【第4面】 (6)
体を深く切り裂かれ、手足も一部無くなっている。魔王の攻撃で受けた傷だ。さらに、黒い塊から分化した無数の管がユイを絡め取り、固着していた。
ユイは、微かに目を開けた。
表情は枯れ、動かない。表情を変える力も無いのだ。私に気が付くと、「ショーブひゃん……」とだけ、小さく呟いた。
私は胸に異常な重みがのしかかるのを感じた。ユイは生きていた。だけど…………!
魔王に連れて行かれたのだ。こんな状態にされることは考えられたはずだ。私がユイを、こうしたんだ。胸にかかる重さと痛さは、あの時に逃げた私自身を突き付けていた。
「ごめん、ユイ……。ごめん。ごめん……。……ごめん」
私の顔はこわばって歪んだ。涙が水のように流れた。血液は逆流していた。だが、一瞬の罪悪感もまた偽善。私は苦しい。とても苦しい。なぜ逃げた、どうして今更来た、罵られたほうが楽だったかもしれない。逃走したいくじなし、今更来た自己満足女。それは紛れもなく事実だ。事実を言われたら嘘をつかれるより楽になれる。しかしユイは罵らなかった。
罵る力も無いのだ。
微かな声で喋るが、呂律の回らないその声が、私の骨を絶ち割るようだ。
「きたんだね、ショーブひゃん。また、あえて、うれひい。ゆいは、死にます。ここで終ありです。ほんほうに、楽しかったです。楽しくて、楽しくて、楽しくて、言い表せないです。でも、いいんです。ショーブひゃんと冒険した思い出は、ユイの中にあります。ひゃんと、あります。それに、ショウブひゃんの中にも思い出が残ってうれたら、いいと思います」
「ユイ、もう喋らないで。分かったから。喋らないで!」
「いいなぁ。ショウブひゃん。これから、魔王を倒しに、いくんだね。ユイも行ひたかった」
私はユイを助ける方法を模索した。なにかないか。見る限り、絶望的だった。ユイの身体の肉は、周囲の黒色に侵食され始めていた。つまり、そういうことだ。おそらく、この紡錘形の物体は、魔王に攫われたプレイヤーの塊なのだ。このままではユイも、徐々に取り込まれ、黒化してしまう。その時は生きてはいないだろう。
かつん。
かつん。
かつん。
ホールに、リズミカルな音が響く。どこから響いているか分からない。ドーム状の内壁に反響しているためだ。かつん。かつん。硬いけれど重い足音だった。
隧道から姿を現した異形の人影。
魔王、だった。
対面は二度目だ。
鳥類とも爬虫類ともつかないミイラのような、巨大な容姿。
やはり、ジブンのカラダで対峙すると、その威圧感を波のように感じる。魔王の外観と存在感は、根源的な恐怖に訴える力を持っている。私は、魔王城に到達するまで、フィールドを歩くことで、『ゲーム』の法則をカラダで学習してきた。法則を発生させているプログラムの存在を近しく感じるようになっていた。だが、ここから先は、未知のプログラムだ。
魔王は近付いてきて、五メートルほど距離をあけて止まった。私を認識している。やはり、他の敵とはちがう。魔王がプログラムの産物だとしても、他の敵よりも階層が上のプログラムなのは推測できた。
【これは珍しい。ゲームにまつろわぬ者か。奇妙な気配を感じて来てみたが、我の予感は当たっていたな。】
「……」
私は、出方を見ている。だが、正確には、攻撃するのを躊躇している。
【勇者・イカサマショウブよ。貴様と会うのはこれで三度目となるな。あの時はゲームの殿に居た小娘がな。よくもここまでになったものよ。】
一度目は『ゲーム』を始めた王宮で、幻影と。二度目は、ユイを攫った時。魔王は、私の名と顔を知っていた。
「光栄ね。覚えてもらえているなんて」
私は、後退したい欲求を必死に抑え、虚勢を張った。
