きんいろの ゆびわ (ふたりになるまでの時間 番外編・2)
「早く早く」
二階からいとこの一馬が言う。
「そろそろ欠け始めてるぞ」
「うん、わかった!」
カモシカのようなすらりと伸びた四肢で飛び跳ねながら、愛美は学生カバンを重たそうに肩にかけて玄関を抜けた。
「おはようございます、慎一郎おじさま」
「よく来たね、一馬たちなら上にいるよ」
「ええ、おじゃまします」
愛美はぺこりとお辞儀して、靴を整えてからおじの家に上がった。
応接には所在なく、ひとりの紳士が座っていた。
愛美の顔に、ぱっと喜色が浮かぶ。
「麗、来たんだ!」
相手におはようという間も与えず、愛美は彼に抱きついた。
やれやれ、と苦笑しながら、抱き付かれた先、柴田麗は恩師である慎一郎に会釈した。
「君のお父さんはどうしたんだい、いっしょに来るかと思っていたが」
「置いてきた。起こせ、って言ってたけど、ついてくるとうるさいから。だって、金環食だよ? 起きない方がどうかしてるよ」
あー、携帯にじゃんじゃん着信入ってるし、と言って彼女はiPhoneの電源をオフにする。
「おやおや」
今頃、憤懣やるかたないといった風で大急ぎで仕度しているであろう友人を思い、麗は気の毒に、と思った。
「愛美、早くしろよ、麗おじさんも!」
上から同じくいとこの双葉が声をかけた。
行っても本当にいいんですかね、と麗は言い、どうぞ、と慎一郎夫妻は先を促す。彼は自分の娘ほどの歳の女の子に手を引かれ、二階のベランダへ通された。
2012年5月21日、東京では100年以上ぶりに金環食が観測される。
当日であるこの日、東京地方はところどころに切れ間はありつつ、雲が多く空を覆っていた。
「グラスは持ってきたのかな」
「もちろん!」
愛美はポケットから日食グラスを出した。表には花の絵が描かれている。
麗の手には同じメーカーのグラスが握られていた。愛美セレクトで、絵柄はカモメである。
食の開始は朝の6時半頃。
朝の抜けきらない空は心なしか暗く、右上の方から太陽はすでに欠け始めていた。
「ほう、良く見えるものだな」
グラスを掲げて麗は言った。
「麗は、日食は見たことあるの」
「日本ではないが、海外にいた頃に機会はあったな」
「そうだよね」
愛美は言って返す。
慎一郎は愛美にとっては母の叔父であり、麗にとっては大学の恩師にあたる。麗は彼女の父の同級生で、愛美が産まれた時から見守られてきた。
眉目秀麗、美丈夫と言ってしまえば簡単だが、幼い頃から何かと会う機会があった父の友人は、彼女の男性観に多大な影響を与えた。
父も悪くないオトコだけど、慎一郎おじさんも若い頃は素敵だったそうだけど、彼の前ではすっかり霞む、と彼女は思っている。
大人になったら麗のおよめさんになる、と宣言したのは愛美が三歳の時。
父親は大層慌て、パニックになった。
俺の友人だぞ、そいつと結婚するだって? お前、人の娘に手を出すな! と顔を真っ赤にして怒鳴る夫に、何マジになってんの、小さい子供のたわごとでしょ、と妻は言下に言い放ち、まったくもってそのとおり、と麗も取り合わなかった。
が、彼女の夢は年とともに、卒業することなく根付き、中学生になった今も変わらない。
少女から乙女への階段を上り始めた娘が、子供の頃と変わらず麗一筋で慕っているのを見て、父はもちろん、母も、ひょうたんから出たコマになる? もしかして? と思うこの頃だ。
当の麗はといえば、友人の娘なら自分にとっても娘同然、難しく考えてはいないが、娘の方はまったく気が変わっていない。
今日も、最初はいとこに誘われ、いっしょに見るなら麗と見たいと愛美は言い、どうせ見るなら皆さんそろって、と慎一郎夫妻に誘われて朝っぱらからおじゃましている麗の心境はフクザツだ。
「私といっしょは、いや?」
と、愛美にベソをかかれると拒否できない自分が不思議だからだ。
昔からこの娘には振り回されっぱなしだったな、とグラス越しにかろうじて見える太陽を見ながら、麗は思った。
この場に彼を引っぱりこみ、うるさい父親をシャットアウトできて、娘の方はご満悦だ。
だって、お父さんいるとうるさいんだもん。
グラスで上を見るふりをしながら、ちらりと彼を見上げる愛美は、横顔にみとれる。
やっぱり、かっこいい。見てくれはたしかにおじさんなんだけど、彼に年齢は感じられない。大人の基準を彼に置くと、大方の男性はぼろぼろと落ちて消える。
クォーターだという顔立ちは、掘りが深く、品の良い印象を人に与える。少しばかり日本人より色が薄めの瞳に髪の色。
声はしっとりとして深く、聞いて耳に心地良い。
お父さんはそろそろヤバいのに、中年太りのかけらも見られない身体の線。
日本人離れした長身のおじとひけをとらない背高のっぽさん。
