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【第1面】 (1)

 ヒジリと別れ、925号室のドアを閉めた時、私は「これで世界に悔いはない」と思った。まさかヒジリと会合ができるとは思っていなかった。サークルビルに入る前の私とは、何と違った心地だろう。

 妙な話だ。この世界のことは、最初から唾棄し、見放していたはずだ。いや、世界が手のつけがたい巨大有害物という事実は変わらない。しかし、そのことを私は許してやろうと、一瞬思っていた。

 つまり私は幸福を感じていた。

 それは一時的なものだと解っていた。一時的でなければ、私は違う性格の人間だったかもしれない。それは想像もつかない姿なので、思わず嗤った。

 幸福は、現実世界では永続するものではない。また「現実病」に飲み込まれるに違いない。私は冷静な覚悟を持っていた。――でも、今は、とりあえず『ゲーム』というものをやってみようと思う。自分の幸福に満足する時間は、ほどほどで打ち切らねばならない。

 私が『ゲーム』をクリアしなかったら、ベットであるヒジリは死ぬ。なぜそんな面倒なことをやったのかと、私は他人事のように考えた。理由は明らかだ。私には現実世界でベットにできるものがヒジリぐらいしか無かったからだ。だから、した。自然な、一直線な行為だった。私は、かつてなかったような一瞬の高揚によって、ヒジリをベットにしたのだ。

 今も高揚の気配は残っていて、だから私は幸福から醒めていないのは確かだった。だから漠然と考えた。『ゲーム』だってクリアできなくはないだろうと。

 現在いまの私は、『ゲーム』に向き合う姿勢ができていた。

 それは、ヒジリのおかげだった。

 

  

 ところで、『ゲーム』の具体像はいまだに明らかではない。

 ヒジリは「すぐにわかる」と言った。思わせぶりだが、一体どういうことか……。私は首をひねった。

 サークルビルを出て、トン、トンと、白い石の階段を降りる。

 周りには、ひまな学生達の、弛緩した喧騒があった。


「断片」感が襲った。


 血圧が上がった。ドクドクと脈が打った。心臓が、細い花瓶のようにひしゃげる感覚。

 景色は見えない。何も聞こえない。なのに私の心は、気持ち良く冷えた。全身の緊張を忘れるほどの、初めての凄まじい緊張感だった。私は、脳が前転のようにクルリと一回転した感覚に襲われた。それは、明確に「世界が切り替わる」ような感覚だった。

 現実感が消えた。

 といって、幻想感でもなかった。

 この感覚は、何だ? 私は集中していて、しかもクリアだった。頭脳が異常に澄み切っていた。

 そのためなのか、不思議な現象が起きた。

「現実世界」が一枚の絵のように見えた。

 私は「現実世界」の遠くに立っていたのだ。つまびらかに「現実世界」の姿を見ていた。

「現実世界」のありのままの姿。

 それは、愚にもつかないゴミのようなつたが絡まり、焼き海苔のような平面を形成した姿に見えるのだった。嵩張ってはいるが、実在感に乏しい繊維の集まりだった。それは喩えるなら「言葉」に似ている存在に思えた。

 私は、「現実世界」のデザインを、暴走族が橋脚に描いた汚いスプレー絵のように感じた。

 私は今まで、こんなものを「世界」だと思っていたのか。

「この世界からは逃げられない」と思っていたのか。

 そう思うと、呆気にとられた。

 今や、私は、腕を一薙ぎすれば「現実世界」を脇へけられる気がした。

 なぜこんな現象が起きるのか。私はどうなってしまったのか。ヒジリは『現実の襞』ということを言った。もしかすると今がそれなのか。地滑りのように「現実世界」からズレ始めている。

 手首が痛い。ジリジリと締め付けられる。

 消えていたはずの腕輪が、私の手首に再び浮いていた。

 

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