【リアリア】 (8)
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その日の講義終了後、私は今まで歩いたこともない石畳の細道を歩いていた。
サークルビルに向かっていたのだ。
六限まで講義があったので、すでに夜だった。通りに沿って古くからの本屋や飲食店が並ぶ。一帯は学生街と言われる。私が当の学生であるためか、その趣は全く実感できない。
大学のキャンパスは広大であった。三つのキャンパスが徒歩三十分圏内に点在する。私が居る中央キャンパスのほか、北キャンパスと、北東キャンパスだ。移動が面倒だから、他のキャンパスでの講義は取っていなかった。
サークルビルというのは、北キャンパスに在るようだ。
蛇行する長めの上り坂を歩いていると、ある曲がり角を曲がった所で、大きな一本のビルの夜景がぬっと現れた。周りの暇そうな学生たちも同じ道を歩いているから、あの建物であろう。
思えば、「断片」を追う突飛な行動から、いつも後悔に至った。
小学生の時、好きになった女の子を探検旅行に連れ出して帰れなくなり捜索願いを出される騒ぎになった。
ショッピングモールに行った時、レストランのウィンドーに飾ってあった蝋製の食品模型がどうしても欲しくなり、ウィンドーの前で泣いていたら、店の人につまみ出され、また戻って泣いていたらまたつまみ出され、その繰り返しを夕方までやっていたら厨房に連れて行かれ二時間も説教されたあげく、警察署に突き出された。
ある冬の日、雪が降ってきたので雪を浴びたくなり服を脱いでいたら、変な男の人に車に乗せられて何処かに連れて行かれて殴られたりして、そこからは覚えていなくて、気付いたら私の前で泣いている母親が居て、母親は私を三十回ぐらい叩いた。
両親は私の教育には苦労したようだ。
私のこんなエピソードは数え切れない。
結局、「断片」に惹かれてやむにやまれずやる行為は、いつも不幸で報われた。
「断片」を追っていたはずが、何処かで「現実」に化けた。
とても不思議だと思うし、それ以上に、とても落胆する。
極め付けは、後で考えると自分でもなぜあんなことをしたのか、皆目理解不能であることだった。そういう時、私は世界全体から嘲笑されている気分だった。お前は正常ではない、狂っているのだと。
それで昔は落ち込んだ時期もあった。
率直に言って当時は、奥深い鬱だった。鬱のあの底の見えない闇。
鬱とは、落ちれば落ちるほど深くなる穴。
進めば進むほど暗くなる闇である。
けれど、私はつとめて鬱でないように、痩せ我慢した。当然病院も行かなかった。
[鬱病]というポップな囲いの中で牧草を食むのは嫌だった、というか、そんな自分を考えるだけで最高に鬱になった。
でも、今の私は、鬱に惑わされることはない。疲弊はするが、折れはしないほどには慣れた。
私は、「現実病」を通して、現実世界の正体を知った。
鬱という出力結果は、現実世界の部分集合であり、自作自演にすぎない。現実世界という巨大な怪獣が、自らの体毛のような人間達を使役し、鬱に靡かせるにすぎない。鬱は、病院で配られる各種の薬のように、ある一定の効果をもたらす物質であるだけだ。
狂っていて、いいのだ。
現実世界は、顧慮に値しないほど意味のないものばかりだ。
私は、現実世界によって狂人と非難されるなら、進んで狂人と化したい。
現実世界は屁に似ている。実体が無いくせに、悪臭で害を与える。
そして私は、現実世界を屁ほども大事とは思わない。