【リアリア】 (11)
「……」
私は驚いた演技を装い、沈黙を返した。
リアリア――リアルフォビア。そんな病気があるとは初耳だ。いや、病気ではなく「症例」と言った。病気とはちがうのかもしれない。しかし、情報の細部はどうでもいい。ヒジリに「特殊」と言われたことが、褒め言葉のようで嬉しい。
突然、判決のように下された『リアリア』という見立て。それは私の状態を正しく説明していると思った。『リアリア』という語のちょっとおちゃらけた語感と、その奥にあるだろう事実の予感に納得した。――どうして納得できたのか。それに、どうやって私が『リアリア』という「特殊な症例」だとヒジリは見抜いたのか。そういう不整合な点にはお構いなしだった。
「おめでとう」
ヒジリは続ける。
「『リアリア』の程度が一定以上とみなされたあなたは、あたしが勧誘する『ゲーム』の補欠に選ばれた。『ゲーム』に欠員が出たら参加できる可能性を得た」
「……?」
私は真意が読めず、ヒジリを不審げに見た。ヒジリにとっては、それは計算のうちか、私を見もしなかった。頬に垂れる自分の髪を撫でて遊んでいた。
「あたしは、ある『ゲーム』のインストラクターをしている。925号室のダミーサークルは、『ゲーム』の勧誘や管理の基地として使っている」
またヒジリは一方的に言った。話が見えなかった。唐突にあらわれた『ゲーム』という用語が、意味をあやふやにしている。しかし、サークルはダミーだと言った。重要なものではないのだ。
では、『ゲーム』とは何か?
「あたしはわざとビラを床に置いた。釣り場で撒き餌を撒くように。まずビラが拾われるかどうか。拾われたら、ビラを見てどう思うか。そして、ビラに興味を持ち、サークルビルに来るか。あたしの狙いは『リアリア』の診断にあった。サークルビルに辿り着いたら『リアリア』。そしてあなたは今ここに居る。あなたは、あたしの狙い通りに釣られた魚。自分の行動によって『リアリア』であると証明した。『ゲーム』に参加する資質は認めていい」
ヒジリは流れるように喋った。論理的なお喋りもできるのだ。私は色々な驚きで軽い頭痛がした。
だが、ヒジリの話には誤りがあった。
私はビラではなく、ヒジリに興味があるだけだった。
『リアリア』と『ゲーム』の繋がりも、いまいち明確ではない。『ゲーム』の具体的な内容も説明されていない。
「いったい、ヒジリのサークルは何? それに、ゲームって?」
「それは簡単な事。もう一つの人生。人生と書いてゲームと読む。もう一つの人生をプレイするゲーム」
ヒジリは珍妙な事を言った。いや、ビラのコピーと似たような事を言われたに過ぎない。自分の耳で聞くと、狐につままれたような印象は拭えなかった。ジューッと、フライパンで何かを炒める音が聞こえた。あのマスターが料理をしてるのだろうか。
「『リアリア』の人間は、共通してある事を口にする。それは、現実世界に居ながら、『ちがう世界』の気配を感じる事。あなたもそういう経験があると予想する」
驚いた。久々に、喜びを伴った驚きだった。
私が自分だけの中で「断片」と呼んでいたものの存在を、ヒジリは何気ない口調で言い当てた。
「『リアリア』に罹った人は、決まってある信仰を持つ。世界には知らないフロアが、隠された世界の襞がありはしないかと。――私はそれに答える。『ある』という答えをもって」
これは、夢だろうか。心が震えていた。いや、何をうろたえている。私は今まで、現実世界が夢だと思ってきた。悪い夢であると。
そうか。良い夢ならば、私は肯定するのだ。夢であろうと実在であろうと、楽しいことをまず拒否してみるという、捻じ曲がった人間が居るだろうか? 私は、拒否しない。ただ、現実世界に良い夢が存在しようとは、体が信じてくれないのである。私の体は反応に戸惑い、ヘンに生真面目な顔でヒジリを見る間抜けぶりを呈した。全身の毛が衝撃で逆立つ感覚というのは、こういう時に相応しい。
「『リアリア』の罹患者は現実世界に苦しまなければならない。それは痛々しいこと。できる限り救われるべきと思う。私の勧誘する『ゲーム』は、『リアリア』の人々に、現実世界にはない新鮮な世界経験を提供する。セラピーの効用を有している『ゲーム』。プレイヤーはうまくすれば『リアリア』を治癒できる。菖蒲は、プレイする?」
ヒジリは気のなさそうな顔で訊いた。
やる気がないというより、こういう会話に慣れた気配だった。
『ゲーム』への勧誘をしているなら、慣れているのも当然か。
「うん。……プレイ、してみたい」
私は返答した。
『ゲーム』が何であるのか、いまだに漠然としていた。しかし「やる」と答える必要があると感じた。だって、やらなければ、「現実病」を、――ヒジリの言う『リアリア』を――治す機会がいつ来るというのだろうか? そして、答えた後で判った。私は「現実病」を治したいと素直に思っていたことが。
しかし、「現実病」を治してどうするつもりだろう? 現実世界が「現実」であることはハッキリしているのだ。「現実病」という症状を治したからといって、世界が「現実」である事実が変わるわけではない。私は現実世界で暮らしていかねばならない。ならば再度「現実病」は発症してしまうのではないか。だが、今は話の続きを聞くべきだ。私はヒジリに訊いた。
「それで、どういう『ゲーム』なの?」
「君に教える事じゃないよ」
「えっ……?」
「嘘なのよ。全部。即興の作り話」
ヒジリは大人しい顔で目を細めた。