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第15話:一人で

# 第15話:一人で


 ミオは暗闇の中で目を開けた。


 体が痛い。全身が悲鳴を上げている。肩が、腰が、足が、それぞれ別の痛みを主張している。落ちた時の衝撃が、まだ体の奥に残っている。


 でも動ける。骨は折れていない。


 ミオは体を起こした。手のひらが濡れた石床を押す。冷たい。湿気が肌にまとわりつく。かび臭い匂いが鼻をつく。


 周囲を見た。


 暗い。松明が転がっている。拾う。火がまだついている。光が狭い空間を照らす。


 壁に囲まれている。天井が低い。上を見上げる。崩れた床の跡が遠くに見える。戻れない。


 リンがいない。


 ミオの心臓が跳ねた。


「リン……?」


 声が震えた。壁に反響する。でも返事はない。


 ミオは立ち上がった。足がふらつく。壁に手をついて支える。


「リン!」


 叫ぶ。声が空間に広がる。でも返事はない。


 静寂だけが、ミオを包んでいる。


 ミオの呼吸が浅くなった。肺が縮んだみたいに、うまく空気が吸えない。心臓が喉まで上がってきたような圧迫感。


 リンがいない。


 指示がない。


 どうすればいい。


 ミオは松明を持ったまま、その場に立ち尽くした。手が震える。光が揺れる。影が壁を這う。


 どうすればいいの。


 ミオの頭の中で、声が響いた。


 孤児院の管理者の声。冷たい声。


「考えるな。言われた通りにしろ」


 ミオは頭を振った。違う。違う。


「自分で判断するな。お前は従うだけでいい」


 声が続く。耳の奥で、何度も繰り返される。


「考えたお前が悪い。罰だ」


 暗い部屋に閉じ込められた記憶が蘇る。冷たい床。何も見えない闇。一人で震えていた記憶。


 ミオは壁に背中をつけて座り込んだ。膝を抱える。


 考えちゃだめ。考えちゃだめ。


 でも、リンがいない。


 誰も指示してくれない。


 誰も教えてくれない。


 どうすればいいかわからない。


「わかんない、わかんない……」


 ミオの声が、震えた。過呼吸気味になる。呼吸が浅い。息を吸おうとしても、肺の半分しか膨らまない。


 手が震える。松明を持つ手が震える。冷や汗が背中を伝う。服が肌に張り付いて不快。


「リン……リン……」


 ミオはリンの名前を繰り返した。でも返事はない。


 暗闇が、ミオを押しつぶしそうになる。


 寒い。リンのあったかさがない。リンの匂いがない。リンの声がない。


 一人だ。


 ミオは目を閉じた。


 でも、心臓が打っている。


 リンを探さないと。


 リンを守らないと。


 それだけは、ミオが決めたこと。


 唯一の、自分で決めたこと。


 ミオは目を開けた。でも体が動かない。足が竦む。


 どっちに行けばいいのかわからない。


 何をすればいいのかわからない。


   *


 ミオは松明を持ったまま、壁に背中をつけて座っていた。


 時間の感覚がない。どれくらい経ったのかわからない。


 でも、このままじゃだめだ。


 リンを探さないと。


 でもどうやって。


 ミオは周囲を見た。通路が二つある。どっちに行けばいい。


 わからない。


 リンなら、わかる。リンなら、すぐに判断できる。


 でもリンがいない。


 ミオは深く息を吸った。肺の奥まで空気が入っていく。でもすぐに吐き出す。また吸う。また吐く。


 呼吸を整える。


 リンを守る。


 それだけは、ミオが決めた。


 だったら、動かないと。


 ミオは立ち上がった。足が震える。でも踏ん張る。


「リンを探す。ミオが、探す」


 声に出した。自分の声が、震えている。でも声に出す。


「こわい。でも、動く」


 ミオは一歩踏み出した。足が重い。でも動く。


 二歩目。三歩目。


 右の通路を選んだ。理由はない。ただ、何となく。


 考えるな、と言われてきた。


 でも今は、考えないと。


 リンを探すには、考えないと。


 ミオは松明を掲げて、通路を進んだ。足音が石床に響く。一歩ごとに、恐怖が押し寄せる。でも止まらない。


 リンを守る。


 それだけを考えて、前に進む。


 通路が続く。曲がる。また続く。


 どこまで行けばいいのかわからない。でも進む。


 その時、前方から気配を感じた。


 ミオは立ち止まった。松明の光が、何かを照らす。


 魔物だ。


 人の背丈ほどの蜘蛛。八つの脚が石床を叩いている。


 ミオは剣を構えた。手が震える。でも握る。


 リンがいたら、指示してくれる。


「まず右から」「距離を取って」「一度に相手にしないで」


 リンの声が、頭の中で響く。


 でもリンがいない。


 ミオは自分で判断しないと。


 どうすればいい。


 蜘蛛が近づいてくる。


