◆その466 ノエル
(……クソ、何て無茶をする。あれがエレノアが言ってた新入りか)
オベイルの家から離れるように木々の間を縫うように走る存在。
目深に被った黒い帽子と、肌にピッタリと合う動きやすい黒い服。口元も黒い布で覆い、黒ずくめの隠者の如き女。
それが刻の番人【ノエル】だった。
常人では捉えきれぬ速度で移動し、ようやく自身の洞窟へと戻ったノエルは、帽子を外し長い金髪を露わにした。
「……ふぅ」
腰掛けに丁度良い岩に腰を下ろし、ノエルはほんの一息吐いた。
ふとノエルが、洞窟の奥へ目を流すと、そこにはゆらりと揺れる二つの紅い瞳があった。
ぎょっとしたノエルはバッと立ち上がり、太腿のホルダーから短刀を取り出し構えた。
「誰だっ!」
ノエルの警戒をよそに、暗闇の方から聞こえたのは、小さく気味の悪い女の笑い声だった。
「ふふふふ……ここがアナタの拠点? 埃っぽいところ……」
嫌味のような言葉と共に現れた女は、ノエルとは対照的に真っ白な肢体と髪をしていた。
その姿を見た時、ノエルはハっとした様子で驚きを露わにした。
「……【白紅の眠り姫】っ!?」
「あらあら、私の事をご存知ぃ? であれば、話が早いわぁ~」
癖のある語尾と、妖しい魔力。
周囲の景色が歪む陽炎のような魔力を前に、ノエルの警戒が濃くなる。
「魔界と我々は不可侵の約定をかわしているはず。何故ここへ現れた?」
「不可侵? それは魔界とのお話でしょう? 人界にいる魔族とは関係のないお話である事くらい、アナタならばわかるはず」
「何っ? 【不死王リッチ】はそれを承知の上だというのか? だとすれば、こちらにも考えがある」
すっと腰を落とすノエルを前に、【白紅の眠り姫】がくすりと笑う。
「おかしな事を……。確かにリッチ様は偉大な御方。けれど、我が主はリッチ様ではない。あら、そのお顔……もしかしてご存知なかったぁ?」
「馬鹿なっ!? 一体どういう事だ、【ヒミコ】ッ!?」
そう、ノエルの前に立っていたのは、ミケラルドが以前血を吸った不死王リッチの部下――【ヒミコ】だった。ゆらりゆらりと動く姿は、正に不死者のソレだった。しかし、その殺気は不死種の元第二席と言われるだけのものだった。
「新たなお仕事を頂いたと思えば、アナタのような女の監視とは……残念だわぁ~」
「っ! 新たな仕事……人間界? っ! もしやお前の主は!?」
「あらいけない。気付いてしまいましたぁ? でもご安心を。アナタはもうここから逃げられない」
「ふっ、それは些か私を甘く見過ぎというものだ。いかにお前が優秀でも、出口は我が背。眼前にいるお前から逃げる事など容易だ」
「出口ぃ?」
ぎょろりとヒミコの瞳がノエルに向く。
カタリと傾げられた顔。その視線の先はノエルの言う通り、確かに出口と言えた。
しかし、ノエルは気付いた。気付いてしまったのだ。
(で、出口に何かいるっ!?)
ゾクリと感じた悪寒と共に、その脅威度を理解したノエルは、【ヒミコ】を背に振り返ったのだ。それはつまり、その脅威がヒミコ以上である事を身体が理解したに他ならなかった。出口とその奥にある木々、獣道以外はノエルの視界には映らなかった。
(どこだ……? 確かにいる……とんでもない化け物が!)
三度、ヒミコから聞こえる笑い声。
「何ともおかしき姿。けれどそれも我が主の愛嬌とでも言いましょうか」
クスクスと笑うヒミコ。
しかし、ノエルはそれを気にしている場合ではなかった。
直後、ノエルは木々の間に違和感を覚えた。
(何だ……木が……草が動いている?)
木々の間にある草や葉が、ゆらゆらと揺れて見えたのだ。
(風じゃない。これは一体……?)
瞬間、ノエルは目を見開きぎょっと驚く。
草葉の塊がぐっと前に動き出したのだ。
「ひっ!?」
闇の重鎮――刻の番人をもってしても驚き、恐怖を漏らす程、その存在は異質なものと言えた。
「主、お戯れが過ぎます」
不気味な笑みを浮かべたヒミコが言う。
それを聞いたノエルが腰を落とし魔力を放出する。
「な、何者だっ!?」
ノエルが武器を構え威嚇すると、草と葉の塊は、まるで人のように歩き出した。
そして、ヒミコの前に立つと同時、頭部の顔にあたる部分ががさりと開いたのだ。
「ぷぅ。記憶を頼りに【ギリースーツ】を作ってみたけど、通気性が甘いな。改良の余地有りだね」
軽い口調で言いながら、ギリースーツを脱いで現れたのは、
「デューク・スイカ・ウォーカーッ!?」
ノエルの言葉は真実であった。しかし、それはノエルの真実である。
ヒミコが主と仰ぐ者は、この世に一人しかいない。
「あ、顔を戻すの忘れてた」
「ふふふ、お茶目な主でいらっしゃる」
二人はノエルを挟みまるで世間話をするかのように言った。
「まぁいいか」
「そうです、些末な事ですわぁ」
二人の距離が近付く。
ノエルの警戒が色濃くなるも、彼女は一歩も、ピクリとも動けなかった。
彼女の身体は理解していた。この場にいる異質こそ自分であったのだと。
動けず、震える事さえも許されず、ただ瞳だけを揺らし、恐怖と戦っていた。
そう、彼女の身体は死を悟っていたのだ。
何する事も出来ず、いつの間にかノエルの肩には、ヒミコとミケラルドの手がポンと置かれていた。
「刻の番人同士、仲良くしましょう」
ノエルの最後の自我。その目に捉えたのはニコリと笑ったデューク。
その口元には、鋭く長い歯が見えていたのだった。
次回:「その467 報告」




