【リアリア】 (13)
「あなたは、『リアリア』である自分を、特別な存在と思っているかもしれない。だけど『リアリア』はよく居るわ。あたしは『リアリア』の人間を多く診ているから分かるわ。たとえば、この大学だけでも、あたしのカンでは三百人は居るわね。都市圏全体に範囲を広げれば、五万人は下らないでしょう。その中で見たらあなたは末尾に位置するレベルよ。普通人と比べれば特殊。特殊人の中では普通」
非「現実」的ゆえに、私はついヒジリの話を聞いてしまうが、内容は一片の思いやりもなく、私に心理的ダメージを与えた。「あなたに何が分かるの?」と言いたかったが、当たっていたから言えなかった。
ヒジリの話は正しい。
私は現実世界を分析し、把握したつもりになっていたが、それによって自分が現実世界の上に位置する錯覚に自分を閉じ込めた。それによって平安を得ていたのだ。しかし、私のように世界を観る者は、私だけではないだろう。なぜなら私にもできるわけだから。
その可能性を、私は意図的に封印した。自分が「現実病」の中では「普通」だと言われることを恐れたために。「現実病」という自分一人用のセカイをつくり、そのシェルターに立て籠もった。なのに「現実病」のセカイの中にさえ他人が侵入し、比較されるなど、耐えがたいことだった。多くの『リアリア』の人間を診たというヒジリは、まるでカウンセラーの顔をしたテロリストだった。私のシェルターを粉々に破壊した。だが、ヒジリは事実を正しく分かっていた。そして淡々と、事実によって、私を貫いた。
おそらくヒジリは私に何の興味も無いだろう。
ヒジリにとっては、私は典型的な人間の一種類でしかない。
「『ゲーム』は『リアリア』を癒すセラピーの一面を持つわ。だけど治癒する人間はごく僅か。敗退した多数のプレイヤーは、消えることになる。現実世界的現象で言うと、死ぬ。デスゲームの一面も持ったゲームでもあるのよ。菖蒲は参加するのは見送るべきだわ」
ゲームは、「現実病」を治すセラピーではあるが、治らなければ死ぬ。
「そんな『ゲーム』が実在するというの?」
「大真面目に何を言うの? いまは仮定の話をしているのに」
ヒジリは椅子を下げ、長い足を組む。内心の読めない、狐のような目だ。
「でもね……。そういうデスゲームがあったとして、菖蒲が死んだって、世界には人間が何人いると思う? 菖蒲一人が消えたって、この大学の誰も気付きはしないよ」
そうだ。私がこの世界から消えても、気付く友達すら居るかどうか怪しい。私はそれだけの存在だ。
私が消えたら、ヒジリはどうだろうか。ゲームの勧誘者だから気付くかもしれない。だけど、一瞬でも感慨みたいなものを持ってくれるだろうか?
「あたしは菖蒲に同情も心配もしていない。今まで得た私のデータから統計的に見通しを言う。菖蒲は『リアリア』のキャリアではあるし、『ゲーム』を望む資格が無くはない。けれど『ゲーム』で好結果を望めるプレイヤーでもない。さっき言ったけれど、菖蒲以上の能力を秘めた人材はこの大学でも三百人は発掘できる。あたしとの簡単な賭けにも敗れた程度なら、『ゲーム』での困難を乗り越えるとは思えない。菖蒲は『ゲーム』に欠員が出た時の補欠レベル。だから結果は見えてる。『ゲーム』に参加すれば、ゲームオーバーになるだけ。あたしは菖蒲を勧誘しない」
じゃあこれでと言って、ヒジリは席を立った。私は料理を食べていないので立てない。そういえば、ヒジリは代金を払わずに出るつもりか。目には迷いは無い。代金の概念を知らないのか。私は二人分を払ってもいい。ヒジリと会話ができて楽しかった。カネでよければ、払う。けど、それよりも……。
「まって、まって」
私はほとんど反射的にヒジリを呼び止めた。
ヒジリはウザげに私を見た。
どんな顔もできるんだなと感心する。どんな顔をしても、ヒジリは奇麗だったからだ。
「何? 早く言って。どうせつまんない事でしょ」
「つまらなくはないわ」
私は答えた。
「ヒジリが勧誘しなくても、私が希望したら『ゲーム』に参加できるってこと、よね?」
短くない時間、ヒジリは私の話相手をした。
それは、なぜだろう? ――単に私の思い上がりとも思ったが、直感的に気付いたのだ。
余興と称し、ヒジリが「仮定の話」を続けたのは、私を試した一環ではないか?
「現実」と「ゲーム」のどちらを、私が信じるかを。
このまま、狐につままれた気分で店を出て、現実世界に帰還すれば、私は「現実的」人間だ。「現実的」な人間には、『ゲーム』はいつまでも仮定のものだ。「現実的」に考えて、リアルなデスゲームなど、存在するわけがないからだ。
つまり、勧誘者としてヒジリが求めた条件は、「私からの意思表明」ではないか。では、何の意思か。
考えろ。『人生捨てませんか』というコピーの意味。『人生』という、漠然とした一般的なモノ全部を、捨てること。それは人生の舞台……『現実世界』を、捨てることなのではないか?
だけど、現実世界を捨てる? どうやればいいか分からない。
現実世界を拾ったことなんてない。
現実世界は、私には、ずっと余所者だった。
私は「現実病」だ。現実世界は、苦しみの塊だ。現実世界に居る限り、私に救いは無い。救いが何かも知らないが、私は何より、現実世界を丸ごと切り捨ててしまいたい。ほんとうにそれだけなんだ。だから、『ゲーム』の、「非現実」の世界に行かなくてはならないと、強く希望する! ゲームオーバーなら世界から消える? いいことだと思う。自ら望む『ゲーム』の強制力で、現実世界から消されるなら、私の喜びのはずだ。
「現実」を見切り、石ころのように捨てると表明した時、『ゲーム』という「非現実」が現れる。
そういう仕組みだとしたら……。そんな一縷の期待。
「私は、参加したい。プレイヤーが表明しているのよ。資格はあると言ったはず。参加できるんでしょう。『ゲーム』をやるわ。やらせて」
「……」
ヒジリはウザげに私を見ていて……。
顔の力みを抜いた。
「わかった」
私は、安堵した。
「『リアリア』のキャリアとしては、君は平凡。しかし、平凡なキャリアがゲームに参加できる解を発見した」
「やはり、こちらの表明が鍵になっていたのね」
「正解。『現実』にも『ゲーム』にも居付けない、半端者のキャリア。『ゲーム』に飛び込むには、ひと押しが必要。自分で押さなきゃいけなかった。君は『現実』を、要らない科目のように切ることにした。だから君にとって『ゲーム』は実在になった」
ヒジリは私に握手を求めた。
「よろしく」
「こちらこそ……」
と、私は言った。気のきいた返しはできなかった。私は疲弊していた。ひやっとしたヒジリの手は、夏の保冷材のように気持ちよかった。おそらく私の手が熱くなりすぎなのだ。
ヒジリは私の手を引き、店を出た。