1.社畜、異世界に転生する
死後の世界って本当にあるんだ——と、私はのんきにそんなことを考えた。
二十六歳、独身、彼氏なし。
毎日終電まで働いて、休日は次の月曜日が怖くて眠れなくて、そのまま気がついたら過労で倒れて。お医者さんには「あと少し遅かったら」と言われたけど、残念ながら遅かったらしい。
私は搬送先の病院で、ぽっくり逝ってしまった。
まあ、正直そこまで後悔はなかった。
未練なんて特になかったし、私が死んでも別に誰も悲しまなかっただろうし。
ただ一つだけ後悔があるとしたら——どうせ死ぬならダイエットとか気にせずに、美味しいものをもっとたくさん食べておけばよかったってことくらいだ。
なので私が真っ暗な死後の世界にたどり着いた時、真っ先に祈ったのは「暴食しても絶対に太らない完璧な体をください!」だった。
その結果、割と意味がわからないが、田舎の男爵令嬢に転生し、満足のいく見た目と食うには困らない程度の財力で、人生を謳歌していたのだが。
婚約者をあてがわれたあたりから、雲行きが怪しくなってきた。
——あぁ、神様。なぜ私をこの国の第二王子殿下とかいう、逆立ちしたって釣り合いが取れないような相手と番わせようとするのですか?
◇◇◇
マリー・モンゴメリー、十六歳。
なぜ冴えない田舎貴族の令嬢である私が、王子様の婚約者なんてご大層なものに抜擢されてしまったのか。
それには一応理由がある。
私は転生してから六歳で前世の記憶を取り戻し、最初にしたことは父の書斎の帳簿を全部読み込むことだった。
次にしたことは農業改革案を書いて父に提出することで、その次にしたことは近隣領地との交易ルートを整理することだった。結果、わずか三年でモンゴメリー男爵家の収入を倍にすることに成功した。
前世でブラック商社の社畜をしていた経験は、異世界でも意外と役に立つらしい。
しかし、これで悠々自適のお貴族様生活を満喫……とはいかなかった。
評判というのは思ったより遠くまで伝わるもので、気がついたら「モンゴメリー家の令嬢は天才だ」という噂が王都にまで流れてしまったのだ。派手に尾ひれがついてやがる。
そこに目をつけたのが、クロード第二王子殿下の御父上、国王陛下だった。
陛下は当時、腐敗した貴族たちが牛耳る宮廷の財政を立て直す人材を必死に探していたらしく、「その天才令嬢を息子の嫁にすれば、役に立つのでは?」という、なかなか失礼な動機で婚約を申し込んできた。
父は当然、分不相応なこの縁談を固辞した。……はずだったのに。
「どうしてこんな恐ろしい縁談を受けたりしたのっ!」
「まあまあ、そういうなマリー。クロード殿下は素晴らしい方じゃないか。眉目秀麗で真面目な性格だなんて、まさにお前の好みだろ?」
私のような淑女の風上にも置けない娘を王族に嫁がせたら最後、一家打首になりかねんから断固拒否してやるって息巻いてたはずの父は、あっさり懐柔されて帰ってきた。
「だから問題なんだって! そんな方の妻だなんて、私に務まるわけがないでしょ!? だいたい我が家に王家に嫁ぐだけの持参金なんて——」
頭をかきむしって絶望した私だが、妙に鷹揚に構えている父の様子に、ピンときてしまった。
「……見返りは?」
「そっそんな見返りだなんてあるわけないだろ?」
「教えてくれないなら、殿下との顔合わせの席で床に転がって暴れまわってやる」
私は本当にやる。それを父もよく分かっているため、大きなため息と共に自白してくれた。
「……持参金を十分に準備できるだけの結婚支度金に加えて、モンゴメリー男爵領の農業改革を全面的に支援してくださるそうだ」
「それは……破格の申し出だね」
どうやら陛下は本気らしい。
あっさりと父に売られたことは一生恨むが、これは腹をくくるしかなさそうだ。
そして、お相手となるクロード殿下はといえば——婚約を受け入れたものの、田舎育ちの令嬢を押しつけられたことは相当不満だったらしい。
初めて会った時の「……どうも」という覇気のない挨拶と、全力で私を視界に入れまいとする姿を、私は今でも鮮明に覚えている。
あれは傑作だった。現実逃避しすぎだろ。
まあ、それはともかく。そういういきさつで、私は殿下も通う超名門の王立学院に入学し、現在に至るわけだ。
はっきり言って、田舎者の私は王都の名門校ではかなり浮く。
しかし、恐れ多くも第二王子殿下の婚約者である私に、入学しないという選択肢は存在しないわけで。
