現可能となる。
アリスらが師から教わった業の全ては、このように完全に人間が生み出すことの出来る拳法の範疇ではなかった。師がどんな手を使ってそれらを習得したのかは分からないが、その業のほとんどが今はアリス自身に授かれている。
だが、如何せんアリスらの戦場においては単純な戦闘技能に加え、それぞれが持った特殊能力を生かして臨まなければならない。
特殊能力。
世界中の各地で確認されている、個人差はあるらしいが、大抵が物心がつき始める頃の子供に顕現することがある、科学や理論では到底証明や説明ができない力。
国によっては崇拝され、また虐げられる地域もある。アリスの国では、どちらかと言われれば後者──〝呪われた血〟と呼ばれ蔑視されている。
さて、アリスの能力は前述の通り、自らの手で生み出した生命を自然物や無機物に宿す、というものだ。創り出したもの──言わば擬似生物は、アリスの意思で自由に格納及び顕現することができる。
この擬似生物は概念的に生み出した生命に頓着するものではなく、具体的な貌が定着していなくても自由意志を持った機械のように動き出すことはできる──が、そのようなケースでは十分な活動に必要な燃料──我々からすると食物のようなものだ──の補給が不自由になり、結果的にすぐ動けなくなり死に至ってしまう。概念的に生み出した生命、というのは、簡潔に言えばアリスのイメージだ。
ある固定的な生物を想像すれば、創り出した生命は同じように象った媒体さえ用意されていればある程度それに近付く。
例えばニーナのような小鳥は、難しいことは考えずに翼さえ創れば空を自由に飛ぶことができる。自然に生まれる命とは違い、最初からその生物として、その貌で生まれるため、本来それが持っている習性や本能は、勝手にインプットされている。また、本来の生物と違う点はもうひとつあり、それは身体的に成長しないというものだ。
この2点を除けば、この能力で創った生物はみな、普通の生物として活動をする。
これが、アリスの能力〝創命入魂法〟の基本的な内容だ。
全ての戦いが終わったのち、アリスはこの能力を使わずにいた。
その理由のひとつは、戦いで寿命をすり減らしてしまったそれらを労わってやりたいと想う気持ち。つくりものの命とはいえ、れっきとした生物だ。そしてそんな彼らと同じような生命を、戦いの終わった今となって無理に生む必要は無いと判断したのが、もうひとつの理由だ。
──それにしても、散々虐げられ蔑まれるきっかけを作ったその能力が、平和のために紛争に使われ、その本懐を遂げたというのは、なんとも皮肉なことだ。そしてこれからの戦いにおいても、アリスはこの能力を使い続けることとなるのだ。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
〝ロッテ〟と呼んだ大鳥に掴まりながら、宛もなくしばらく上空を彷徨っていると、遥か遠くの空に巨大な島──のようなものを見つけた。
「……?」
確認しようと、それを目指してみる。
しばらくすると、あることがわかった。
それはこれが、昔何かの本で読んだ、所謂龍という架空生物のような形をした何かであるということと、少しずつではあるが動いているということだ。
龍の形をした何か、というのは、頭部と四肢に加え翼を有しているが、その全てがからくりの様であって生気が感じられず、更に言えば翼の形をしたそれはほとんどそれとしての機能を果たしていないということだ。
そもそもこれは度し難い大きさで、実際に空を飛ぶにはいくつかの物理法則を無視しなければならない程であった。
──物理法則を無視する、という点は、その例を幾度も経験しているアリスにとっては今更驚く程のものでもないのだが。
とりあえず、更に上空から偵察しようと試みてみる。
──視界の奥で、煌びやかな金髪の少女が微笑んでいるのが見えた。なんの変哲もなく、ただ上空に佇んでいる。
「あ──?」
しかし一度瞬きをすると、そこには誰もいなかった──当然なのだが。
ずき、と頭が痛んだ。
「……あれ、俺、今何を──」
───突如、保たれていた高度が失われ、アリスたちは急激に落下し始めた。
「──!?」
抱えていたうさぎをそのままに、ロッテに密着しながら何が起きたのかを把握しようと探ってみる。するとロッテの腹部が損傷していることがわかった。更に調べると、拳ほどの大きさの石を見つけた。そしてそれと同じような石が地上からいくつも飛んできている──恐らくこれがロッテに直撃し、大きくダメージを受けたのだろう。だがこの状態になってもなお、投石は続けられた。
「くっ…」
自由に動けず、アリスはただ飛翔力を失ったロッテにしがみつき、そしてそのまま──幸いと言うべきか──森林の中に突っ込み、木の枝やロッテの体がクッションとなり、だいぶ勢いは殺されながらも地に落ちた。
「わわっ!」
「いってぇ……あ、ロッテ!!」
──自分以外の声に気付かず、アリスはロッテの安否を確認する。が、しかし既に絶命していた。
「……すまない」
ロッテの体躯をさすりながら、アリスは申し訳なさそうに呟いた。
