【リアリア】 (6)
私には気になる人間が居る。女だけれど。
私は男には興味がなく、生ゴミの成り損ないのように思うが、女には恋愛感情を覚えることがあった。今まで好きになった人間は、みんな女だった。当然だろうけど、彼女達とは友達の枠を越えなかった。
いや、私が惰弱なため、越えられなかったのだ。彼女達と友達でしかなかったことは、私だけにとって不幸なことだった。しかし、数えるほどの不幸は「現実病」の台頭によって埋もれた。やがては、年に一日だけ強烈に匂うキンモクセイのように、一瞬だけ脳味噌をよぎる粒子となっていた。
けれど、大学に入った今、私はまた現実の光に照らされ、うろたえる体験をしていた。なぜ、よりによって同じ大学に、私の目を奪う女の子が出現したのだろう。その女の子さえ無ければ、現実世界は完璧に無用の長物だったのに!
彼女とは月曜日の二コマ目に、同じ英語の授業を受けた。席は二~三人用の長机で、どこに座ってもよかった。彼女は一番前の列に座ることが多かった。私はいつも一番後ろに座った。回された出席簿を見ると、彼女は空蝉ヒジリという名前だった。驚くほどよい名前だ。私はそう感じた。
私は「ヒジリ」と黙読しながら、座っている彼女を見た。身体のくびれと丸みが良く分かる黒いカーディガンを着ていて、首の細さと驚くべき白さから目を離せなかった。首の動きに合わせてヒジリの横顔がハッキリと見える。色素の薄い肌と、短く切り込まれた軽い髪の毛。そして、落ち着きとともに揺るぎなさもたたえた印象的な瞳。
ありていに言って、私は不安だった。ヒジリは美しすぎるように思った。美しすぎて、目を離したら空気に溶け込み、消えてしまいそうだった。だから私はずっとヒジリを見続けた。
ヒジリは新鮮で強烈な「断片」だった。しかも、他の「断片」よりも圧倒的だったし、効力もずっと続いた。
私はヒジリと同じ教室やロータリーに居るだけで、ヒジリを失いはしないかという恐怖に囚われた。得てもいないのに、失うことを恐れた。「断片」だけが持つ理不尽な支配力だった。
授業前・授業中・授業後とヒジリを観察するのは全然飽きなかった。むしろ、月曜日は観察ができるので、一週間で唯一、大学すら楽しかった。
ヒジリがどうして私という普通の人間の近くに居るのかと思うと、疑わしいほど奇跡的に思えた。
さらに、ヒジリは、普通に人間達に溶け込んでいた。ヒジリは、ゆるやかな制約と出入りがある女子達の輪に居たが、普通の人間達に囲まれても目立たず、大学生活しているように見えた。ヒジリのような神々しいまでの衝撃的な美人が、モテもせず、嫉妬もされず、距離を空けられもしないなんて、奇術にすら思えた。奇術の使い手はヒジリであり、私だけは何故か、ヒジリの本質的な姿を見抜いている。……という架空の設定を語らせてしまうほど、ヒジリの存在は特異であり、神秘だ。
仲間の輪に居る時のヒジリは、おおむね生き生きとしてノリの良い女の子をしていた。しなっとした女の仕草を見せることもあれば、たまに男言葉で叫んだりもした。大げさなボディランゲージも、くるくる変わる愛くるしい表情も、潔く、爽快だった。まるで剥きたての葡萄のようにみずみずしく、しかもいつも新しい葡萄の粒なのだ。ヒジリは渾々と湧く生命力の滔々たる流れなのであった。再生のたびに完璧である、良質の音楽のように。
一方、授業中、ふと窓や黒板を見るヒジリの面影は、深く青々と澄んだ地底湖のようであり、別人のような思慮深さをたたえた。どちらかといえば、私は、そちらのほうのヒジリに特に興味を持った。
しかし、どちらの面も、彼女の生命力の神秘的な泉から生じていると考えれば、矛盾する現象ではない。一言でいえば、圧倒的な「存在力」とでもいうものを、ヒジリはいつも供にしていた。
でも、見ているだけで得られる情報には限界がある。
たとえば、ヒジリは悪人なのか善人なのか。その顔面ほどには私を惹き付けない内面しかないのか。そういうことは全然明らかではなかった。そのうち私はヒジリの観察を一通り完了してしまった。
入学から半年が過ぎたが、私はヒジリと一回も会話したことはなかった。私は進展がないことに偏執的に焦った。ヒジリは「断片」のはずであるのに、私のまわりは「現実」の環境がのっぺりと在るだけで、変化の兆しを見せない。「断片」なのだから、進展よ、ありなさい。なぜ進展がないのか。
「断片」ではないのか。ヒジリは「現実」であったのか。
「現実病」が月曜にも浸食した。
ヒジリの「現実」さが鼻につきはじめた。たとえば、ヒジリが教師に指名され、模範的にスラスラと答えると、私はイライラした。仲間と喋っている生き生きした様子は、オーバーアクションでわざとらしく思えた。ヒジリには「断片」と「現実」が半々で混在した。
何より、今までの授業中、ヒジリは私を見もしなかった。私はヒジリの注意すら引かない存在なのだろうか。それとも、私を嫌っているから、わざと見て見ぬふりをするのだろうか? だとしたらもっと気に食わなかった。でも、「演技」だとしても、この子の「演技」だけは見抜ける自信がなかった。
ヒジリの瑞々しい声や、多くの人間と群れる様子を見るのは、特にこちらが低調である日は、こたえた。
私は世界全部を冷静に蔑視していると自負するが、生身のカラダを持つ身でもある。現実世界がもたらす具体的な鬱症状から逃れられるわけではない。「現実」がのさばっている時は、冷静で居ることは難しい。そして「現実」は前ぶれもなくのさばる。
講師のくぐもった声。
黒板の緑色と壁の水色の対比。
前髪に落ちる雨の一滴。
そんな異常に些末なものに、私は心から苛立った。なじみ深い相手であるあの鬱が、雨後の筍の早送りのように顔をもたげ、降り掛かって来る。苛立つだけならまだ動けるものの、動機を蒸発させられたら、体も心もただの重石だ。私自身が、私の邪魔者だった。私は一日に無数に鬱のちょっかいを受け、ひっきりなしに動機枯渇状態になった。
月曜日だけは、やはり私の心を波立たせた。接点のないままのヒジリからは、すでに「現実」の臭気がだいぶ強く漂っていたが、フラッシュバックのような「断片」の輝きにハッとする一瞬があった。目の錯覚だろうか? そんな時は、眼底が閃光で焼かれたように、ヒジリを見るのが耐えがたかった。フラッシュバックの一瞬は、ヒジリの魅力を強烈に復活させ、私はヒジリとの机十列分の距離を、しごく不満に思った。
だが同時に、このままヒジリとは接近しない関係が続く気がした。
「現実」とは、そういうものである。
私は、こんな悲しい予想を認めたくはないのだ。しかし、現実世界での体験が、そう語っていた。
今まで、現実世界は、私の期待の反対を、あえて必ずやってくれた。今回も淡々と同じ現実世界の流れを繰り返すのだろう……。私は腹が立った。正気が吹っ飛びそうなほど、腹が立った。