憎っくき黒き悪魔が『馴れ初め』なんて誰にも言えない
雨上がりの灰色の空の下、高層ビルのあいだを会社員たちが傘を手に歩いている。
その中で、私は世界の終わりについて考えていた。
絶望と恐怖でろくに眠れず、頭が重い。二日前から、もうだめだと何度も思っている。
私の生活は脅かされていた。
あいつのせいだ。
あいつのせいで、私は家に帰りたくない。
帰りたくないなんて、今まで考えたことがなかったのに。
雨の日も風の日も、仕事で失敗した日も、上司に激詰められた日も、取引先の無茶な要求に胃を痛めた日も、自分の部屋に戻れば立ち直れた。
お風呂に入って、ご飯を食べて、寝るだけで翌朝にはメンタルが回復した。
住野 華月という人間は安上がりで単純な回復機能を持つ、能天気な女である──そのはずだったのに。
「ハラスメントですよ」が口癖の大型新人ハラハラくんにも、無茶振りをするクライアントとガチ切れデザイナーに挟まれる頭痛案件にも、結婚報告ラッシュにも、なかなかのダメージを受けながら踏ん張ってきた。
なんとかやってきた。乗り越えてきた。
だけど、あいつは無理だ。
踏ん張れる気も、なんとかやれそうな気も、乗り越えられる気もしない。
──二日前、私の城に黒き悪魔が現れた。
たかが四センチに満たない黒光りの物体Xで世界が終わるわけない、と笑われてしまうかもしれないけど、怖いものは怖い。終末並みに怖い。
電気を消せば壁が気になり、床が気になり、洗面所のマットの横も、キッチンの棚の隙間も目に浮かぶ。
こちらの理解を超えた速度が、瞼の裏に焼きついている。
知ってるか? 奴は飛ぶんだぞ?
家にいたくないのに、家を離れているあいだも不安で胃が重い。
私の出勤中に、あいつがキッチンを歩いていたら。洗面所へ移動していたら。ソファの下で仲間を呼んでいたら。玄関で、帰宅した私を待ち構えていたら……おえ。
一匹見かけたら三十匹いると思……いたくない!!
考えたくないのに、考えてしまう。
「住野」
信号待ちの人波の横から、聞き慣れた声がした。
赤信号の交差点、絶望に打ちひしがれる私を呼ぶのは──瀬良 旭。
「はよ」
今日も今日とて、爽やかな同期くんの登場である。
「あ……瀬良……おはよう」
「……住野、何かあった?」
隣に並んだ瀬良に、「別に」と早口で言って、首を振る。
言えるわけがない。
Gで始まる虫が怖いなんて言ったら「私の部屋に来て退治して」と誘っているみたいに聞こえるかもしれない。それはマズい。
瀬良は見た目がいい分、一部の女子から分かりやすく狙われがちである。あからさまなアプローチ、遠回しのようで計算されつくされたアプローチ、健気ヒロイン系アプローチ、あんたなんか興味ないんだからね系ツンデレ風アプローチ等々。
ちなみに同期内では、なぜか瀬良を巡る恋愛沙汰は起きていない。
話を戻そう。
「Gが怖い」なんて、可愛く怯えて、誰かに守ってもらって、弱さを見せても許されるキャラの台詞でしかない。
分かってるってば、私のキャラじゃないなんて。
新人歓迎会で、どしたん話聞こか系のゲス先輩に飲まされ、逆に潰して電車で帰宅した私が言ってみろ。爆笑されて終わる。
「『別に』な顔じゃなくね? なんか疲れてる。つうか寝てんの?」
この男のこういうところがモテの秘訣なのだろうか。
と思いかけて、半年前に中途入社した可愛い子ちゃんに、瀬良がヒマラヤ岩塩も吃驚なしょっぱい対応をしていたのを思い出す。
信号が青に変わり、前に立っていた会社員たちが一斉に歩き出した。
私もその流れに乗るつもりで一歩を踏み出す。
靴底が濡れたアスファルトを踏むのに、頭の動きが追いつかない。
視界の端で信号機の青がにじみ、ビルの窓がぐにゃりと歪む。
寝不足と恐怖と空腹と社会人の意地が、そろって反乱を起こしたらしい。今ここで倒れたら労災になるのか、それとも黒き悪魔による精神攻撃の被害届を出すべきなのか。
「あぶね。大丈夫か?」
腕を掴まれた。
ぐらついた体が横に引かれ、横断歩道へ流れていく人波から外される。
瀬良は私の腕を離さないまま、歩道脇の街路樹の下にある手すりのところまで連れていき、私が寄りかかれる位置に立たせた。
「ごめん」
凹む。ここ十年、一回も風邪をひいたことがない健康が取り柄の女だというのに。
「具合悪いなら休め。住野んとこの部長には俺から言っておく。とりあえずタクシー呼ぶから──」
「待って、私、家に帰りたくない……」
言ってから、自分で自分の発言にドン引く。
いい感じの男とデートして、終電間際の改札前で言う台詞ランキング上位に食い込みそうなのを、よりによって通勤中の交差点で吐くなんて。
ちら、と顔を上げると、瀬良の険しいお顔。
え、なんで?