「あの」
先程の声の主と思われる(アリスは気付いていなかったが)、多少の赤毛が混ざった白い髪の少女が、伺うようにアリスの顔を覗き込んだ。頭には、うさぎの耳のようなものが生えている──ように見える。
「結構な高さから降ってきたみたいだけれど、大丈夫? けがはない? ……って、うさぎ?」
「あ?」と間の抜けた声を出しながら、視線を自らの懐に落としてみると、うさぎがここぞとばかりにアリスの腕から脱出した。……どうやら、すっかり気を抜いていたようだ。
「あ、ま、待てっ!!」
体勢を整える一瞬の間に、うさぎは見えなくなっていた。アリスは膝からその場に崩れ落ちる。
「終わった……」
空腹と疲労から絶望の表情を浮かべていると、横から少女が声をかけてきた。
「あの…大丈夫? お腹空いてるの? ……ボクの昼食分けようか?」
と。──今のアリスには願ってもないことだ。アリスは首だけを動かし、少女の方を向き「いいのか?」と訊くと、少女は微笑みながら布を被ったバスケットをアリスの目の前に差し出し、控えめに頷いた。
♠︎ ♡ ♢ ♣︎
「おぉ…これ全部お前が?」
すぐ傍の木の根元に腰掛け、バスケットに被さった布を取ると、肉や鮮やかな黄緑の葉を包んだ、白く柔らかいパンのようなものと、それと同じようなものがいくつか詰まっていた。
「うん、こういうの得意なんだ。あと、お前じゃなくてミクル。ミクル・スカーレだよ」
「お、おう…すげぇなミクル、これすげえ美味いぞ。多分、今まで喰ってきた中で一番だ」
「……それは言い過ぎじゃないかな、じゃなかったとしたら今までどんなもの食べてきたの、キミ…って、こら。そんなに慌てないで、もっとゆっくり食べられないの?」
「そりゃあ、もう二日も飲まず食わずだったからな…」
口の中のものを飲み込むと、アリスは次へと手を伸ばした。今度はしっかり味わってみる。
外側の白く手触りの良いパンのようなものに、歯ごたえがあってみずみずしい色鮮やかな葉がアクセントとなり、適度に火の通った肉が香ばしい匂いを引き立て、同時に味付けもこなしている。それぞれの素材が最大限に生かされていて、非の打ち所がない。気付けば、バスケットの中身は空になっていた。
「もうないのか!?」
落胆するアリスを睨みつけながら、
「いや、ボクほとんど食べられてないし…」
とミクルは呟いた。
「……まあ、ありがとな。ごちそうさん」
「……お粗末さま」
ミクルは拗ねたように口を尖らせ言った。
──と、アリスが何気なく先程自分らが落下したところを見やると、何かを見つけた。
「ん?」
ミクルの横を通り過ぎ、近付いてみるとそこには、紺色のハンチング帽が落ちていた。
「これ…お前のか、ミクル?」
拾い上げ、ミクルに差し出すと、ミクルは心做しか慌てた様子で自身の頭上を手で探るような動作を何度か繰り返し、ハンチング帽を受け取った。
「……もしかして、今までずっとこれが見えててボクと普通に話してたの? キミ」
なんだか含んだ訊き方をするなと思いながら、アリスは「お、おう…?」と応える。
「キミ、どこから来──」
「おっ、〝ラビット〟はっけーん」
ミクルの声を遮ったのは、軽い口調の男の声だった。ミクルの背後数メートルから現れたその声の主は、顔を仮面───白い無地の上に黒い模様があり、それは狂気すら感じる不気味な笑顔のように見える───で隠していた。
「まさか本当にこんなところでお目にかかれるとはな……」
「まず一匹、話はそれからだ」
続いて似た仮面を付けたふたり、その男の背後に現れた。先程の感情を象ったような仮面を「喜」と名付けるならば、たった今やってきた男たちの付けている仮面は「怒」「哀」と呼ぶべきか。
「知り合いか?」
アリスはミクルに訊く。
「……キミにはそう見えるの?」
とミクルが訊き返すと、アリスは「いや」と簡単な否定をしミクルより前に出た。
「どんな事情かは知らないが、お前ら…運が悪かったな?」
多少脅し口調でアリスが言うと、特に怯んだ様子もなく最初の男が応えた。
「……なんだお前、まさかそこのラビットに力貸すつもりか?」
「まあ、少なくとも今からひとりの女の子に変な仮面付けた謎の集団が群がって不穏なことを企んでる状況を見て判断した結果だな」
「それがラビットでもか?」
「だから、どんな事情かは知らねえって。なんだその、ラビットってのは」
「え?」
それを聞き、ミクルが驚嘆の声を上げるとほぼ同時に、三人が腹を抱えて笑い出した。
「……?」
状況が理解できずにいると、男のひとりが話し始めた。
「お前、何も知らないクセにここに居るのかよ? 一体どこの人間だ?」
「……」
一瞬返答に困ったが、少し考えるとアリスは片手の人差し指で空を示した。
するとまた、男たちに笑われた。
「いや、確かに間違ってはなかったかもしれないけどさ…」ミクルが呟く。
「俺が一番知りたいことなんだけどな…」
しばらくして場が落ち着くと、男のひとりがまた話し出した。
「まあ俺らもお前の事情なんざ知らねえけどよ。なんなら、俺で良ければ教えてやってもいいぜ。そこの忌まわしきラビットについて、な」