あなたの笑顔が100万ボルト
まだ5月なのにこんな真夏日とか死ぬわ!
というところからできた、「真夏の吸血鬼」を始めるきっかけになった話。
最近ここにいるって聞いたから、きっと今日も……って思ってたのよ。普段からあんまり行動変えないひとだもの。
「くっ、苦節124年……! ついに!」
喜びのあまり身体が震える。ついに、ついに、今日こそ!
彼女は震える手を、木陰に横たわるマントに向けてそっと伸ばす。今日こそ、今日こそ彼に触りたい。
なのに。
彼女が触れる直前に、ゆら、とマントが動き、彼女はびくりと手を引っ込めてしまった。
「今日は涼しくていいねえ」
マントの中から不意に声があがる。彼が目を覚ましてしまったのだ。
ああ、チャンスよさようなら。
がっくりとうなだれる彼女の前で、マントからひょっこりと彼が顔を出した。
「あれ?」
「あ……あれ、じゃありませんわ」
作戦大失敗な彼女は逆ギレ気味に、不貞腐れたようにぷいと横を向く。
「あなたが最近ここで寝ていると聞いたから、ホームレス同然の姿を笑いに来ただけですのよ」
「あはは、そうだったんだ」
呑気に笑う彼の顔が、目の毒過ぎて眩しい。くっ、この方は、なぜこうも無駄に……!
自分と違う、生粋の吸血鬼である彼の笑顔が100万ボルト(死語)過ぎて辛い。私、きっといつかこの笑顔に刺されて死んじゃうんだわ。
そんなことを考えながら、彼女は彼を眩しそうに見つめる。
「そうだったんだ、じゃありません。不埒な通り魔に首を落とされたら、さすがのあなたでも滅んでしまうというのに」
「いや……さすがに現代日本でそこまでする通り魔はいないんじゃないかなあ」
また彼は笑う。笑顔が100万ボル(略)。
「こんなところでホームレスのように寝るなんて、吸血鬼の誇りはいったいどうなさったのです?」
「あー……それな」
「それな、じゃないですわ!」
あくまでも呑気な彼に、こんなに心配なのにとついカッとなってしまう。
「最近は、釣りに引っかかってくれる人間が減ってなあ……インターネットのお陰で、物騒な事件が拡散されるのが早くなってしまったからかなあ」
はあ、と溜息をついて肩を落とす彼の姿に愕然とする。どういうことなの? 彼に、彼に声を掛けられた人間がそれに応えないと? 血袋の分際で?
「そのようなこと、わたくしに一言相談して頂けたら、いかようにでもいたしますのに!」
つい拳を握りしめていきり立つ彼女を、彼はまあまあと宥める。
こっ、この方は本当に呑気でいらっしゃる……はっ。そもそも私、どうしてここに来たのでしたっけ?
そ、そうだわ、この会話のどさくさに紛れて触れば……。
ついつい忘れるところだった本来の目的を思い出し、彼女は拳を握ったまま一瞬茫然として……。
「どうしたの?」
「ぶっ」
いきなり覗き込まれ、間近に寄せられた彼の顔をまともに見てしまった彼女の乙女回路が、ショート寸前にまで追い込まれた。鼻血を噴いてしまうのではないかと慌てて抑えたその顔は、真っ赤に染まっている。
「な、なんでもないですわ。それより、まさか昼間もずっとここにいるつもりですか」
「うーん、さすがに3日も続いたら、警官に職質されそうだしねえ。そろそろ潮時かなあ」
頭を掻きながら座っている彼に、彼女はゴクリと喉を鳴らし、それから勇気を振り絞って手を差し伸べた。
「で、でしたらわたくしのところへいらっしゃいな。歓迎致しますわよ」
目を逸らしながらもぐいぐいと差し出してくる手を見て、つい、くすりと彼は笑う。
「では、今日はお嬢さんのところでお世話になることにしますか」
彼は彼女の手を取り、立ち上がる。それだけで彼女の心臓は跳ね上がり……彼がそんな彼女のようすにまたくすりと目を細めて笑う。
だから笑顔が100万(略)
「――ではロード、拙宅へご案内いたしますわね」
「よろしく、お嬢さま」
ただ彼に触れることができればと思ってここへ来たのだけなのに、思わぬ段階まで一足飛びで、心臓が破裂しそうだ。
これで良かったのかしら。いえ、きっとこれが正解なのよ。
彼女は彼と手を繋ぎ、薄曇りの夜明けの中を歩き出す。
彼は、そんな彼女を微笑みながら見つめていた。