3.見て見ぬふりはできない性分なんです
私がやったことはシンプルだ。
まず、被害を受けた生徒たち全員から、日時・場所・内容を詳細に書いてもらった証言録を集めた。次に、寮の使用人やクラスメイトへの聞き込みで、複数の目撃証言を確保。
——それから、王都の穀物取引の公開記録と、主要商会の取引台帳を片っ端から洗った。
これは元々、実家の領地で進めている農業改革の試算をするために読み始めた資料だった。
王都の市場価格、流通量、各商会の在庫量。それらの数字を突き合わせながら、収益の見込みを計算していたときだ。
「あれ?」
穀物の価格変動のタイミングが、おかしいことに気づいたのだ。
王都の市場に出回っている穀物量に対して、特定の商会が保有している在庫が不自然に多い。
さらに調べていくと、その商会が最近、ノートン家の資金援助を受けていることがわかった。
そして決定的だったのは、穀物価格が上がる直前に、その商会が大量の買い付けを行っていたことだ。
どうやらノートン侯爵は、特定の商会と組んで穀物を買い占め、市場価格を操作しようとしていたらしい。
このまま放っておけば、王都の穀物価格は確実に上がり続けるだろう。そうなれば、真っ先に被害を受けるのは平民だ。
クラリスには申し訳ないが、見つけてしまった以上、見て見ぬふりをすることはできない。
これらを通常業務と同時進行で行った結果、私の作業量は三倍になってしまった。
その日の夜も図書館の窓際で黙々と作業を続けていると、隣に座る殿下がふと口を開いた。
「書類が増えたな」
「色々と重なってしまって」
殿下は眉間に皺を寄せていたが、それ以上追求することはなく、自分の書類に視線を戻した。この距離感が心地よいと思い始めたのは、一体いつからだったか。
私はぼんやりとそんなことを考えてから、目の前の書類へと意識を戻した。
◇◇◇
全部まとめて分厚いレポートにしたのが、約束からちょうど一週間後のことだった。
前世で理不尽な上司の無茶振りに応え続けた経験が、まさかこんな形で役に立つとは。
完成した日の午後、いつもより少しだけ早足で廊下を歩いていたら、後ろから大きな手にがしっと肩を掴まれた。
「随分重そうなものを運んでいるな」
振り返るまでもなくわかった。クロード殿下だ。毎晩同じ図書館の窓際で顔を合わせているせいで、どうやら私は声だけで判別できるようになってしまったようだ。
「ご機嫌よう、殿下。珍しく昼間の廊下でお会いしますね」
「偶然だ。その荷物をどこへ持っていく」
「学院長室です」
「貸せ」
私が何をしようとしているのか、すべてお見通しなのだろう。さっと手を伸ばしてきた殿下に、私はレポートの一部だけを渡した。
「では、ノートン侯爵の穀物買い占めに関する告発文書だけお渡しします。これは学院の問題ではなく宮廷の問題なので、殿下にお任せしますね。残りは私的な問題なので、私が学院長に出します」
殿下が書類の束を受け取り、素早く中身を確認した。その表情がみるみる険しくなっていく。
「これを一週間で?」
「仕事のついでだったので」
しばらく黙ってから、殿下が真剣な顔で言った。
「そっちも寄越せ。俺が提出する。……お前が矢面に立つ必要はない」
仏頂面で分かりにくいが、私が逆恨みされないよう、心配してくれているらしい。私は嬉しくなって笑いながらも、首をしっかりと横に振った。
「ありがとうございます。ですが、私が調査したのですから、最後まで責任はとります」
「ノートン家に目をつけられるぞ」
「侯爵が裁かれた後に睨まれても、怖くありません」
殿下の綺麗な瞳が、射抜くように私を見つめてくる。何か言いたげだったが、引く気配がないと悟ったのか、小さく息を吐いた。
「わかった」
「その代わりと言ってはなんですが、一つお願いがあります」
「なんだ」
「なるべく急ぎで、奨学金制度を作っていただけませんか」
殿下の動きが、一瞬止まった。
まるで信じられないものを見るような目を私に向けてから、大きなため息をついた。
「……お前は本当に変わり者だな」
どうやら、これは了承の言葉ととらえてもよさそうだ。
レポートを持った殿下の背中が遠ざかっていくのを見届けてから、私は学院長室に向かった。
◇◇◇
翌日の放課後。
学院長室に呼び出されたクラリス・ノートンは、被害生徒の証言録と目撃証言が読み上げられていくうちに、みるみる顔色を変えていった。
ちなみに、なぜか私もその場に同席することになってしまった。当事者の一人として学院長から求められたからだが——正直、ただの野次馬根性でOKしてしまった。
「これは……でも、わたくしが直接やったことでは——」
「指示を出したのはあなたです、クラリス・ノートン。証人はマリー・モンゴメリーの他にも七名います」
学院長が静かに告げた。
クラリスは唇を噛んだ。それから、私を見た。助けを求めるような目だった。
今更どのツラ下げて、とは思わない。だって私は別に彼女のことが嫌いなわけではないから。
私はソファから立ち上がると、クラリスのそばに行った。
「クラリス様」
「……なに?」
「あなたのお顔は本当に美しいです。それだけは本当です」
クラリスがぎょっとした顔をした。
「だから一つだけ、忠告します。今から私が言うことをよく聞いてください」
私はできるだけ穏やかに、しかしはっきりと言った。
「ノートン侯爵の不正について、殿下を通じて王室に告発しました。今頃、宮廷の調査が入っているはずです」
クラリスが、まるで信じられないといった表情を浮かべる。この様子だと、彼女は本当に何も知らなかったのだろう。
「穀物の価格操作と、特定商会との不正契約。証拠はすべて提出済みです。あなたのお父様は、近々逮捕されるでしょう」
「……どういう、こと」
「そのままの意味です」
かわいそうなほど震えているクラリスに、トドメを刺すのは気が引ける。だが、私が始めたことだから、私が始末をつけないといけない。
「あなたのお父様は、この国の市場を私物化し、民の生活を脅かそうとした。その責任は、侯爵自身にとっていただかなくてはいけません」
しんと静まり返った学院長室の中で、クラリスの浅い呼吸音だけがみょうに耳につく。
父の権力があったから、誰も逆らえなかった。
父の名前があったから、何をしても許された。それが一瞬で消えた。
私はクラリスの肩に手を置くと、なるべくゆっくりと話しかけた。
「クラリス様。あなたの顔面は本物の資産です。父親の権力に頼らなくても、その顔ならいくらでもやり直しが利きます。どうか上手く使ってください」
しばらく沈黙が続いた。
それからクラリスは、ゆっくりと顔を上げて私を見た。
「……あなた、本当に頭がおかしいですわ」
「よく言われます」
クラリスは目を閉じ、一つ深く息を吸ってから、学院長に向かって静かに頭を下げた。
「……すべて私がやりました。申し訳ございませんでした。いかなる処分も甘んじて受け入れます」




