2.パワハラ耐性はマックスです
「覚えていらっしゃいますか、マリー様? 先日のパーティーで、わたくしのドレスを踏んで謝りもしなかったこと」
学院に入ってしばらく経ったある日の昼下がり。食堂の隅で書類を片手にランチをとっていた私は、目の前の令嬢——クラリス・ノートンを見て、まず最初に思った。
……顔が、良い。
プラチナブロンドの完璧な巻き毛、紫水晶の瞳、陶器みたいに白い肌。前世のトップモデルを並べても見劣りしないくらい、絵に描いたように美しい顔立ちをしている。
しかし残念なことに、その美しい唇から出てくる言葉はドブのようだ。
「せっかく王都一の職人に作らせたのに……あなたが踏んで台無しにしてくださったおかげで、わたくしのドレスはもう二度と着れませんわ。もちろん弁償していただけますよね?」
踏んだ覚えはない。そもそも入学に合わせてようやく王都にやってきた私は、おそらくそのパーティーに参加すらしていないと思う。
——つまり、これはいわゆる“因縁をふっかけられている”というやつか。
「それと——」
クラリスが続けた。声は柔らかく、でも目は笑っていない。
「クロード殿下の婚約者のお立場で、こんな食堂の隅で書類を読みながらサンドウィッチを召し上がるのはどうかと思いますわ。恥ずかしくないんですの? 田舎から出てきたばかりで、まだ王都の礼儀作法もご存知ないでしょうけれど、せめてテーブルマナーくらいは学んでいらしたら? 殿下がお可哀想ですもの」
取り巻きが五人、くすくすと笑う。
なるほど、これが王都の礼儀作法ですか。勉強になります。確かに私の行動はお行儀がいいとは言い難かったな。
私は手に持っていたサンドウィッチを置いて、クラリスをまじまじと見つめた。
「少しよろしいですか、クラリス様」
「……なんですの?」
「本当に、お顔が良いですね。私はあなたより美しい女性というものを見たことがありません。そのお顔は国の重要文化財に指定されるべきだと思います。今からでも一緒に申請しに行きませんか?」
沈黙が落ちた。
「……それと、その美貌でその性根は、本当にもったいないと思います。ドレスの件は事実無根なので弁償はいたしかねますが、もしお金に困っていらっしゃるなら、他に方法はいくらでもあります。ご入り用でしたらご相談ください」
私の言葉に、クラリスの表情がぴきりと固まった。
「……この女、頭がおかしいんじゃないかしら」
「ご名答かもしれません。では失礼します」
私はサンドウィッチの残りを一気に口に突っ込むと席を立ち、食堂を出た。
背後から「待ちなさい!」という声が追いかけてきたが、廊下に出た瞬間に偶然通りかかった先生に捕まってしまったクラリスの声は次第に遠ざかった。
美しいお顔が怒りで染まっているのが目に浮かぶ。勿体ないな、本当に。
◇◇◇
それからというもの、クラリスは私に対して容赦というものを完全になくしたようだ。
廊下ですれ違うたびに「田舎者」「芋令嬢」「殿下が可哀想」と言い放つのは序の口で。
授業中、教師が目を離した隙に、後ろの席の取り巻きが私の背中に何かをぶつけてくる。振り返ると、くすくすと笑っているため、誰が投げたかはすぐに分かる。
食堂では、私が現れた瞬間、クラリスが周囲の女子に目配せをする。すると、私が席に着こうとするたびに、取り巻きたちがその席を奪い取るのだ。面白くなって、わざと席取りチャレンジを続けていたら、私も取り巻きたちもランチを食べる時間がなくなってしまった。
極め付きは、ある朝のことだ。教室に入った途端に周囲の注目を浴びるから、ついにモテ期が到来したかと思ったのに。私の机の上に、インクがぶちまけられていたのだ。
私が机を前にがっかりしていると、クラリスがその横を通り過ぎた。
「あら、お可哀想に」
いかにも心のこもっていない、平坦な言葉だった。
直接手を下すのはいつも取り巻きで、クラリス本人は何もしていない。彼女はただ、最前列で私の反応を鑑賞している。いつもこうやって誰かをターゲットにして、心底楽しんでいるのだろう。
そんなことが数日続いた、ある夜のこと。
図書館でいつも通り作業をしていると、殿下が不意に口を開いた。
「……何か困ったことはないか」
「? 別にありませんけど」
突然どうしたのか。意味はわからなかったが、私は素直に返事をした。すると、殿下は少し間を置いてから、静かに言った。
「そうか」
それ以上は何も聞いてこない。ただ、しばらくしてから、ぼそりと付け加えた。
「何かあれば、俺に言え」
何か、という言葉に、妙に含みを感じる。
……ああ、なるほど。父から報告でも受けているのかもしれない。「娘は思い立ったら即行動するイノシシなので、目を離すと何をするか分かりません」とかなんとか。よく怒られたなぁ。顔を赤くしたり、青くしたりしながらお説教をしてきた父のことを思い出し、少ししんみりとした気持ちになった。
「分かりました。何かあればご報告します」
「……頼む」
殿下は短くそう言うと、再び書類に視線を戻した。
◇◇◇
今日のクラリスは、提出期限が迫った私の課題を捨てようと、必死に机の中を漁らせたらしい。残念ながら、課題はとっくに提出済みだ。
こんなちまちまとした嫌がらせをされたところで、私の中身はパワハラ耐性マックスの社畜だ。完全にノーダメージなのに、なんだか可哀想になってくる。
——しかし、私以外のターゲットは、そうはいかないらしい。
「マリー様!」
ランチを終えて廊下を歩いていると、甲高い声とともに、見知らぬ女生徒たちが三人、私に駆け寄ってきた。
「あの、マリー様があのクラリス様にお一人で立ち向かわれたというのは、本当ですか?」
「いや、別に立ち向かっては——」
「私見ました! 毅然と言い返している姿を! すごいです、私たちは怖くて、いつも黙って耐えるしかなくて……!」
女生徒たちの目がみるみる潤んでいくのを見て、私はいたたまれない気持ちになった。
非常に面倒くさくはあるが、幼気な少女たちの訴えを無視できるほど、私のメンタルは強く無いのだ。
「……あなたたちも何かされたのですか?」
「私は、真っ暗な倉庫に閉じ込められました。なかなか出してもらえなくて……」
その時のことを思い出したのか、女生徒は言葉に詰まってしまった。
「他にも紅茶をかけられたり、提出物を隠されたり……でも証拠がないし、クラリス様のお父様の手前、何も言えないんです」
ノートン家はこの国の侯爵家で、学院にも多額の寄付金をおさめているため、理事会で絶大な発言権を誇っている。クラリスの父、ノートン侯爵がいる限り、学院内でクラリスに逆らうことは事実上誰にも出来ない。
それがわかっているから、彼女はああも好き勝手振る舞っているのだ。
前世の会社でも似たようなメンタルで好き勝手する先輩がいたことを思い出し、私は少し遠い目になった。
「……仕方ない。証拠、作りましょう」
「え?」
「あるところにはあるんです、証拠というのは。ただ、見つけていないだけで」
そう。色々と資料を読み漁っている時に、無視できない問題も見つけてしまったのだ。
私は「もうどうにでもな〜れ」という気持ちでにっこりと微笑んだ。
「少し時間をください。一週間もあれば十分です」




