【第3面】 (12)
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わたしはドブの底のような暗い場所を漂っていた。
【アスカ】に攻撃されたはずだ。気付いたら、ここにいた。どこなのかは知らない。知ろうとも思わなかった。気怠かった。小さいカプセルに閉じ込められたような感覚。
痛みはなかった。景色もひたすら仄暗い。「見える」というより、何となく「感じる」のに近かった。自意識は、かろうじて残ってはいた。
おそらく、死ぬ寸前なのだろう。カラダやココロとの接続は、完全に断線していた。今のわたしは、「私のデータ」の最後の粒子のようなものだろう。
【アスカ】は次元の違う強さだ。わたしは戦おうと思う前にやられていた。たしかに1位だけはある。しかしあの子は、やはり危険。未熟で、暴虐だ。内面的には勇者よりも魔王側に近い。
あの子はわたしの言動に怒り、わたしを攻撃した。それはわたしは同種と見ていた証拠だ。結局、人間を虫のようには見れなかった。虫が相手ならいちいちキレるはずもない。【アスカ】の論理は詭弁だったのだ。あの子は誰よりも有能なプレイヤーかもしれないが、思い上がっている。そこに足を掬われる隙もできる。――が、恨み言を連ねても始まらない。わたしは、やられてしまった。
ゲームオーバーだ。
もっと怖いものかと思っていたが、大半は脱力感だった。
これからはもう、何も起きない。終着点なのだ。その点に向かって収束するだけだ。論理的帰結を迎えることへの、安堵感すらあった。
【ゲームオーバーです。】
【あなたの消去を開始します。】
音声が響いた。カウンターの音声と同じ音声。
その瞬間。
ゴオオオオオオオオオオ…………と音をたてて、わたしの中を流れていくものが、あった。それは、客観的に把握できるような容量のものではなかった。
『ゲーム』の世界、そのもの。
【ゲームオーバー】の声が響いた途端、『ゲーム』での今までの全記憶が、嵐のように再生された。倍速、逆再生、混濁。驚愕する情報量。たぶん、わたしの中の『ゲーム』の全情報をスキャンし、削除するプロセスなのだ。
今までの経験が、一瞬のうちに凝縮され、わたしを蹂躙した。それは処理の限界を超え、あまりにも眩い光のようだった。情報の氾濫は、わたしの情報処理の機能を破壊した。わたしはフリーズしたようになった。時間が、熱された水飴のように、永遠に引き伸ばされる感覚。千変万化する情報の世界に、ジブンが編みこまれる。複雑、濃密、凝縮された、世界経験。現実よりも、『ゲーム』よりも。
ああ。やめて。
あああああああああああ。
しかし、
永遠に思われた世界の再生も、終わりに向かっていた。巻き込まれる疲弊感から、ただ見るだけの無感動へ。情報の密度が落ちて、スカスカになっていく。そして、列車がつむじ風を残して完全にホームを通過するように、世界再生は終わった。
『ゲーム』はわたしを通過した。
「思い出」となって過ぎ去ったのだ。
そして、わたしは、『ゲーム』をこう感じた。
ああ。
ゲームに戻りたい。
次回は今回より頑張れる。
今度こそは、ちゃんとクリアしてやれる。そんな気がする……。
と。
不思議だった。『ゲーム』で手を抜いたつもりはなかった。現実よりも果敢にやった。わたしは果敢にプレイし、そして、殺された。やれるかぎり、やりつくした。しかし、「次はもっと頑張れる」と、わたしは思ったのだ。それは『ゲーム』が終わったしるしだと実感した。完全に終わったから、「次」を意識することができる。
でも、「次」は無い。これで終わりだ。
わたしは、初めて、わかった。この『ゲーム』が好きだったということを。
だから。
嘘だ。
カウンターがゲームーバーを宣言したけどそれは嘘だ。
ゲームオーバーで得られる経験がある。いや、ゲームオーバーを経験しなければ学べないことがある。ゲームオーバーになってみて、わたしはようやく、ゲームを俯瞰的に眺められるようになった。だから言える。ゲームが好きだった、最高だったと。わたしは『ゲーム』をより深く学んだんだ。
この、わたしのやるせない気持ちを、どうにかしてほしい。
ゲームにあるのはルールだけだ、感傷は受けない。――カウンターは、そう応答するかもしれない。しかし、これは感傷ではない。ゲームでのれっきとした学習だ。すなわち、経験値なのだ。経験値だとすれば、ゲームを進める力のはずだ。ゲームオーバーになって初めて学習できる要素がある以上、『ゲーム』としてはそれを考慮しなくてはいけない。……つまり『ゲーム』には「コンティニュー機能」が内蔵されていなければいけない。
ゲームオーバーとは、ゲームに組み込まれた機能の一つのはずだ。
コンティニュー機能のないゲームはゲームとは言わない。
「現実」と言うんだ。
わたしは自分に誓ったことがある。『ゲーム』には「現実」を招き入れないということだ。「現実」を拒否してゲームにやって来たのに、ゲームでも「現実」に閉じ込められるわけにはいかないから。
だから、信じるのだ。この『ゲーム』が「現実」でないことを。
ヒジリが誘ってくれ、わたしが選んだ、この『ゲーム』を、信じる。
いままでのプレイヤーは、ゲームオーバーになった時点で諦めていたとすれば? ガイダンスで説明されたルールを鵜呑みにしていたとすれば? ゲームオーバーを告げられ、ゲームの終了を疑わなかったプレイヤーだけが、消滅する仕組みだとすれば? そして多くのはプレイヤーは終了を疑わず、魂を抜かれ、『箱庭』でさまよう【群体】と化していった。今まで誰かが、あるいは今もどこかで、誰かがコンティニューの恩恵を受けている可能性も、ありうるのではないか?
「ゲームオーバーになると死ぬ」とは言われている。だが、「死ねばゲームができない」とは、言われていない。「ゲームオーバーを経てコンティニューする」ルートがあるとすれば? いや、きっとあるはずだ。しかしそれは甘い考えだろうか? やはりコンティニューは存在しないかもしれない。『SC』は糞仕様の糞ゲーということかもしれない。
それならそれでも、いい。死ねばどうせ、わたしは消える。わたしだった空間を、無が、埋めるだけである。怖くないし、痛くもない。消滅は、恐ろしくなかった。ただ、消えるなら、さいごまで思っていたいんだ。セカイは糞ではないはずだと。もっと良いものだと。それだけの単純なことだった。今の単純な心地だけを持って、霧がかすむように消えていくのなら、意外と悪い気持ちではなかった。
わたしは、うすれていく自意識で、そう考えていた……。