なんで怒ってるの!?
「誰かに何かされたのか?」
「…………えっ! 違う違う!」
手を顔の前で振り、否定する。
どうやら、悲壮感たっぷりに「帰りたくない」発言をしていたようで、何かしらの対人トラブルだと思われてしまったようだ。
「じゃあ何?」
「なんでもないよぅ」
「なんでもない風には見えない。言え」
「瀬良が遅刻しちゃうよ、行きなよ。私はもうちょっとしたら行くし。ねっ、私、平気だから」
「やだ」
「『やだ』って……」
瀬良は折れない。
正面ではあまり見たことのないおっかない表情に私はビビってしまう。
綺麗な顔の人が怒ると怖くない? しかも、私には怒ったことない人が激オコなんだよ? 怖くない?
超怖い。
というわけで、私は我が城の侵入者についてゲロった。
あいつが私の城を占拠し、おそらくキッチンのどこかで不法滞在を続けていることを。
「つまり、ゴキブ──」
「しぃっ! 皆まで言わないで。悍ましい悪魔の名前だよ、気を付けて」
瀬良が眉間を押さえた。
「寝れない理由はそれか?」
「だって……布団に入ったら天井から降ってくる想像しちゃって……」
うぅ、想像しただけで涙が出てきた。
小さい頃のトラウマなんだよね。小学校三年生のとき、おじいちゃん家の蔵を大掃除してたら黒き悪魔たちの奇襲に遭って……うえぇ……メモリーズストップ!
「で、でも、今日こそ立ち向かおうと思ってるの。ほら、私のほうが体も大きいし? だから、大丈夫っていうか、超大丈夫っていうか……」
超大丈夫ってなんぞ? と、思ってるんだろうな、瀬良。
私も思ってるから、その気持ち分かるよ。
というか、ここまで来たら笑われたほうがマシなんだけど、瀬良は笑わない。空に向かって、でっかい溜め息を吐いてから私と目を合わせた。
なんだか、すごいプロジェクトを抱えた人みたいな真剣な目である。
「今日、住野ん家行っていい?」
「えっ」
「あ、いや、俺、ゴキ……黒いの平気だし、何もしないし……じゃなくて……黒いのを倒すだけだから」
瀬良が珍しく言葉を詰まらせている。
瀬良は、馬鹿にしないし、茶化さない。
その様子に肩の力が抜けていく。
「……じゃあ、お願いしてもいい?」
私がそう言うと、瀬良は目を逸らしてから、咳払いをした。
「オッケー。スプレーとか買ってくか?」
「ノープロブレム、武器の用意はしてる」
しかもお高いの三本。
ホイホイも設置済みだけど、それには引っ掛かってくれていない。
「なるほど。戦争する気は万端か」
「もち。こっちは城を取られてるんだよ。和平交渉の段階は過ぎてる」
「なら奪還しないとな」
奪還。
その単語があまりにも頼もしくて、私は交差点の木の下で泣きそうになった。
その日の仕事は、正直ほとんど記憶にない。