もう『ゲーム』では逃げられない。……逃げない。
ユイの救出。襲ってくるならば魔王との戦い。避けることはできない。
魔王は、つと、ホールの中央の塊を見上げた。
【もちろんだとも。我には、知らぬものは無い。我こそは、この世界のマスターである。ありつづける。ただ其れのみ。お前は『箱庭の王』を助けに来たようだな?】
私の意図は読まれているのか? そうだとしても、ユイを助けなければならない。
【無駄だな。お前も見たであろう。『箱庭の王』はすでに、過去の『王』どもの塊――『ダーク・プラント・オブ・アビス』に同化され始めた。助ける方法は無い。お前がもう少し早く来れば同化は始まっておらなかったわ。だが、『いつ来てもお前は少し遅い』のだがな、勇者よ。ふははははは。】
ユイを助けるのが絶望的なのは私も解ってた。
私は、やり場の無い怒りを魔王に叩き付け、絶望から目を逸らす。
「どうしてユイを攫ったの? 何の目的があったのよ!? 何の罪も無い子を」
【この子供が『箱庭の王』と呼ばれし存在であるのは知っておるな?】
意外にも、冷静な答えが返ってきた。
「……え?」
【『箱庭の王』は、ゲームで唯一の、我を脅かす存在。その力を発揮されては困るのだ。】
「どういうこと? ユイが?」
ユイは『ゲーム』の順位もステータスも低い。戦闘能力も皆無だったはずだ。ステータスは全てではないが、それにしても、魔王を脅えさせるまでの存在とは思えない。
【『箱庭』はゲームにおいて無視できぬ位置を占めておる。これは攻略本には書かれておらぬ事だ。お前も知っていようが、『箱庭』はゲームに敗れたプレイヤー共や、その者達が作ったフィールドの残骸でできておる。お前の言うところの『断片』というものでな。それらの膨大な『断片』を一箇所に集め、調和させ、統合するのが、『箱庭の王』なのだ。つまり、『箱庭』とは『王』によるフィールドなのだ。もう気付いたであろう。『箱庭の王』は、ゲーム全土に及ぶ『断片』を材料とし、強大なフィールド作成することができる。】
「ユイがそんな能力を?」
魔王の言うことが信じられない。
「本当なの、ユイ?」
ユイは目で同意を示した。
「ふぁい……。れもぉ、ゆいはなにもしてないですよ。『箱庭』の人に『ここに住んで下さい』って言われて、ハイっていっただけれす。ゆいは『箱庭』にいただけなんれす」
【それで、充分なのだ。『箱庭の王』の力は、『王』の居る場所で発揮される。『箱庭』に居れば『箱庭』を安定させる。ショウブよ、一緒に冒険したお前もユイの恩恵を受けていたのだ。攻略本を持っているプレイヤーは、ユイだけだ。ユイ自体がゲームを攻略する力の化身だからだ。だから攻略本を所有可能だった。】
まさかの説明だった。
ならば、私が魔王城に来れたのも、ユイのおかげだったことになりはしないか。
ユイの歩くところが、ゲームの正しい道となる。そういうことなのだ。道の正しさを示すように、冒険は楽しかった。私すらも子供のようにわくわくした。正しさと楽しさをゲームに運ぶ者、それがユイなのだ。
いや、ユイが望んだから、このゲームは、[勇者-魔王]を中心とする冒険の形になったのではないか。そうだとさえ思える。魔王が恐れる理由が分かってくる。
「あなた、『箱庭』に住んでいたの? 私と会った時、冒険者合宿所に居たのよね!?」
「覚えてないんれす。ごめんなはい。ゆいは、ゲームがたのしすぎて、いつ、どこで、なにがあったのか、くわしく覚えていないんれすよ。楽しすぎてわすれてしまうんれす」
ああ、なんてこと。
楽しすぎて、忘れる。そんなゲームの過ごし方ができたら、本当に至極の悦楽ではないか。まさに、私よりも、誰よりも、ゲームを楽しむ者にふさわしい言葉だった!
