焼き肉食べ放題におけるテロリズム
焼肉屋には食べ放題というシステムがある。ないところもあるけど。大体キリの良い数字から二十円を引いた金額で、店の前には激安セールと同じフォントで90か120分食べ放題という旗が掲げられている。
これはまずまちがいなく焼肉屋からの宣戦布告である。
焼肉屋といえば我々にその場の勢いで注文すれば財布が痛い目を見せるという教訓を教える訓練場みたいなところだが、そこが食べ放題というのはまさしく我々に対して喧嘩を売っているに等しい。『焼き肉食べ放題』のお題目は見る人によっては『テメェどこ中よ』に見えるぐらいだ。さらに深読みすれば『焼肉食べ放題だけど? まああんたらの胃袋だったら普通に注文したほうが美味しいし楽しいよ?』と煽られているようなものである。
つまり焼肉食べ放題に向かう男たちは『絶対元を取る』という愛憎によく似た感情を抱いたテロリストにならなければならない。さんざん痛い目を見せられた相手に意気揚々と乗り込むのはまさに平成のお礼参りと言えなくもないが、そんな甘っちょろい考えでは焼肉屋に痛い目を合わせることは出来ない。そういう何年かしたらいやあ自分はあの時はヤンチャでしたとかヘラヘラ笑いながら言うチャラチャラした奴に選ばれし聖戦士としての資格はなく、せいぜい焼肉屋の言うとおり正規の料金で飲み食いでもしてればいいのだ。
食べ放題に挑戦する権利があるのはもはや金を払っている時点で負けという現実から徹底的に目をそらしいかに焼肉屋に打撃を与えたかどうかを家族とか友達とか同僚とかいなかったらインターネットとかに声高らかに宣言してドン引きされる人間だけなのだ。
さて円卓ならぬ円網に選ばれし聖戦士の人数だが、四人がベストだ。ひたすら肉を食べ続ける前衛が二人、いかに効率よく店の粗利を削れるかを判断して注文する軍師が一人、水とかおしぼりとかトングとかでアシストをし続ける後衛が一人だ。
まず、初手は軍師。店員の食べ放題についてのあれこれの説明を一切聞かず、メニューを開き牛タンがあるかを確認する。豚タンではだめで、当然店の仕入れ値が一番高そうだからだ。さらには単品で頼んだ場合はいくらになるかという計算も瞬時に行い、だいたい何皿食べれば元は取れるなと計算する必要もある。だがさすがに相手はとりあえずビールで牛丼特盛りの値段を徴収する悪しき焼肉屋なので牛タンは別料金と相場が決まっている。そして次に単価が高そうな上カルビを注文するのだ。
軍師の仕事は多い。まず大事なのが領土の分配である。焼肉の場合網をどう分け合うかという命題は未だに解決されていない。しかも男四人が囲むとなると案外小さい。そんな猫の額みたいな領土で虎視眈々と焼肉屋に対するDPSを極めるなら、四人による網共有、通称《ワン・フォー・オール・オール・フォー・ワン》の体勢を取るべきである。俺が育てていた肉などという概念を捨てた、殺すためだけの陣形。領土を人数で割る《天下四分の計》は食べ放題の際は望ましくない。みんなが好きな物をなんて学芸会みたいなノリで倒せるほど焼肉屋は攻略できないのだ。
つぎに、後衛。タレと焼き加減とコップの水を司るこの男に胃袋の大きさは求めなくていい。他三人はある程度食えることが望ましいが、後衛に関して言えばいかに美味しく食べ続けられる肉を作り続けるかの方が重要なのである。
だが重要なのは、当然男でなければいけないという事である。こういう焼き肉ごときで気の利く自分アピールに勤しむ女はどこにでもいるが、絶対元を取るテロリズムとは程遠い。第一女というのは『焼き肉食べ放題』の旗を見れば『ところでこのお店って紙エプロン用意してくれるのかしら?』などと考える生物なのだ。これから倒す敵がご丁寧に自分のお洋服用の盾を用意してくれているかどうか気にするような自己中はとりあえずおしゃれな居酒屋でカシスオレンジでも頼んでいればいい。それかカルーアミルク。私ビールのめないー。死ね。
最後に前衛である。もうこいつらは延々と上カルビを食ってくれるならなんでもいい。デブだろうがブサイクだろうがハゲだろうがオカマだろうが資格はある。いつだって聖戦士への門はあまねく開かれて無ければならないのだ。
さてこういう完璧な布陣を敷いているにも関わらず、前衛の中から裏切り者が生まれることがよくある。そいつらの第一声はもう聞かなくてもわかっている。
「そろそろ野菜食べようぜ」
だ。これはとんでもない裏切り行為である。そもそも野菜というのは牛タンを頂点とする絶対元を取るテロリストの粛清リストの一番下にあるのが常で、野菜を食べるということはRPGでいうともうラスボス直前だっていうのに一番最初の街に戻って周りの雑魚を倒すぐらい無意味な事である。それを今更実行して気分転換を測ろうとする軟弱モノは両手両足を縛って市中引き回しをしたって足りない。
そういうへなちょこな前衛を選んでしまった軍師の責任のとり方は二つある。一つは野菜の注文を断固拒否すること。もう一つは別にそんなに食べたくなかったという理由で放置されほとんど黒焦げになった野菜を胃袋に突っ込むことだ。どちらを選んでもいいが前者を選べば横暴後者を選べば便利な奴という情けない烙印を押される事になる。
さてはじめに述べたとおり、聖戦に勝利することは力士×4とか相当極端かつ奇跡的または限定的なパーティーでなければ不可能である。だが聖戦士の目的は実際に勝つことではなく勝った気分に浸ることなので焼肉屋を出た後に『俺達やったよな……』と月でも見上げながらつぶやければそれで大勝利間違いなし。
余談だが、軍師を任される事が多い私はみんなでいく焼き肉にほとほと疲れ果てて一度だけ一人焼肉を敢行した事がある。一人焼肉専門店なんて気の利いたところじゃなく、土日になれば普通に家族連れで溢れかえるような所だ。つまるところこれは軍師が王になればどうなるかという命題の解決でもある。
結果は暴君である。
散々猫の額とか子供向けかよとかホットプレート見習えよとかケチをつけてきた丸網はどこまでも小麦が広がる大草原に早変わり、一人しかいないのにハラミとかカルビとか頼みまくってとりあえず並べまくり、こっから右はミディアム・レアだもんねとか自分ルールを発動させてトングを使わず直接ハシでひっくり返す。花占いのごとく食べる食べないを適当に決めてアイスクリームを食べてからカルビなんてまともな教育の受けた人間が絶対にしない食べ方をしてみる。ガラガラの店内で一人恍惚の表情を浮かべメチャクチャな注文をする私はさぞ奇っ怪な人間に写っただろう。
自分が異世界に転生したら名君になれるかなとか迷っている人は是非一人焼肉で己の本当の姿と向き合って欲しい。機会があったらまた行きたい。