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【第4面】 (7)

「うああああああああああああっ!!!」

 光の眩しさが、私の瞳孔を貫く。目が眩み、激痛が走る。魔王が一色の影にしか見えなくなってしまう。私は薄々と、しかし確定的に、感じつつあった。魔王の正体。その、真の名を。私の今の惨めな立場。そして、『ゲーム』の目的とは何だったかと。

 リアリア。――「現実病」。その根源こそ、魔王の本体に違いなかった。

 魔王は「現実」を引き起こすプログラムで構成された存在。「現実」の巨大な発生源なのだ。魔王の磁場は「現実」でできている。否応なくプレイヤーを「現実」に追いやる。プレイヤーは「現実」の磁場に巻き込まれ、力を奪われ、敗れる。だから誰も魔王を倒すことができなかった。

 この『ゲーム』の目的は何だったか? 「現実病リアリアの完治」だった。それは『ゲーム』では「魔王を倒す」という形をとる。「現実」で編まれた巨大なデータを打破すること。だが、それはどうやったら可能なのか? 今は現実世界と同じように無力化した私が居た。私はまた、逃げたかった。魔王という「仮初」の姿でのしかかる、「現実」の重量。手放してしまえたら、どんなに楽だろう? しかし逃げるわけにはいかなかった。ユイのために。今度逃げたら、私は大げさではなく、発狂してしまうだろう。私は魔王が発する「現実」の磁気の中で耐えようとした。そして私は、「現実」を体の芯まで浴びて、分かった。

「現実」とは、私にとって、恐怖なのだ。

 ひたすら怖いもの。どうにもならないもの。私の細い手の一本や二本では、ペンチで針金が曲げられるように、簡単に壊されてしまうもの。そういう相手は、恐怖をおいては居ない。

 私はどうして「現実」を受け入れがたいのか? 「現実」ほど苦手なものはないのか?

「現実」とは、恐怖だからだ。

 生来的な恐怖。

「私」」という現象そのものを、恐れさせ、弱らせ、ホルマリン漬けの烏賊のように自分では何もできない存在にしてしまう。「現実病」の私に追い討ちを食わせる。ほとんど死んでいる枯れ草に嵐をけしかけるような真似をする。恐怖は、「私」を超えているから、怖いのだ。私という小さいプログラムを、自在に恐怖させることこそ、恐怖の実体なのだ。恐怖という魔王の前には、鬱や絶望すらも、忠信なる執事サーバントにすぎない。恐怖の前では、私は理性を失う。温和さも優しさも憐れみも友情も疑わない心も、失う。鬱や絶望すら吹き飛ばされる。

 恐怖に立ち向かえるものは、何か?

 最初からこれを訊かれていたのだ。「現実病リアリア」を治すものは、この答えなのだ。

 私はギュッと舌の側面を噛んだ。心が吹き散らされそうだった。痛みで意識を保った。

 これでまだ、魔王は立っているだけなのだから、ゾッとする。

 私はバラバラにされるかもしれない。小学生が理科室でやるような、無慈悲で乱雑な生体実験に供されるかもしれない。自分が解体される恐怖。

 いや、ちがう。私は、自分が解体されることが怖いのではない。恐怖が怖いのだ。今もだし、その他にも、セカイのさまざまな局面で乱反射のように起きる、恐怖そのものが、怖いのだ。身にあまる恐怖のことを、私は「現実」と呼んだ。「現実」が唐突に確実に存在すること。それが私の手に余る。恐怖には、一人では耐えられない。

 恐怖に立ち向かえるものは、何か?

 結論は見えていた。

 そんなものは無い。

 何をもってしても立ち向かえない相手を、恐怖と呼ぶのだから。

 

 だから、閃いた。

 ならばやめてしまえばいい。

 耐えられずに震えている、自分というもの自体。

 自分をやめてしまうのだ。

 そうすれば、自分に牙を突き立てていた恐怖も消えてしまう。

 私は、ユイに尽くそう。

 一秒でも時間を稼ごう。その一秒を、一つ、一つ、積み上げよう。それが、魔王に殺されないこと、ひいては、魔王を倒す可能性や、ユイを助ける可能性を開く。結果的には、殺されるかもしれない。ユイも死ぬかもしれない。足掻きは、無意味かもしれない。それでもいい。私は一秒でも多くユイを見ていたい。私がいまやりたいことは、それだけだった。私は、ユイの居るセカイを一秒でも持続させるために、全力を尽くそう。私を捨石にしよう。ただユイのためだけに動こう。私は、そう決めた。

 すると、布巾で拭い去られるように消えた。

 恐怖は、消えた。 

 あれほど執拗だった恐怖。「現実病」の根源。私の自我は溶けて、ユイへと広がっていった。突如として力が湧いてくるのを感じた。それは、とてつもない幸福感、充溢感、安心感、だった。私の中に天国がスッポリと入ったかのような、畏れ多いくらいの快感だった。

 

 魔王が攻撃してきた。

 

