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【第2面】 (14)

 

  *

 

 女は走った。

 息は上がり、化粧は崩れていた。だが、気にしなかった。黄土色の髪を振り乱し、女は走った。

 サークルビルの階段を上がり、女は確かめるように、ショルダーバッグの中を探った。鞘付きの果物ナイフを出した。果物を剥くのには使わない。剥いたこともない。親指を立て、すこし、ナイフの鞘を浮かせた。

 ビルの中は学生もまばらだった。あと30分で閉館の時間になる。女は[ ラウンジ ]に辿り着いた。

 いちばん隅の、椅子が並んだ区画。

「……みつけた」

 そこに烏賊夏菖蒲が寝ていた。菖蒲は椅子を三つほど占有し、無防備に仰向けに寝ている。

 ハアハアと荒れた息を吐き、エルフは菖蒲に近寄った。防犯カメラへの注意も吹き飛んでいた。そのくらい思い詰めなければ、人を殺す・・・・という計画は実行に移せない。ショルダーバッグに入っている手は、さっきからずっと、ナイフを握り締めている。

 この烏賊夏菖蒲だけは許せねぇ、殺す、必ず殺してやる。

 周囲を見回した。人影は見当たらなかった。誰か来ても、居なくなったら殺すだけ。今は誰も居ない。じゃあ、殺ろう。エルフは静かにバッグを投げ出し、ナイフを開陳した。

 両手をしっかり添えて、菖蒲の腹に狙いをつけて、ゆっくり倒れ込んだ。

 一発で逝っちまえ!


 エルフの腕を握り、止めていた。

 止めたのは、観葉植物の裏から現れた、ヒジリであった。

「それはルール違反だと説明したはず」

「おまえッ……!?」

 エルフは怒りをあらわに、ヒジリの腕を振りほどく。ナイフの刃がLED灯を反射し、輝く。エルフは距離をあけ、ヒジリにナイフを向ける。

「っ、どういうことよ!! あたしひどい目に遭ったんだぞぉ!? 死ぬとこだったんだぞ!? ゲームオーバーになっ・・・・・・・・・・たら死ぬ・・・・なんて聞いてねぇよ!!」

「それは妙。どこかで説明したはず。君の聴く姿勢に問題があったと推断する。『聴いていなかった』では済まされない」

「あたしはもう嫌だからなこんなゲーム。下りる下りる。下りまーす。やめさせてくだせー」

「ゲームを下りることは認められていない。また、君は今、現実にゲームを持ち込むというルール違反を犯した。あたしは違反者に対し、ゲームオーバーを宣告する権利を有している」

「う、うるせえ!! ち、近付くなあ!! 刺すぞ! 本気だぞ!」

「……」

 ヒジリは乾いた音で鼻をすすり、しばらく黙考した。

 やがて、言った。

「結果的に、殺害を実行したわけではない。今回だけは、目をつぶってあげる。この場を去りなさい」

 エルフは安心したようだったが、警戒の姿勢は解かず、ゆっくり後退した。

 バッグを拾いナイフを放り込むと、捨てゼリフを吐き、一目散に駆けて行った。

「お、覚えてなさいよ。こんなひでえゲーム、絶対許さないから……!!」



 エルフはいきり立ち、キャンパスの門のそばまで駆けて来た。

 門の中、長身の男の黒い影が立っていた。

 ヒッと声を上げ、エルフは引き返そうとした。あたりは暗いし、ほかの学生もいるし、まだ見付かっていないかも……。

「失敗したねぇ、エルフ」

 背後で男の声がした。

 エルフの肩には男の手が置かれていた。

 逃げたかったが、逃げられないことも知っていた。エルフは小動物のように肩を震わせた。心から脅える顔は、可愛らしかった。

「君なら、現実のノリで『ゲーム』を簡単にクリアしてくれると、期待してたんだけどな。案外、脆かったねえ。――所詮、ここまでなのかな」

 ぽん、ともう一度、男はエルフの肩を叩く。エルフは激しく震えた。

「君が戦ったプレイヤーは、強かったのかい?」

「あんなやつ、全然、強くなんかないわよ……ないです」

「だが、君は逃げ帰ったようだが?」

「あいつとは、ちょっと相性が悪いだけなんですよ。だって、勇者だか魔法だか知らないけど、ありえなくないですか?」

 エルフは感情的に反論する。もちろん、ショウブへの怒りの感情。

「そうだね。仕方ないよね。ありえないことが起こってはね」

 男は、ヌッと腕を伸ばし、エルフの髪を掻き混ぜた。エルフは脅えたが、身をこわばらせ、撫でられていた。

「ところで、わたくしの言いつけは守ったかね?」

「あの、言いつけって、何でしたっけ……?」

「他のプレイヤーに会ったら『くすり』を飲ませろ、と」

「ああ、水に混ぜて、ちゃんと飲ませました!! あいつ飲んでましたよ。子供のほうは、トランプとかしてて、飲まなかったけどー」

「そうかね。ご苦労。じゃあ君はもう要らな・・・・・・・・・・いよ・・

 エルフは、蛇のように素早く後ずさった。肉体の勘による反射的な警戒反応。男の声色から、危機を察知した。しかし肉体がいくら警戒しても、エルフは自分では男の前に無力であることを分かっていたので、恐怖と涙が湧き出すだけだった。

 ぽん。エルフの肩に男の厚い手が載った。

「ありえないと言うがね、君、それは違う。君は対処できなかったのだよ。対処できない者は、使えない者だ。君は敗北した。敗北者は要らない――解るね?」

「ま、まって、おじ様。あたしまだ――!!」

「わたくしの現実世界での能力を知っているね?」

 知っている。男がその気になれば、この場で自分は消される。もう、声をひり出すこともできない。

君を半分いただく・・・・・・・・

 ぽん。

 男は何気なくエルフの肩を叩いた。――だけに見えた。

「一度だけ、試してあげよう。君が他のプレイヤーより優れているかどうか、わたくしに見せられたら、君の半分は、返してあげよう。だが、失敗したら、残っている半分もいただく。君は切り捨てられる」

 男は顔を寄せ、エルフの耳に、命令を囁いた。

「……いいかね? 初心者の君に『ゲーム』の進め方を教えたのも、街を試作してあげて、その街をプレゼントしたのも、親愛なる『おじ様』ということを忘れぬように。わたくしを失望させるなよ?」

 男は踵を返し、門から出て行った。

 エルフは放心状態で立っていた。我に返ったエルフは、珍しく深刻な面持ちで歩き出した。それは滑稽な様子だったはずだ。

 皺だらけの老婆が若者・・・・・・・・・・の服を着て通りを歩い・・・・・・・・・・ている・・・様子は。

 エルフが変化に気付いたのは、とりガラのような細腕が自分のものだと判った時だ。それに、肩や腰は鉛の布団に巻かれたように重い。ある店のウィンドーにエルフは姿を映した。顔じゅうを覆っているシミと皺。濁った目と、垂れた瞼。こしのない白髪。エルフは自分が一度も想像したことすらない姿になっていた。若さという「自分の半分」を失った姿だった。

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