大型新人の「それ、僕がするんスか?」を右から左へ受け流し、クライアントの「もっと生活者目線で可愛く、大人っぽく、でも安っぽく見えないように、とにかくイイカンジでやっちゃって」という呪文にも相槌を打ち、平身低頭でデザイナーに修正を依頼し、定時になった途端、私は椅子から立ち上がった。
◇◇◇
十九時半。
鍵を差し込み、ロックを外してドアを開ける。
玄関に入ると、いつものホワイトティーの香りがした。
「お邪魔します」
瀬良が靴を脱いで、玄関に上がる。
そこで私は別の恐怖に襲われた。
よくある1Kの狭い間取りなので丸見えなのだ、可愛い雑貨だらけの私の部屋が──
淡い桃色のカーテンに揃いのクッション、花柄のマグ、ガラスの小皿、季節限定コフレの空き箱を再利用した小物入れ、棚に並んだルームフレグランスとキャンドル。
仕事ではシンプルイズベストを愛しているふりをして、家では可愛いものに囲まれて生きている女です。どうぞご覧ください〜。
そんな『恥』の展示会場である。
「……似合わないよね、こういうの」
へらっと笑って言った直後、またやっちゃった、と思う。
傷つく前に自分を下げる癖。テスト前に「全然勉強してない〜」と言う中学生みたいで嫌なのに、いまだに抜けない。
「そんなことないけど」
「気ぃ遣わなくていいよ。……黒き悪魔を滅してくれるなら、恥はかき捨てる覚悟くらいあるもん……」
「遣ってねえよ。つうか、そこまでの覚悟で呼ばれてんの、責任重いな。玄関で待ってて」
「……うん、ご武運を」
「ふはっ、ご武運て……あ、今いたな」
「んにゃああっ!!」
反射で叫んで、気づいたときには瀬良の背中にしがみついていた。
やってしまった。コンプラ違反。
「ご、ごめん」
慌てて離れると、瀬良はキッチンから目を外さないまま片手を上げた。
「すぐ片す」
「……うぅ……お願いします……」
私は上がり框の脇に張りつき、両手を合わせて祈った。
神様、仏様、瀬良様。どうか私の城に平和を返してください。
──数分後。
「住野、終わったー」
私は顔を上げてキッチンのほうを見た。
瀬良はビニール袋の口を固く縛っていて、スプレー缶とキッチンペーパーを片づけているところだった。
「シンク下、配管まわりに怪しい隙間があったから、マステで塞いでおいた。スプレー使ったのも床とシンク下だけ。調理台は触ってない」
瀬良は袋の口をもう一度縛り、玄関の外へ出してから戻ってきた。
「手ぇ、洗わせてもらっていい?」
洗面所を指されて、私は大きく頷いた。
「もちろん! 石鹸、好きなだけ使って!」
瀬良が洗面所へ入る。
私はキッチンの床を見て、次にシンク下を見た。調理台とコンロまわりは無事。念のため、アルコールシートで拭いておく。
「迷惑かけてごめん」と言うと、「迷惑じゃねえよ」と笑った声が返ってきた。
な、なんだこの男はっ。
対黒き悪魔スキルまで持っているのか?