おとうさんだって、ホントは悪くない男なんだよ、かっこいいし、ほがらかで安心できる。大好き。なんだけど。
でも、麗は、特別なの……。
「お前、どこ見てんの」
双葉が目ざとく気付いて言う。
「ホントに麗おじさん命だね、そんなに好き?」
「好きだもん!」
愛美は即答した。
後から上がってきた慎一郎夫妻はつい微笑む。
似たようなことを言っている子がいたね、と傍らの妻に言い、どうでしたかしら、と妻は返した。
おじ夫婦の、こしょこしょとしたやりとりを見て、愛美は、いいなあ、と思った。
恋人とは違う、夫婦の関係は格別だ。
両親もよく言い合いをしてるけれど、基本はとっても仲が良い。いいな、素敵だな、と思えるふたりが身近にいるから、私もそうなりたいと思っているだけなんだ。
けど、最近は麗に「好き」と言う時、少しばかり恥ずかしい。どきどきする。
何故なんだろう……。
「ああー、雲にかくれちゃって見えないよう」
末っ子の三先が叫ぶ。手には、「いっしょに見ようね」とおじさん猫・都をしっかり抱えてはいるが、付き合わされる猫はかなり迷惑そうな顔をしている。
「あの雲が切れてくれると良いのだけどね」
完全に月が太陽に隠れるまであと数分、どうか風向きが強くなって雲を払ってくれますように。
東京で金環食を見れるのは、生きてみられるのは生涯で今日だけなんだもの。
「お願い、お願い―」
愛美に双葉、三先はなむなむと祈る。
都はかーっと大あくび。
子供だねー、と言いながら、一馬は斜め上の天を見る。
今日で人生が変わるわけではないけれど、いつだって好きな人たちと共にすごせる時間は生涯でただ一日のこと。
大好きないとこに、おじさん・おばさん。置いてきちゃったけど、お父さんとお母さん。そして、麗。
彼らといっしょに過ごせる時間が、少しでも長くあれますように。
愛美はグラスを掲げ、いつになく暗い空を見る。
雲のフィルターを通しておぼろな輪郭を描く太陽が、一瞬にしてぱっと輝き、四肢に光が当たって温かさが染みわたる。
グラスを通して見える太陽は、月とぴったり、一筋の輪郭を残して重なった。
「見えたねえ!」
愛美はとなりの麗に言う。
「ああ、そうだね、きれいなものだな」
「うん」
重なり合う時間はわずか5分程度。
ふたりは、ベランダに集う彼らは、ただ天を見上げた。
曇天とは違う、薄暗闇の空に浮かぶ金色の輪は、細い金の指輪のようだ。
「私、あのリングみたいな指輪が欲しい。金色の、金だけのが」
「いつか君のだんなさんになる人に、買ってもらうといい」
麗は言う。
自分が買ってあげる、とは言ってくれないんだ。
おませな中学生の愛美はかなりがっかりし、でも、と思い返す。
いつか、買ってもらうんだもんね。
その時はおそろいの。
麗とふたりで、同じのをつけるんだ。
指一本分だけすきまを空けて、彼の隣に立つ愛美は、光を取り戻していく太陽に願う、麗の名前には、レイ、光という意味もあるんだって。
彼が、私の光になってくれますように。
「こら―っ! 愛美!」
下の方から父の声がする。父の後に仏頂面の母もいる。
やだ、今頃来たんだ。バカだなあ。おかあさんとふたりで見てればよかったのに。
「離れろ! 麗も、ふたりとも離れろー!!」
いやだもんね、と愛美はあかんべえをし、となりの大好きな人に、思い切りしがみついた。
「こらこら、止しなさい」
と言って彼女の肩に置かれただけの手が、身を離そうとしないのを喜びながら。
ー 了 ー
後書きという名のあがき
こんにちは。こんばんは。
作者です。
これが初掲載された日は2012年、金環食が観測された日でした。
皆様のところはいかがだったでしょうか。
会社休んで空見てたワタクシであります。
こっちは食の瞬間に雲が厚みを増し、
雲の隙間から見えた時はすでに月は左側へ移動してました。
リングのような月とはいかず、
それは残念。
でも、右上からかけてる太陽を見た瞬間は
テンションあがりました。
金環食よりそちらの方がインパクト大でした。
その空をあほうのように見上げていた印象から思いついた本作、
何編かこちらでご披露している小説の、
行き着く先の物語のエピソードですが、
単体でも読めてるものだと…いいんですが…
作者の独りよがりかもしれません。
最近トレンドらしい(大笑)
年の差カップルを描くのがどうやら好きらしい当方、
これは、親子ほどの年の差ですよ、まったく。
他愛無い男女がじゃれてる様子をだらだらと、
彼らふたりの話まで行き着ければよいなと、
楽しんで書いていければいいなあと思いつつ、
ぼちぼちがんばります。
先がながそうなので、
ここでご披露できるかどうかはわかんないですけど (-_-;)
ここまでの御拝読、感謝いたします。
どこかでお目に留まることがありましたら、
その節は宜しくお願いいたします。
作者 拝