 鋭い鉤爪が私の上半身を抉った。肉がちぎれた。私はゲームオーバーになっても、特殊な肉体になったわけじゃなかった。モンスターから認識されなくなっただけだ。魔王は私を認識している。攻撃は当たるのだった。血が色水のようにじゃばじゃば噴き出した。胸は抉られて凹み、心臓も無くなっていた。カラダに風穴があいた気分だった。私は、魔王と戦った歴戦の勇者の気持ちが、やっと分かった。勇者という職業は、じつは辛い。……そんな事を思えるほど、私は冷静で居られた。ふつうなら滅茶苦茶に痛いはずだった。だが、今の私は、脳内麻薬が滝のように出ていた。快感のほうが、むしろ勝っていた。笑い出したいくらいだった。

 ゲームオーバーから還った時、病院で目覚めた感覚は、これだ。

 あれは錯覚じゃなかった。

 あの時、私は何を考えていた?

【ほう、死なぬか。やはりゲームにまつろわぬ者は呪わしい。殺すとはステータスを0にすること。ステータスが存在しない者を殺すことはできぬ。お前はぶざまに何百度でも何千度でも我に挑み続けるがよい。我はそのたびにお前を引き裂いてくれるわ。永劫の苦悶に喘ぎつづけるがいい。】

 魔王は近付いて来る。

 とどめを刺す気だろう。

 それは本当のとどめではない。私は死ねないし、ログアウトもできない。『ゲーム』上のバグとなり、永遠に魔王に痛めつけられるのだ。

 何千度も挑むうちには、魔王に対抗できる力をつけられるかもしれない。しかし、そんな悠長なことをしているうちに、ユイは死んでしまう。ユイが居るセカイは、今しか無いのだ。

 私はこのセカイを救いたい。

 なぜなら、私は勇者だからだ。ユイを助けて、『ゲーム』もクリアする。完璧にできるのが、勇者だ。

 ならば、魔王を倒してみせる。

 魔王は、右手に氷の呪文を発生させ、私に見舞ってきた。

 私はその右腕を掴んで止めた。

【な、何だと!?】

 勢い余った冷気が私の傷に吹き付けた。冷たくて心地よかった。

【き、きさま、なぜ!? いったい、この力は……!?】

 あーあ。

 やっぱり、こうなったか。

 私は細い腕で魔王の大木のような腕を支えた。仕組みは分からないが、現にできている。それに、できなければおかしいのだ。

 いまの私にとって、魔王は。

 すなわち、恐怖は。

「現実」を与える者は。

 存在していないのだから。

 ならば目の前のこの魔王は、仮装したつまらない存在だ。恐怖でない魔王など、魔王ではない。『ゲーム』の最難関の重石でもない。指でつまんで捨てられるような、ただの小石のはずだ。

 私は魔王の腕を引き、その場に投げつけた。魔王はぐるりと回り、地響きを立て、腰から床に沈んだ。

【ぬぐぐ……。なぜだ? この我が、なぜ、きさまごときにっ!?】

 魔王は、動揺していた。眼窩の光が、ぐらぐらと、ぶれていた。それが一層感興を削ぎ、私を冷静にさせた。魔王は、ぶかっこうだった。

 よく見ると、この魔王とかいう者は、なんてダサい格好をしているんだろう。

 黒マントと首飾りと腕輪と兜を着けた貧相なミイラだった。

 私は苦笑した。

「……あんたねー。なんて格好してるのよ? 鏡を見たことある?」

 私は魔王の首っ玉を掴み、持ち上げた。

【ぐおっ!?】

 魔王は、つまらない声を出した。

 ああ。

 手も足も出なくなった相手を力で圧倒する。単純に、気持ちいい。魔王の脅えが私に流れ込み、凶悪な力へと変換される。私は快感に皮膚の下をくすぐられる思いがした。それは底意地の悪い掻痒感だった。

 魔王が感じるような。

「もういいわ……。あなたはもう、要らない。今までお疲れ様」

 ヒジリの前で言ったことに偽りはない。

 私は『ゲーム』が好きだ。

 成長と広がりを感じさせてくれた『ゲーム』に感謝している。

 ここには、現実世界にはない、爽快さと、幸福感と、緊張感と、達成感があった。この世界に居ることは、ここちよい。今は、いや、今だから、そう確信する。魔王は『ゲーム』の最後で私を待っていた。非日常、未知、冒険、そして……。魔王は、さまざまなものをくれた。

 最後まで、最大のライバルとして、立ちはだかってくれた。

 私は、魔王に、感謝したい。

「もう、お眠りなさい。ありがとう。魔王ダークマスター


 私は腕に力を込めた。


 魔王の首が、プリンのようにぐちゃり、ひしゃげた。私は二の太刀で手刀を振り下ろした。魔王の胸部は砂糖の塊のように砕け散った。残されたカラダは、ホールを揺るがす大音声とともに、倒れ落ちた。