神は二物どころか、実用性の高いオプションまで盛るらしい。
水音が止まり、瀬良が戻ってきた。
「んじゃ、俺、帰るわ」
その背中を見た途端、口が勝手に動いた。
「待って、瀬良! ご飯食べてかない?」
黒き悪魔が現れる前、日曜の昼に作ってすぐ冷蔵庫へ入れた作り置きもある。
冷蔵庫を開ける気にもなれなかったので、中身はほとんど減っていない。
「あ、外食でもいいよ、奢る。あのね、ちょっと歩いたところにファミレスが──」
「住野の飯がいい」
食い気味にもほどがある返事である。
瀬良は私から目を逸らして、気まずそうに口元を手で隠した。
「そんなにお腹空いてたの? じゃあ、ぱぱっと準備するから座ってて」
瀬良を居室のローテーブルの前に座らせて、私はキッチンへ戻った。
冷蔵庫を開けると、ガラスの容器が二つ。
蓋を開けて確認する。大丈夫、いける。
一つはにんじんしりしり。ごま油で炒めて、いりごまをこれでもかとかけたものだ。
色もいいし、ご飯も進む。にんじんしりしりは優秀だ。こういう子とは長く付き合っていきたい。
もう一つは、砂糖をレシピの二倍入れてしまった甘口のひじき煮。怪我の功名でけっこう美味しい。
あとは肉系がほしいかな。
冷凍していた豚肉をレンジで解凍する。その間にレンコンを厚めの半月切りにし、水にさらす。解凍した豚肉は四センチくらいに切って、薄力粉をまぶす。
「なんか手伝うことある?」
「黒き悪魔を討伐した勇者は座っててくださーい」
「ん。了解」
フライパンにごま油を引いてレンコンを並べる。じゅっ、と音がして、白かった断面に焼き色がつく。
両面を焼いて端に寄せ、空いたところに豚肉を置く。肉の色が変わって、薄力粉をまとった表面に油が絡む。
そこへオイスターソースとリンゴ酢を入れると、甘じょっぱい匂いに、酸味がきゅっと混ざった。
縞模様が入った瑠璃色の丸皿に盛れば、簡単すぎる炒めものの格がちょっと上がる。
このお皿買ってよかった~と使うたびに思う、私のお気に入り。
冷凍ご飯を温めながら、洗い物を完了させてしまおう。
にんじんしりしりとひじき煮を小鉢に盛り、解凍したご飯と豚肉レンコン炒めを瑠璃色の丸皿に盛って、プレート風にする。
お味噌汁は、インスタントに頼ってしまおう。茄子とおあげの具でなかなか美味しいのでリピしてる。
「できたよ~」
「おおっ! すっげーうまそう!」
ものすごいきらきらした目でご飯を見てる瀬良に申し訳ない気持ちになる。
黒き悪魔を倒した勇者にこんな残り物でいいのだろうか。
勇者よ、褒美に何を望む?
え? 豚肉レンコン炒め?
しょぼぼぼい。
というか、作り置きと冷凍していた豚肉で、残り物処理っぽくて罪悪感。
でも変に謙遜しても「そんなことないよ」待ちっぽいし、不味くはないはずだから、このまま食べてもらおうかな。そんでもって、お礼は後日また考えよう。
「はい、割りばし」
割れ方が凶器にならないタイプの丸い箸を渡して、「いただきます」と声をハモらせる。
一口目にお味噌汁。インスタントのって味が濃くて美味しいんだよね。これだけでご飯いけちゃうの。
ローテーブルの向かいで、瀬良が豚肉とレンコン炒めを口に運んでいた。
箸で挟んだ肉とレンコンをまとめて口に入れる。大きい一口だ。しっかり噛み、飲み込むときに喉仏が上下する。
ちょっと顔の角度を上げて、「うま」と一言。
──私、やっぱり、この男のことが好きなんだよなあ。
一度、告白しようと思ったことがある。
同期飲み会で吉田に「お前らお似合いだよな」と茶化されたとき、否定しながらも内心ではかなり浮かれてたし、「瀬良君と会社で一番仲が良い女子は華月ちゃんだから自信持ちなよ~」とナナちゃんに励まされたときには、もしかして本当にいけるのでは、とその気になっていた。
好きな人と、会社で一番仲がいい女子、なんて言われたら、そりゃ調子にも乗る。乗らないほうが難しい。
だって、私は単純なんだもん。
恋の風船はぷっくり膨らんで、高く高く空に上がってた。
