【リアリア】 (12)
「どういう、こと?」
私は俄かにヒジリが「現実」的で醜く感じた。まぬけにヒジリに問い返す自分も不細工だ。
「『おめでとう。あなたは選ばれた』みたいな話があったら、ちょっと刺激的。日常生活で胸を躍らせる瞬間。でも、そんなことあるわけないよね。常識的に、一般的に考えたらね。ビラを拾わせるためにわざと落とし、反応を見ていたなんて、まさにゲーム同然の筋書きよね。あたしたちの日常世界でそんな戯言があるわけがないわ。うふふふ。あたしはいたずら好きなの。一般人をからかって遊ぶことに嗜虐的な悦楽を見出していないといったら、自分を欺くことになるわ」
吐き気がした。
私は「現実」に悪酔いしてきた。
「私をからかったの?」
「君をからかったのよ」
ヒジリのサンドイッチが運ばれてきた。私の肉丼はまだだ。ヒジリは狐色のパンにかぶりつき、半分近くを口に放り込む。
「でも、私をここに誘ったのは?」
「最初からここでごはんを食う予定だったから。ちょうどよくきみを見掛けたから、ちょっかいを出しただけよ」
ヒジリはにべもなく言った。
私は反射的な怒りに語気を強めた。
「ヒジリはそういう人なの?」
「どういう人なら良かった?」
ヒジリは小首を傾げ、ホンワカと笑う。
顔が熱くなる。何も言えなかった。私が勝手に魅力的なキャラクターを期待していたのだ。ヒジリに自分の妄想を押し付けていた。真のヒジリは只の性悪な一般人間だった。期待外れだった。ヒジリは「断片」ではなかった。所詮、「現実」だと判ったのだ。私は一気に力が抜け、身体がガラガラと崩れるかと思えた。
「ま、君をからかってばかりで、お払い箱にするのもつまらないわよね。……んむ」
ヒジリはサンドイッチの大きな塊を咀嚼し終えると、ナプキンで口のケチャップを拭いた。
「軽い余興をしようか。ゲームの前のゲーム。たとえるなら、婚約破棄の前の婚前旅行。雨天中止の前の遠足準備。君が非日常世界に選ばれるような強運の人間じゃないことを証明してあげるわ」
ヒジリは小気味よい声で言い、笑顔で私を見た。私を見下しているような笑み……。にもかかわらず、いや、だからこそ、私はヒジリを魅力的と思った。おそらく、ヒジリの笑みに漂う神秘的な陰翳は、私よりも「優れた」立場から私を見ているゆえに放たれる輝きだった。たしかにそう感じさせる気配がヒジリにはあった。謎で自分を装飾する演劇的手腕。そして、謎の奥には秘密が実在すると思わせる堂々たる態度。私は驚く暇もなくスマートに、ヒジリの掌に載せられてしまう。
……あるいは、ヒジリが「断片」である可能性を、私が頑なに捨てたくないのだろうか?
「これは作り話ではあるけれど、あくまで仮定として、ダミーサークルの裏に特別な『ゲーム』があるとしましょう。じゃあ、あなたが『ゲーム』に参加する資格はあるか? テストしてあげる。賭けをしようよ?」
ヒジリは提案した。
「あなたは肉丼を頼んでいたよね。それをどっちの席に持って来るか。あなたの席に肉丼が来たら『ゲーム』する資格があるって認めてあげるわ。絶対にないことだけれど」
「そんな……?」
私は不信感を持った。
そんな、簡単な賭けでいいのか。肉丼を頼んだのは私である。ヒジリのサンドイッチは既に来ているし、普通に考えれば肉丼は私の席に来る。
だが、この賭けは意味があるのか。私が賭けに勝ったら『ゲーム』とやらに参加できるのか? 『ゲーム』はヒジリの作り話ではないのか?
私は考えを巡らせた。考えは巡り巡る。堂々巡りの隘路。その間に、ヒジリの姿が消えていた。
気付くと、息を切らせたヒジリが、両手に肉丼を持って立っていた。
ヒジリが何をやったか分かった。カウンターに行き、料理を取って来たのだ。運ばれるのを待つというルールは無かった。
ヒジリは丼を自分の席に置いた。
「――ほらね。分かったでしょう、自分の実力が。あなたはてんで弱いわ」
ヒジリの弾んだ声と微笑。いかさまだと非難することはできたし、肉丼ひとつで何が実力だと思わないでもない。
しかし私は、怒ることはできなかった。ヒジリのしたことは、遊戯じみている以上に、私の奥底の欠損を言い当てていた。ああ、そうだ。私は昔から、いつでも、こうして「断片」を捕まえる事に失敗してきた。
私は気付いたら涙が溢れていた。涙はぼろぼろ出た。「断片」は私の両手をすり抜ける……。てんで弱い。その通りだと感じた。これが私の弱点だ。必ず「現実」的な目を見るのだ。
悲しかった。ヒジリから「現実」を与えられたくなかった……。
絶望的な気分だった。私の人生は終わりという気すら、した。
私は『ゲーム』に参加できなければ、「現実病」は一生治らない気がしたのだ。なぜなら、今までも治らなかったのだ。ならばこれからも治らないだろう。そういう「現実的」な見通しがあった。
ふつうの一般的な現実世界というものが、私を待っている。
日常的で、憂鬱で、おもしろくなく、なにもかも予想の範囲を出ず、希望がなく、怠惰な、ふつうの世界。1=1という等式の右辺と左辺を行き来するような劫久のループ。
地獄のようなぬるま湯。
隕石のような「断片」の煌きが降って来て、これからの日常生活を打ち砕いてくれるとは思えない。あり得ないのだ。「現実的」に考えるならば。
それとも、最も恐い事実を直視しなければならないのか。
私は、常に「断片」をちらつかせられるものの、結局は取り上げられるのか。
つまり、「現実」の中で生きるように定められた「現実的」人種なのか。
死ぬまで「現実」に苦しめられる――それは「現実病」の者が送る、当然の一生にすぎない。
だけど、ならばなぜ、「断片」をちらつかせた? 気を持たせたのだ?
私は、「断片」を憎む。
結局「現実病」へと私を叩き落とすだけだった「断片」を、心から、軽蔑する。