◆その331 開戦の刻
「うわぁ……」
ミケラルドが顔を顰めながら見据える大平原。
冒険者千人。リプトゥア国軍五万人。総勢五万一千人の大軍勢を見て、ミナジリ共和国の元首――ミケラルド・オード・ミナジリは言った。
「冠婚葬祭とか忌引きとかインフルエンザとか使って休めないかな……」
当然、その声を拾う者はいない。
ミケラルドは要塞の外壁上におり、他の仲間は皆、眼下の平原へと降り立っているのだから。
ミナジリ共和国側の左翼に立つ男は生ける伝説。剣の神と称された男の千変万化の剣は、冒険者の憧れであり頂――剣神イヅナ。
イヅナの隣に立つ大男が担ぐように持つ大剣。それこそ男が鬼たらしめる証。その剛力により放たれる鬼剣は、畏怖を体現している――剣鬼オベイル。
対し、右翼で目を伏せ、静かに開戦の刻を待つ男はかの勇者を滅した者。ミケラルドの剣の師であり、魔族四天王からも一目置かれるリザードマン――ジェイル。
その隣にいる二人の乙女。一人は剣の頂を目指し、若くしてランクSの称号を手に入れた一昨年の武闘大会覇者――剣聖レミリア。
もう一人は、世界に秩序と平和を齎すため、神より天啓と天恵を得た人類の希望。新たに手にした勇者の剣は微かに聖なる光を発している。選んだ道は光か闇か、はたまた別の道か。リプトゥア国から逃れた若き乙女――勇者エメリー。
そして中央に、仁王立ちする長身褐色の女。腕を組み、見据える先には大軍勢。しかし、その瞳には一切の恐怖無し。あふれ出る魔力は周囲をゆっくりと渦巻き、世界を静かに見守るかのよう。一国以上の武を有するZ区分――リィたん。
それを見たリプトゥア国軍の騎士団から漏れ出るのは、至極当然の会話だった。
「……六人?」
「冗談だろ……?」
「要塞に隠れてるんだろ?」
「いや、だがあの要塞には門が存在しないぞ?」
疑問が疑問を呼び、ざわつく騎士団。だが、それもやがて鳴りを潜める。
最後に残ったのは当然――――、
「「ぷっ、ぶぁっはっはっはっはっは!!」」
盛大な笑い声。
「馬鹿だろ! こんなの戦争になるはずがないじゃないかっ!」
「いくら剣神や剣鬼がいようと六人って! アハハハハハッ!」
「呑み込むまでもないだろ! 吹けば散るってな!」
騎士団は待ち構える六人に指を差し、大きく笑い、罵詈雑言を浴びせるばかり。
対し、戦場に立つ六人は違う。ただ静かに目を伏せ、主の指示を待っているのだ。
更に、冒険者やいくつもの死を乗り越えてきた剣闘士たちは、騎士団の反応とは大きく違った。
恐れ震える者、憧憬の眼差しを送る者、ただ口を開け棒立ちしている者、反応は様々だった。笑う騎士団に対し、冒険者の一人が口を開く。
「馬鹿が……あの魔力がわからないのか、奴らは」
「温室育ちはこれだから阿保なんだ。俺の身体が言ってる。アレはヤバイってな」
「じゃあ何でまだ残ってるんだよ」
「当然、剣神狙いだ。あの人に憧れて冒険者になったんだからな、俺は」
「はっ、お前もその口か!」
「お前もか」
「んや、俺は剣聖だ。一昨年の借りを返したい。出来れば」
「ま、無理だろうな」
「じゃあお前はもっと無理だろうが」
ミケラルドはこめかみにトンと人差し指を置き、遥か遠くにいる友人に連絡をとる。
『クロードさん、準備は?』
『はい! 問題ありません! エメラにナタリー、カミナさんも動いてくれてます!』
『おっけ~、ありがとうございます。急な指示変更の中助かります』
『いえ、とても素晴らしい案かと』
『あはは、後は奴が乗れば……!』
クロードへの【テレパシー】を済ませたミケラルドが、一足跳びに六人の前に降り立つ。直後、騎士団の笑い声が収まる。
「あれが……ミケラルド・オード・ミナジリ」
「魔族ってのは本当か? どう見ても人間だぞ?」
ミケラルドが一歩、また一歩と歩き徐々に姿を変えて行く。
白き肌、深紅の瞳、鋭き牙。戦場のど真ん中に立った男は既に人間の姿を捨てていた。
「き、吸血鬼……!」
「……魔族だ」
異様な姿に呑まれる者多かれど、それは決して恐怖だけではなかった。
特に、剣闘士、奴隷の多くは彼を見る目が明らかに違った。その瞳には畏敬の念が込められ、奴隷の王の真の姿に涙する者もいた。
音に聞くミケラルドの実績、他国同士を繋ぐ架け橋となり、ガンドフを救った男。魔族という一点……それだけを除けば、ミケラルドは偉大な功績を成した大きな男。奴隷となり、全てを失った者たちにはその事実をよく理解する事が出来たのだ。
そして、冒険者たちも意見は分かれど奴隷たちに賛同する者も少なくなかった。
それは、ここまで軍を脱走しなかった者だからこそ。
動揺広がるリプトゥア軍から、一人の男が出て来る。
黒馬に跨る大男の威圧感は、吸血鬼ミケラルドを前にしても揺らぐ事はない。
【ゲオルグ・カエサル・リプトゥア】――リプトゥア国の王にして絶対的な支配者。
ゲオルグ王の黒馬がミケラルドのいる中央へと向かう。
「へ、陛下! 危険にございます!」
止める声は多くも、誰一人前へ出る事は出来なかった。
ゴミでも見るかのような目を騎士団へ向けるゲオルグ王。
「臆病者め……」
その呟きを拾うかのように、ミケラルドが言う。
「ご自分の部下への目と言葉じゃないですよ」
だが、ゲオルグ王はミケラルドの言葉に反応しなかった。
いや、無視しているとも言えた。
そして、見下すようにミケラルドを見たゲオルグ王がようやく口を開く。
「……ゴミが」
「もしかして私の事言ってます?」
「お前以外に誰がいる?」
きょろきょろと周囲を見渡すも、やはり口にした当人を除けば、ミケラルド以外いない。それを確認したミケラルドは、コホンと一つ咳払いをしてからゲオルグ王を鋭い視線で睨んだのだ。
「どうも、ゴミです」
返答は兎も角、気合いだけは負けないミケラルドだった。
次回:「その332 建国」




