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【第3面】 (8)

「……あの遊園地は幻想だったのね。あなたは私を、騙した」

 私は淡々と言った。ひどく疲れていた。心も体も。

「幻想ではありません。あれは、まぎれもなく、あなたの『断片』。あなたの願望どおりに作ったセカイだったのです。しかし、あなたが疑念を挟んだ時、セカイは崩壊してしまいました。『断片』とはそういうものなのです」

 HSは困憊した様子で、流れるような柔らかい長髪に手櫛を入れた。

 そして、打ち明けた。

「計略が失敗した今、あなたには謝らねばなりません。私は嘘をつきました。『ゲームオーバーになったプレイヤーが死なない』というのは、嘘です」

「なんですって? じゃあ……」

「ええ。死にます。ゲームオーバーになったプレイヤーは消滅します。ただし、消滅するのはプレイヤーの自我、魂のレベルです。外見上はゲームオーバー後も変わりません。プレイヤーの残滓は、ゲームを漂うデータとなるわけです。無機質な自律行動体。ぬけがらのようなものとお考え下さい。これらの残存データは『箱庭』に集められ、【ノハラヨウコ】のように、『断片』の世界をさまよいつづけます。プレイヤーの残存データは『群体』と呼ばれます。生前のプレイヤーとは似て非なる存在です。生前の『断片』の内部を幽霊のように永遠に漂います。いえ『群体』は、正確には『断片』のひとつなのです。プレイヤーは死亡して初めて『断片』となることができます。……これが『箱庭』の救済システムの正体です」

 寒さと絶望感にがんと頭を打たれた。が、私はどこかで納得してもいた。

 死の恐怖はプレイヤーを駆り立てる動機になる。死が存在しなければ『ゲーム』全体が緩む。だから、「ゲームオーバーならば死ぬ」鉄則は、簡単には揺らがない。その予感は、もともと、信念のようにあった。

 つまり、私と【ノハラヨウコ】のあいだには、決定的な差があったのだ。HS言うところの「魂」の有無の差だ。二人は外からは同じ人間に見えるだろう。だが【ノハラヨウコ】は人間とは言えない。「魂」が無いからだ。ゲームオーバーによって自律ロボット化しているのだ。主観的な問題だが、絶対的に重大だ。だからこそ「魂」を失うことが、ゲームオーバーの帰結に設定されている。死んだ後の、ロボット化した私など、私の知ったところじゃない。私は危うく、HSに殺されかけていた……!!

「性悪な女狐だわ。私の『断片』のくせに、主人の謀殺を図るなんて」

「ごめんなさい。……本当に、ごめんなさい」

 HSは肩を縮こませ、声を震わせた。思わず吐き捨てた私だが、真摯に謝られ、怒りが溶けてしまった。HSは感情を堪えきれず、幾粒も涙を垂らした。私は罪悪感を覚えた。

「ああ……言い過ぎたかもしれない。ゴメン。もういいのよ。結果オーライだからさ。顔を上げなさいよ」

 HSは、ためらいがちに涙を拭い、話を続けた。

「『箱庭』とは、巨大な集合であるゆえに、自己増殖する『断片』群なのです。プレイヤーを引き込もうとするのは、いわば『箱庭』の、意志です。……私は、あなたの『断片』である以前に、『箱庭』の一部です。『箱庭』に背くことはありません。だから、嘘をつきました。あなたがゲームオーバーになるよう唆しました」

 こう弁明を終えると、HSは真新しい鏡のような、毅然とした瞳となる。流した涙は演技に思えたほどだ。

「ですが、『箱庭』の分身として、そして、あなたの『断片』としても申し上げましょう。私は、間違ったことをしたとは思っていませんよ。『断片』に囲まれることは、絶対的な幸福なのです。あなたは『ゲーム』でさえ『現実』に苦しんでいる。『断片』を求めていたのではありませんか。そして自らも断片化ゲームオーバーすることを……。あの遊園地セカイは幻想ではなかったのですよ。あれは紛れもなくあなたの『断片』。あなたの願望どおりに作ったセカイだったのです。しかし、あなたが疑念を挟んだ時、セカイは崩壊しました。『断片』とはそういうものなのです。実のところ、『ある事情』によって、『断片』は不完全でした。僅かに不純物が混ざっていたのです。ならばこそ、あなたが疑念を持つことが可能だった。『断片』の純度が完璧ならば、【ノハラヨウコ】のように、今頃【最高の幸せ】に閉じられていたでしょう。『箱庭』の力不足だったことを認めましょう。私は、嘘をついたことをあなたに謝りますが、自分のしたことには後ろめたさはありません」

 そう締めくくり、HSは胸を張った。

「……」

 私は、赤面していた。HSの釈明は、強がりには聞こえなかった。あの場所での私は、ヒジリに化けたHSにかしずかれ、思い出せもしない醜態をさらしていた。あまりにまばゆかった、恍惚たる遊園地。あの場所は本当に実在していたのか。今は、答えられない。だが、あの場所に居た私にとっては、確かに実在した。そして、醒めてしまった今、二度と現れはしない。あのときの私は『断片』のセカイにほとんど埋没していた。そして、満足だった。

 私は、醒めない夢を見たかっただけなのかもしれない。

 醒めなかったなら、あの遊園地は、本当に【最高の幸せ】であったかもしれない。私はそう思った。なのに、醒めてしまった。私は何回も、こうして、セカイに醒めるんだ。現実であろうと、『ゲーム』であろうとだ。