【もっとも、ユイ自身は己の力に気付いておらなんだわ。もし意識的に自分の力を使えたなら、我はユイによって滅ぼされていたかもしれん。だが、それはありえぬ。ユイは無意識に自分の力をセーブしておる。】
「セーブ? なぜ?」
【ユイが優しいためだ。『王』の力はゲームを左右できる。自分がクリアを目指して全力を出せば、ゲームの世界には多大な影響を及ぼす。この世界に生きるプレイヤーや群体どもがクリアの犠牲になるかもしれぬ。自分の力を発揮することを無意識に恐れているのだ。ユイが優しい限り、その力は、永遠に外に出ぬ力。自分でも力の存在にさえ気付かぬ。我のように同等以上の力を持つ者でなくば、ユイの脅威は解らぬよ。】
自覚できないし、永遠に出せない力。
そんなもののために、ユイは魔王の犠牲となった。だが、それもユイは許すのかもしれない。ユイは「優しい」からだ。
【我が『断片』の集積を嫌悪する理由が分かるか? 我は、魔王だからだ。魔王とは、混沌と、不調和と、非洗練でなければならぬ。だが『断片』は、プレイヤーが己の極限的な力をもって生み出した存在。いわば、きわめて調和した、洗練された存在なのだ。『断片』が集積すれば、我を脅かす力が生まれるやもしれぬ。だから我は『王』を攫う。あれをみるがいい。】
魔王は頭上を示した。黒い塊の上に開いた大きな穴。
【これは『王』の力を吸収する仕組み。歴代の『王』の墓場ぞ。天井の穴はダクトだ。『王』の力はダクトを通り魔王城の中枢部へ、さらには箱舟にも伝わる。『王』は我に利用されるのだ。暗黒と黄昏の世界の創造に力を貸すのだ。ふははははははは。】
私は歯噛みした。やはりこいつは、『ゲーム』の最大の敵、魔王にふさわしい。自己の目的の達成と合理性を追求し、他者を省みない。
それは「強い」からだと魔王は言うのだろう。「強い」者こそが、最も簡単に、最も峻烈に、偉大な事業を成す。「優しい」ユイとは反対の者たち。人間の心を解しない点ではアスカも大概だったが、魔王も同格であった。魔王がここに居るということは、アスカは敗れたのだろう。1位だけが魔王に挑めるルールが理解できる。同類の潰し合いだ。「強い」者どもの同士討ち。吐き気が込み上げた。私はもう、『ゲーム』を始めた時の単調な高揚感を覚えることはできなかった。
ユイが健在なら、どうするだろうか。
ユイならば魔王をも優しさで包み込めるのか。今はもう望めない。ユイを助ける方法も無い。
【ユイを助ける方法は、一つだけ、無いこともない。】
魔王は哄笑を止めた。
【我を、倒すことだ。『ダーク・プラント・オブ・アビス』は、わが脳髄の指令によって動作している。我を倒せば解体しよう。ユイも解き放たれるかもしれぬ。ためしてみるか?】
ざ、と足を開き、目の前に立ちはだかった。たちのぼる邪悪なオーラ。
【断る、と言っても、逃がさぬのだがな。】
魔王の巨体から毒々しい闘気が噴き出す。私はゾクリとする。
心臓を刺すような凶気。この感じは、『箱舟』に襲われた時と似ていた。足が震える。腰が抜けそうだ。
黒い眼窩に燐光が点灯する。神経の髄の色のような煌めく白。全身からほとばしる闘気が、ホールの床をぼろぼろ剥がす。畏怖と動揺。私は胸をギュッと押さえる。魂が持っていかれそうだ。でも、逃げない。ゲームでは逃げないと決めたんだ。
だけど私はとても平静ではいられない。この、忌々しく、禍々しく、寒々しく、暴戻で、剣呑で、貪婪で、抑鬱的な、圧力。『ゲーム』の最後に置かれ、誰も除けられない重石。
これが、――――魔王。
【勇者ショウブよ。ゲームにまつろわぬ者よ。数え切れぬ勇者が我に戦いを挑んだ。いかなる勇者も、同じ末路を辿った。誰も我を倒せぬ。我に勝つことは叶わぬ。我を消し去ることはできぬ。我が名はDM。其の名は仮初也。お前はわが真の名を元より能く知ろう。さあ、わが闇の栄誉を浴びて、虚無へと旅立つがいい!】
魔王は両手を掲げ、圧倒的な光の闘気に包まれた。




