【リアリア】 (14)
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サークルビルの病的な白さの内部を通り、[ 925E ]の札が掲げられた部屋に連れて来られた。
灰色のドアにはヒジリが言った『サブカル研究会』の名は無かった。代わりの目印か、デフォルメされた丸っぽいキャラのプレートが、ドアノブに提げられていた。キャラの顔だけをデザインした物で、下ぶくれしたトマトみたいな形をしていた。目は大きくて縦に長く、点目と線目の中間といった趣。髪はギザギザと簡略に描かれていた。大きいヘチマ形の口は愛嬌と皮肉を感じさせる。私は一目見て、ヒジリを模したキャラではないかと思った。
ヒジリはプレートを外し、カギを開け、室内に入った。プレートは「退室中」を意味するようだ。
細長い殺風景な部屋だった。大きなテーブルが部屋の大部分を占めていた。部屋の壁には本棚が備えられているが、一冊も本は無かった。突き当たりの窓にはブラインドが下りていた。
ヒジリはブラインドを背に、奥の椅子に座った。この部屋では、ヒジリはいつもより鋭角的なデータに感じられた。教室で彼女がふと窓を見たりする時の、明晰で澄んだイメージ。
「参加権を得た君に対し、こちらも今からは裁定者として接する」
ヒジリは言い、座るように促した。
私は、テーブルまわりにたくさんある椅子のうち、ヒジリの対面に座った。長方形のテーブル。最も遠い座席。
「さて、『ゲーム』の内容は、『リアリア』からの脱却を目指すセラピー。先程の話で説明した通り、ゲームオーバーの代償は、死亡をはじめ、ゲーム参加権の消失。概説はこの程度。わからないところは適宜説明する。『ゲーム』を詳しく知るにはプレイするのが早道。まもなくプレイする機会が実際にあるであろう」
ヒジリは形式ばって話した。「裁定者」の話し方か?
たぶん自覚なしにやっているのだろう。ヒジリは、呼吸のように自然に、色々なキャラクターを演じ分けた。使われたキャラクターは捨て去られ、再び拾われなかった。次々に違う模様が現れるが間違いなく「空蝉ヒジリ」だと言える万華鏡だった。
「ところで、『ゲーム』をやるに当たって参加費が必要になるが、君は準備できる?」
「ベット? 賭け金という意味?」
「通常はね。しかし、『ゲーム』においては、お金に限らない。『ゲーム』に参加するには、『現在もっとも大事な物』を差し出すことが条件。差し出したベットはゲームをクリアすれば返還されるが、クリアできなければ没収される。つまりベットも現実世界から消滅する。しかし没収を恐れるのは徒労とも言える。ベットが没収される時点では、プレイヤーも死亡しているから」
私は、躊躇した。
私には「大事な物」など無かった。
この世界も、この世界の物も、私に無理矢理与えられたもの。もちろん、ジブンの心身も含めてだ。望んだ覚えは、ない。私は何故か「烏賊夏菖蒲」なのだ。もちろん、私は、痛いことは嫌いだし、苦しいことも嫌いだ。やりたくないことは、いっぱいある。
けれど、だからといって、やりたいことはない。大事な物などありはしない。
現実世界はカサブタと変わらなかった。元々ある傷を、更に悪化しないように塞ぐもの。捲ったら痛いもの。カサブタをベットにするのは、いかにもお粗末だ。
「君の『もっとも大事な物』は何?」
問われて、私は考えあぐねた。私には賭ける物などない……。
いや、しかし、それは本当か?
私はなぜ「現実病」を治すことに本気になっているのか?
現実に『大事な物』があるから、本気で取り組むのではないだろうか?
ひょっとして、私は現実世界に対して何かをしたいのだろうか?
我ながら、驚いた。このジブンが、現実世界に何かの望みを残しているっていうのか。
だとしたら、それは何か。
なぜ私は、『ゲーム』をやろうとしているのか?
なぜ私は、この部屋に来たのか?
なにが一体、私を……?
そうか……ハッキリした。
私にとって「大事な物」は、
「ヒジリ」
「何か質問?」
「私のベットは、空蝉ヒジリ」