 魔王のカラダは、それきり動くことはなかった。

 真ん中のステージを囲んでいた溝に、床がせり上がって来た。ステージに渡れるようになった。黒い塊、ダーク・プラント・オブ・アビスは、鳴動していた。黒い肉片がとめどなく剥がれ落ちていた。魔王を倒したことで瓦解が始まったのだ。ユイを侵食していた黒い肉芽組織が化学反応のように引いていき、ユイの皮膚が純白に戻っていく。私はそれを、『ゲーム』で今まで見た何よりも、綺麗だと思った。疲労が吹き飛ぶような景色だった。ふとジブンのカラダを見ると、私が受けた傷も、劇的に治癒しはじめた。魔王を倒し、エンディングが始まろうとしている。相応のプログラムが起動しているのである。ユイも私も『ゲーム』ではプログラムなのだ。

 ユイはゆっくりと、花びらが舞うように、私の腕に降りて来た。

「ショーブちゃん……」

 ユイはニコリと笑った。かわいらしくて、神々しい笑顔だった。ユイが居なかったら、私は「現実」に打ち勝つ術を見つけられなかった。魔王を倒せなかっただろう。

「ありがとう、ユイ」

 私はユイを柔らかく抱きしめた。

「なんでありがとうを言うんですか? お礼を言うのはユイです。ユイは勇者様と冒険するのが夢でした。ゲームで勇者様を名乗る人達は、いつもユイなんか相手にしてくれませんでした。でも、ショーブちゃんは初めて、一緒に冒険に連れて行ってくれた勇者様でした」

 とユイは言い、何かに気付いたのか、顔を曇らせた。

「ごめんなさい。ユイはずっと、嘘をついていました。ショーブちゃんに最初に会った時から、ユイは自分のカウンターをいじって、ログイン回数が何回も残っているように見せてました。初歩の幻影魔法で、それくらいはできるんです。ほんとは、ユイは、前からゲームに居ました。ショーブちゃんに会った時は最後のログインの時でした」

「じゃあ、やっぱりあなたは、私と会ってから一度も、ログアウトしていなかったのね? 意識を失ったあなたをログアウトさせようとしたけど、できなかった」

「……はい。ログイン回数が無い『死にぞこない』と知られたら冒険してくれないかもしれません。やっと一緒に冒険してくれる勇者様に会えたから、知られたくなかったんです」

 優しいユイは、他のプレイヤーを殺し、ログイン回数を得る技は使わなかった。だからゲームに留まった。私がログアウトしていた時も、ずっとゲームに居たのだろう。

「もういいのよ。そんなこといいのよ。私もユイに何度も助けられた。『現実病』の私が『ゲーム』を進めることができたのも、あなたが居て雰囲気を明るくしてくれていたから。あなたにはそういう力がある」

 まさかそれが、魔王の言っていた。『王』の力の片鱗だとは分からなかったけれど。

「一緒に戻りましょう。『ゲーム』の外へ」

「ユイは……戻れません。今が最後のログインですから、ログアウトはできないんです」

 ユイは悲しそうに笑った。

「大丈夫だと思うわ。私は一度、ゲームオーバーになった。それから、ここに来るまでに、『ゲーム』のデータに干渉できる能力を得たの。ログイン回数のためにプレイヤーを殺すのが嫌なら、私がログイン回数を回復させるわ。時間はかかるかもしれないけど、たぶんできると思うわ」

「でも、ユイは……。戻っても……」

 ユイは俯いた。戻った後のことを考えたのだろう。現実世界のユイは、植物状態で病院のベッドに寝ている。意識があるかどうか分からない状態に戻ることは『ゲーム』に居続けるより絶望的だ。ユイは、現実の自分を目の前に描き、突き放して見るように、哀しい無表情をした。

「それも、大丈夫。私には心当たりがある」

 RTの言葉だ。

 ――『ゲーム』の自主的な継続が困難なときなど、特段の場合に限って、修復措置がある。

 そう言っていたのを聞いた。ユイの状態は、まさしくそれに該当する。ユイが回復する可能性は高い。「クリアできないゲームはない」とも、RTは言っていた。実際、クリアは可能だった。人をコケにするのが生きがいの道化だが、最小限の信頼はしてもいい。

 修復措置が無理でも、クリアに伴なって願いが叶うなどの恩典があるかもしれない。それなら願いはユイの回復に使う。恩典が無くても、『ゲーム』の中をしばらくさまよえば、ユイの回復に役立つプログラムが見付かるはずだった。たとえば、治癒魔法を一通り極め、現実に『反映』させれば、ユイを回復できる。アスカなどは幾つもの職業を極めていた。

「必ず、現実のあなたを、治してあげる。修復措置が無理なら、治す方法を、一緒に探しましょう。そして、最後は、『ゲーム』の外に戻りましょう。『ゲーム』はもう終わったわ。居る理由は無くなったのだから」

「わかりました。ショーブちゃんが言う事なら、ユイは信じられます。ショーブちゃんについて行きます」


【ククククク。それで勝ったつもりか。勇者よ。】

 

 地の底から沸くような声が響いた。

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