不本意ではあるが、私は前世の分も合わせたらいい大人だ。
諦めて入学を受け入れたし、学院内で殿下を見かけた時は、婚約者として挨拶くらいはしなければと思って声をかけたのだが——
「……ああ」
殿下は手元の書類から目を上げず、私を一秒も見ないまま通り過ぎていった。
周りのご令嬢の顔も、思わずドン引きするほどの塩対応だ。
成長した殿下ははっきりいって破茶滅茶に顔が良かったが、きっとこの人とまともに話すことはないだろう——そんな私の予想は、わりとあっさりと外れた。
◇◇◇
入学翌日の夜。
私はさっそく部屋を抜け出していた。
目的地は図書館。
この学院は全寮制の上に相部屋のため、消灯時間を過ぎてから作業をしようとすると、ルームメイトの睡眠を妨害することになってしまう。
今夜は月が大きいから、きっと窓際の席なら明かりがなくても大丈夫なはずだ。
軽い足取りで目的の場所に忍び込むと、そこには、なんと先客がいた。
「……お前か」
クロード殿下が、私が目をつけていた窓際の席に、書類を広げて座っていた。
ここで露骨に場所を移動するのも感じが悪い気がする。そう思った私は、さりげなく隣に座りながら挨拶をすると、殿下は眉間にシワを寄せて、なんとも言えない返事をした。
「消灯時間はもう過ぎていますが、殿下はお休みにならないのですか?」
「お前こそ」
「私はちょっと、やりたいことがありまして……」
「俺もだ」
会話を弾ませる気は無いのか、殿下はそれだけ言うと、また書類に視線を戻した。私もそれ以上話を膨らませることは諦めて、自分の仕事にとりかかることにした。
三十分ほど、お互い無言で作業を続けた。沈黙は別に苦ではなかった。前世の職場で身につけた「隣で誰が何をしていても気にしない」スキルが地味に役立っている。
先に口を開いたのは殿下だった。
「……何をしている」
顔を上げると、殿下が私の手元をじっと見ていた。
「実家の農業改革の試算です。新品種の試験導入にかかるコストと、補助金の申請に必要な数字を出しています」
殿下がわずかに眉を上げた。品定めされているような気がしたが、気のせいかもしれない。
「見せろ」
「……どうぞ」
特に断る理由もないので渡すと、殿下は黙って読み始めたが、その表情が少しずつ変わっていく。
「……ここはなぜ空白になっているんだ?」
「輸送費を入れたいんですが、ここ五年の相場が手元になくて。とりあえず空けておいたんです」
上司のチェックを受けている気分になりながら答えると、殿下は無言で自分の書類の束を漁り、何かを私に差し出した。
「これを使え」
「えっ……ありがとうございます」
受け取って表紙を見ると、王都の荷受組合が出している取引記録だった。なんで王子がこんなもの持ち歩いてるんだ。
「……殿下。もしかして、仕事に関係しそうな資料を常に持ち歩いてるんですか?」
「当たり前だ。いつ必要になるか分からない」
なるほど。前世の私と同じ種族だ。いつ無茶振りされても対応できるよう、「念の為必要そうな資料は全部持っていないと不安」という社畜精神。思わず親近感を覚えてしまった。
私が急いで空白を埋めていると、殿下が少し間を置いてから言った。
「……学院に来てまで実家の心配か」
「心配というか——農業改革の方向性は私が決めてしまったので、責任をとりたいんです。うまくいかなければ、真っ先に割を食うのはうちの領民ですから」
殿下がまた、しばらく黙った。
「……もうきりはついただろ。今日はそこまでにしろ」
「え、なぜですか」
「顔色が悪い」
言われて初めて、頭が少し痛いことに気づいた。環境が激変したことに対するストレスもあるのかもしれない。
「……そうします。ご忠告ありがとうございます」
渋々片付けようとすると、殿下がぼそりと言った。
「寮まで送っていく。……倒れられたら困る」
なんだか歯切れの悪い言い方だ。まあ確かに、白い結婚確定とはいえ婚約者を夜に一人で歩かせるのは、ジェントルマンの所業ではないかもしれない。
結局、翌日も、その翌日も。気がついたら夜の図書館の窓際が私たちの定位置になっていた。
殿下は相変わらず無口だったが、私の試算に時折鋭い指摘を入れてくれたし、私は殿下の執務書類の数字の矛盾を「ここ合っていませんよ」と指摘した。
甘い空気などには一切ならないが、なんとなく居心地は悪くなかった。
——ずっとこんな日々が続けばいい、なんて柄にもなく願ったせいか。平穏な日常は、あっさりと崩れ去った。