 なぜ? なぜ? 醒めてしまうのか? だからもう『箱庭』には居られなかった。まどろみのセカイにとどまることは、できなくなってしまった。

 しかし皮肉だ。プレイヤーは死亡して初めて『断片』になる、か。HSの言う事が正しいなら、生きている限り幸福にはなれないのかもしれない。

 私、自体に罪があると思えた。

「でも、とにかく、あなたは失敗した。私を閉じ込めることにね。私は『ゲーム』の本編に戻ることにする」

「それは賢明でしょう。残念です。しかし、言い訳を許していただきたい。あなたを攻略できるような『断片』の純度が無かったことには、事情があるのです。今、『箱庭』全土の『断片』の純度が弱まっているのです。原因は『箱庭の王』が席を外している事です」

「『箱庭の王』?」

「ええ。『箱庭』はひとりでに形成されたわけではありません。ゲームに散乱する『断片』を集合し、調和と整合を図り、この『箱庭』を造っておられる方が居ます。それが『箱庭の王』。最強の調和力と統合力を持った王なのです。」

「……そうだったの。『箱庭の王』が居れば、私は【最高の幸せ】の中だったはずなのね」

 少しだけ残念に思った。

 でも、私の心は、すでに『ゲーム』の続きに向いていた。

 王という人物が席を外していて良かったと、今は思った。

「じゃあ、改めて、本当のユイに会わせてもらえる? ここに居るんでしょう?」

「いいえ。居ると言ったのは、あなたを遊園地ここに連れて来るための方便。管制センターに問い合わせたところ、【ユイ】さんなるプレイヤーは『箱庭』に来ていません」

「え?」

「つまり、生きているということです。ゲームオーバーになっていないのです」

「生きてる……ユイが」

 死んだとばかり思っていた。私は、早とちりしたのだ。しかし、魔王の攻撃をまざまざと見たし、再ログインした時もユイは居なかった。手首が落ちていたのだ。生きているのなら、ユイは相当の深手を負い、どこかで苦しんでいることになる。嬉しさも一瞬、私は心がズキズキと痛みだした。

「こうしちゃ居られないわ。私は、戻らないと。ユイを探さないと!!」

 速やかに決意する。『箱庭』で時間を食ってしまったか。いや、ユイが生きていることが分かったと思えば、意味はあった。私は、『箱庭』を辞した。


 

『箱庭』入口のスタジオまで、HSは送ってくれた。スタジオの制御盤を操作し、下界へと銀の糸を垂らす。

「糸に掴まってください。下界まで降下していきます。では、さようなら」

 私は握手して、HSと別れを惜しんだ。

『箱庭』での時間は、印象深いバカンスだった。灰にまぶれたピンクのバラの花のような、退廃的な幸福な空気がむせ返っていた。この夢のような時空間でのできごとを、忘れはしないだろう。 

「じゃあね。あなたたちの『王』が帰ったら、またくるわ」

 私は、軽口で別れた。下界へとあいた小さい穴から、糸が降り始める。

「王の帰還は未定です。ですから今、『箱庭』は崩壊に向かっています。中心の磁石を欠けば、砂鉄はちりぢりです」

 ニコッ。HSはツアコンの微笑で応えた。

「え? まって。崩壊? ……じゃあ、あなたは? 『箱庭』はどうなるの?」

「 ・・・・・・ 」

 HSは、二言三言、私に囁いた。

 ぴゅうううん。――みるみるうちに、糸に加速がついた。弾かれるように下降していた。穴から顔を覗かせるHSは、もう、点のようだった。

 やがて箱庭の全景が明らかに見えてくる。マグリットの石が何兆個となくくっついたような、巨大な空中浮遊庭園。それが『箱庭』の全容だった。

『箱庭』は音もなく崩れていた。

 瓦が無数に落ちるように。氷山がたえまなく融けるように。

 それはたぶん、近くで見れば異常な規模だろうが、遠景からは、ほとんど何も崩れていないように見えた。そして、微粒子が水中を落ちるように、静かだった。だが、『箱庭』が無に向かう劇的な解体の途上にある景色を、私は見たのだった。あまりに巨大なスケールだった。その中にあって、HSや住人たちは、日常を守るのだろうか。おそらく、守るのだろう。住人は『箱庭』からは離れない。落下しながら、HSのことを考えると、私はなぜか祈るような思いにとらわれた。そして、涙が出た。

 遠ざかってゆく『箱庭』。

 同時に、最後にHSが囁いた言葉が、私を席巻していた。

 


 ――『箱庭の王』を助けてください。『箱庭』の崩壊を止めるため。

 

 ――『箱庭の王』は、ユイさんは、DMダーク・マスターに囚われました。

 

 ――あなたは、救えます。資格と、力があります。

 

 ――お願いです。『箱庭』を救って。

 

 

 なんてことだろう! 私は、どうしたらいいんだ!?

 ユイが『箱庭の王』? 『ゲーム』じゅうの『断片』を集める強力な統合力の持ち主?

 馬鹿な……。そんな素振りすら無かった。ユイは私よりちょっと前に冒険を始めたはずだし、ステータスだって私とトントンなのだ。ひょっとしたら、ステータスを改竄する魔法でもあるのか? 僧侶の見習いというのも嘘で、本当は熟達の冒険者なのか? だが、HSが明かしたことが事実なら、魔王が私達のところにイレギュラーに現れた説明がついた。

 ユイを狙っていたのだ。

『箱庭』の存在は『ゲーム』でも無視できないほど大きい。あれほど『断片』が密集した場所は他には無い。その中心である『王』は、大物だ。他のプレイヤーとは格が違う。魔王はユイを攫い、生かしている。ユイに何かをさせる狙いがあるのかもしれない……。

 糸が地上に着いた。ひゅるひゅるぅ。細い糸は、上空のそのまた上、今はもう見えない『箱庭』へと帰った。

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