◆その514 乙女の往く道
外に出た勇者エメリーと剣神イヅナ。
炎龍はぐっすりと休み、鼾をかいている。その近くでは剣鬼オベイルが剣を振っていた。
オベイルは、よこ目でちらりと二人を見るも、何をする訳でもなかった。
エメリーは静かに佇むイヅナをじっと見ていた。
(何度見ても凄い。構えている訳でもないのにどこにも隙がない……)
長年にわたり培ったイヅナの経験と技術。
立ち姿一つとってもそれはエメリーの及ぶところではなかった。
それを見透かしたかのようにイヅナが言った。
「どれ、打ち込んできなさい」
イヅナは剣を持って外に出た。
エメリーも立ち会う事は想定していた。だが、イヅナに隙がないのも事実。自分が負ける未来が見えていても打ち込む。それが出来なければ訓練など出来はしない。
エメリーは大きく深呼吸した後、一瞬にしてイヅナの背後に回った。
そして攻撃の最短距離を選びイヅナの背を突いた。
背中にエメリーの剣が刺さる寸前、エメリーはピタリと手を止めた。
「一本……ですよね?」
「そうだな」
まさかのエメリーの一本。
イヅナ相手に一本をとれる実力が自分にある訳がない。エメリーはそう感じ、小首を傾げる。
「次」
イヅナの催促。
エメリーは再び距離をとってイヅナに仕掛けた。
今度は下段からの斬り上げと同時に土を舞いあげ、右袈裟から斬ろうとする。寸止めながらもまたエメリーは目を丸くした。
「あの、これって……?」
「次だ」
イヅナの言葉は、再度打ち込みを促すものだった。
そこからはイヅナの言われるがままだった。
着々と一本を積み重ねるエメリー。微動だにしないイヅナを訝しみながらも、エメリーはイヅナに言われた通り打ち込みを続けた。
やがてエメリーの口から息切れが漏れる頃、オベイルの訓練が終わり家の前まで戻って来た。エメリーの打ち込みを見ながら、オベイルが目を細める。
「ふっ……ふっ……ふぅ……」
顔に汗を浮かべるエメリーに、オベイルが聞く。
「それ、何本目だ?」
「え……ちょうど五十本です」
指折りして思い出すように言ったエメリー。
それを聞き、オベイルがイヅナを睨む。
「おう爺、ずいぶん捻くれた剣使うじゃねえか?」
「え?」
イヅナの動きに変化はなかった。それどころかエメリーには何も見えなかったのだ。しかし、オベイルは違った。イヅナの剣を責めたのだ。
「これも一つの剣。鬼っ子にゃまだ早いかもしれんがな」
「なにぃ……?」
額に青筋を浮かべるオベイル。
オベイルはエメリーの首根っこを掴み、
「わ、わ?」
ポイと投げた。
オベイル、エメリーの代わりを無理矢理引き受けたのだ。イヅナの前に立ったオベイルは、上段に剣を構えた瞬間消えたのだ。それは、エメリーが最初に起こした行動と全く同じだった。
背後に回ったオベイルが、上段から変化をつけ剣を横に払った。
「しっ!」
気合いこもるオベイルの声とほぼ同時、無数の衝突音が聞こえた。それは、エメリーが聞き慣れている剣と剣がぶつかる金属音。
次の瞬間、エメリーの目に映ったのは大汗をかくオベイルと、涼しい顔で笑うイヅナだった。
「……へっ、やっぱり捻くれてるじゃねえか」
「ほっほっほ、成長したな鬼っ子」
その時エメリーは気付いたのだ。
――自分はイヅナの反撃に気付けなかったと。
訓練である。寸止めは当たり前である。
しかし、エメリーが寸止めした時、既にイヅナの攻撃は終わっていた。これまでの五十本、エメリーはその全てに負けていた。
だからこそオベイルはイヅナの剣に対し「捻くれた剣」と言ったのだ。
馬鹿にされた訳ではない、イヅナがエメリーに対しそんな事をするはずがないのだ。だからエメリーは言うしかなかったのだ。
「イヅナさん……どうして……?」
イヅナは剣を鞘に納めながらすんと鼻息を吐く。
そして、オベイル、エメリーの順に見てから言った。
「勇者レックスの力について聞きたいと言ったな?」
「……はい」
直後、イヅナは大袈裟に肩を竦めたのだ。
「そんな事聞かれても私には何も答えられん」
これにはオベイルすらも目を丸くした。
「レックスは【覚醒】直後に死んでしまったからな。だが、これだけは言える。私が知っているのは、それでもレックスは死んだという事だ」
言いながらイヅナはエメリーを見た。
「【覚醒】した勇者とて……無敵ではない」
「っ!」
それは、エメリーにとって強く突き刺さる言葉だった。
「文献に残る古代の勇者たちは皆、Z区分に足を踏み入れる実力だったと聞く。しかし、私にはレックスがそうだったかと聞かれれば疑問が残る」
「それじゃあ……それじゃあどうすれば……」
エメリーがそう言ったところで、イヅナは鋭い目をエメリーに向け言った。
「甘えるな」
「っ!?」
身体をビクつかせるエメリー。
しかし、イヅナの視線が弱まる事はない。
「先の私の剣、あの戦争時には出来なかった【意殺の剣】。……だが、重要なのはそこではない。これは、我が剣が歩みを止めていない証拠だという事だ」
エメリーは言葉を失いながらもイヅナの言葉に耳を傾けた。
「甘えるな、エメリー。先人が歩みを止めぬのだ。遅れて歩み出したところで追いつけるはずもない。その差を埋めるのは何だ? 才能? 経験? それとも――【天恵】か?」
「っ!」
「違うな。そんな生易しい言葉で括れる程、この道は甘くない。歩め、駆けろ、駆け抜けろ。足を止めた者に本当の実力は宿らぬ。焦がれて焦がれてやっと手に入れた力すら生ぬるいと知れ」
そんなイヅナの言葉に、オベイルですら息を呑んだ。
「そんな事でここへは来るな、エメリー。知っているはずだ、私の力ですら不十分である世界を。知っているはずだ、私以上の強者を。剣神? 剣鬼? そんなものはまやかしだ。真の実力者が蠢く世界を……エメリー、お主は知っているはずだ。この老いぼれが見せる小さな世界で止まってくれるな、エメリー。お主は勇者。誰よりも先んじて歩む者に与えられる勇者なのだ」
イヅナの言葉はエメリーの心を強く打った。
いつの間にかエメリーの口を固く結ばれている。
だが、その表情は非常に晴れやかだった。エメリーはそんな顔を二人に見せると、深く頭を下げたのだった。
「足搔け、エメリー」
最後にイヅナの突き放すようで、諭すようで、しかし優しい声を聞き、エメリーはいつものように大きく返事をした。
「はいっ!!」
そんなエメリーが駆けながら帰り、それを遠目に見るイヅナをじーっと見つめる男が一人。
「何だ鬼っ子?」
「爺、エメリーにあんな事言ってたけどよ? 抜かせる気ないだろ?」
「当たり前だろうに」
オベイルは鋭く指摘したつもりだった。
しかし、返ってきたのはオベイルの全肯定。
目を丸くしたオベイルにイヅナが大きく笑う。
「ほっほっほっほ、悔しかったら抜いてみせいっ!」
「てめっ、糞爺!」
冒険者最強と称される剣神イヅナ。
彼もまたエメリーと同じく、歩み足搔き続ける存在である。
次回:「◆その515 聖女の往く道」