でも、とあるきっかけで風船ははじけて萎んで、地面に落下した。
地元の同窓会に行って、昔の同級生に言われたのだ。
「相変わらず男女だな」って。
中学の頃から、何回も同じことを言ってきた同級生。
当時は言い返していたし、実際に蹴りも入れたし、「私、気にしてないけど?」って顔をしてたけど、めちゃくちゃ落ち込んだし、気にしてた。
高校、大学に進学してからは、そんなことを言う人はいなかった。
優しい人たちに囲まれているうちに、私はいつの間にか気にしなくなっていた。
社会人になってからは思い出すこともなくなっていたのに、同窓会で男女と言われたことで、傷口がぱっくり開いた。
それから、可愛いものが好きだと言うのが怖くなった。
瀬良に告白すればうまくいくなんて、勘違いしていた自分が恥ずかしくなった。
だから私は、告白しなかった。
瀬良と仲のいい同期でいるほうが安全だったから。
振られて気まずくなるくらいなら、今の距離で笑っていたかったから。
それなのに、好きな気持ちは過去形になってくれない。
「最高、毎日食いたい」
「大袈裟だなあ」
やばいなあ……と思う。
毎日、という言葉に過剰に反応しちゃう。
思い込んでも、だめって決めても、頑丈に蓋をしても、好きだと思う回数ばかり増えていく。
……ねえ、瀬良、さっさと結婚しちゃってよね。
そしたら私、今度こそこの恋を捨てられるから。
◇
「ごちそうさん」
瀬良が玄関で靴を履きながら言い、ドアを開けて、外に出してあった袋を拾い上げる。
「瀬良、今日は本当にありがとう」
「こっちこそありがとな。めっちゃうまかった」
そこから「ありがとう」の応酬になった。
「もういいから! ねっ、これでおしまい。私の『ありがとう』で締め!」
「俺の『ありがとう』で締めたいんだけど」
「瀬良、しつこーい」
口では悪態をつきながら、嬉しい。楽しい。時間が止まってほしい。
「あー……もう行く。ごめんな、長居して」
「ううん、また来て」
言ってから、ハッとする。
また来て、って……馬鹿なのか?
うん、馬鹿!
私は、へらっと笑って、「今度は唐揚げにするよー」とか言ってみる。
ここで慌てたら、気持ちがバレちゃうからね!
こういうときは、「私に下心ありませんよ~」のテンションでおちゃらけるのが一番なのだ。
瀬良は笑って、「おう、また今度、皆でな」とか、「そうだな」とか、社交辞令で流す──はずだった。
そう思っていたのに、瀬良は二秒ほど固まってから、口に手をやった。
「マジで?」
すっごい真面目な目で、耳を真っ赤にして。
え、嘘、だめだよ、それはだめすぎる。
ねえ、そんなふうに言われたら、期待しちゃうよ。私、すごく単純なんだから。
どうしよう、こんな狭い玄関じゃあ赤くなったのを隠せない。顔中、熱い。
俯いて、転がったパンプスをつつく。
もう行く、って言ったくせに、瀬良は玄関に立ったまま帰らない。
「住野」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
わ、なんか──
「俺、『また』なんて言われたら本気にするけどいいの? 社交辞令なら、今言ってほしい」
溢れちゃう。
「……し、してよ。本気にして」
声がかすれて恥ずかしい。
なのに、目が逸らせない。
「分かった。本気にする」
「う、うん」
「じゃあ……明日、メールする」
「……うん、気をつけて帰ってね」
頷きながら返事をする。
扉が開いて、スローモーションで閉まる。
閉じた扉の前で、私はしばらく動けなかった。
◇
その夜、私は布団に入ってから長い時間スマホをいじっていた。
検索欄に打ち込むのは、黒き悪魔の駆除方法ではない。
[唐揚げ 下味 美味しい]
[唐揚げ 人気 レシピ]
[唐揚げ 男ウケ]
ん? 『カレシ大絶賛レシピ☆特集』?
どれどれ。
って、いやいや、まだカレシじゃないし。
って、まだってなんだ、まだって!
「…………眠れない」
──寝不足が三晩目に突入したのは、言うまでもない。
【完】
急募:『美味しい唐揚げ』のレシピ!