 ミオは剣を握り直した。震えが止まらない。でも動く。


 前に踏み出す。剣を振る。


 蜘蛛の脚を斬る。緑色の体液が飛び散る。


 でも浅い。致命傷じゃない。


 蜘蛛が反撃する。脚がミオに向かってくる。


 ミオは横に跳んだ。脚が空を切る。


 もう一度剣を振る。今度は深く。蜘蛛の頭を斬る。


 蜘蛛が倒れた。動かない。


 ミオは呼吸を整えた。心臓がうるさい。全身が震えている。


 でも、倒せた。


 一人で、倒せた。


 リンがいなくても、倒せた。


 ミオは前に進んだ。


   *


 リンは壁に背中をつけて座り込んでいた。


 暗い。松明の光が弱い。でもぼんやりと見える。


 狭い空間。壁に囲まれている。上を見上げる。崩れた床の跡が見える。高い。戻れない。


 ミオがいない。


 リンの心臓が、強く打っている。


 呼吸が浅い。肺が縮んだみたい。うまく空気が吸えない。


 手が震える。握ろうとしても、握れない。爪が掌に食い込む。でも握れない。


 視界が狭くなる。周辺が暗い。心臓の音だけがうるさい。


 リンの頭の中で、声が響いた。


 マルコの声。


「——お前は生きろ」


 違う。今は違う。


 でも声が止まらない。


 暗いダンジョンの中。松明の光が、壁に影を作っている。


 リンは指示を出している。


「左に2体、右に1体。まず右から」


 計画通り。完璧だ。


 でも、崩れた。


 増援。退路が塞がれる。


 一人が倒れる。また一人。また一人。


 マルコがリンを庇う。背中が裂ける。血の匂い。鉄の匂い。舌の上にも広がるような、あの匂い。


「大丈夫だって言ったのに……」


 マルコの声が遠くなる。


 暗闇の中、一人で這って逃げる。


 また失敗した。また誰かを死なせた。


 私の判断が間違っていた。


 私が動けなかったから。


 私が——


「——っ」


 リンは頭を振った。


 過呼吸気味になる。視界がぼやける。耳鳴りがする。


 違う、違う、これは今じゃない。


 でも体が震える。止まらない。


 また失敗した。


 ミオを失った。


 また一人になった。


 私が動かなかったから。


 私が判断を間違えたから。


「だめ、だめだめだめ……」


 リンの声が、震えた。


 涙が出そうになる。こらえようとしても、目頭が熱い。


 でも、泣けない。泣いてる場合じゃない。


 リンは深く息を吸った。肺の奥まで空気が入っていく。でもすぐに吐き出す。また吸う。また吐く。


 呼吸を整える。


 でも今回は、違う。


 ミオはまだ生きている。


 はず。


 きっと。


 生きてる。


 リンは立ち上がった。足がふらつく。壁に手をついて支える。冷たい石の感触。


「ミオを探す」


 声に出した。自分の声が、震えている。でも声に出す。


「私が動く。私が探す」


 でも足が進まない。


 また失敗したら。


 また判断を間違えたら。


 ミオが死んだら。


 リンの足が、竦んだ。


 でも、ミオを見捨てられない。


 ミオがいないと、私は何もできない。


 ミオがいないと、私の存在意義がない。


 リンは一歩踏み出した。足が震える。でも踏ん張る。


 二歩目。三歩目。


 前に進む。


 通路がある。暗い。でも進む。


 松明を拾う。火をつける。光が広がる。


 リンは魔力を感じ取った。魔物の気配。近い。


 リンは魔法を集中した。でも手が震える。魔力が集まらない。使いすぎた。限界が近い。


 でも、やるしかない。


 リンは魔力を絞り出した。魔法弾を作る。小さい。でも撃てる。


 前方から、魔物が現れた。小型の獣。牙を剥いている。


 リンは魔法弾を放った。獣に当たる。爆発。獣が倒れる。


 リンは呼吸を整えた。心臓がうるさい。全身が震えている。


 でも、倒せた。


 一人で、倒せた。


 ミオがいなくても、倒せた。


 リンは前に進んだ。


   *


 ミオは通路を進んでいた。


 魔物を何体か倒した。傷が増えている。肩に爪痕。腕に切り傷。熱い。まず熱さが来て、遅れて鋭い痛みが走る。


 でも動ける。


 リンを探さないと。


 ミオは松明を掲げて、前に進む。


 通路が続く。曲がる。また続く。


 どこまで行けばいいのかわからない。でも進む。


 リンの声が欲しい。リンの指示が欲しい。


 でもリンがいない。


 ミオは自分で考えて、自分で判断して、前に進むしかない。


 それが怖い。


 でも、リンを守るため。


 リンを探すため。


 ミオは歩き続けた。


   *


 リンは通路を進んでいた。


 魔物を何体か倒した。魔力を使いすぎた。頭がぼんやりする。甘いものが欲しい。でも何もない。


 でも動ける。


 ミオを探さないと。


 リンは松明を掲げて、前に進む。


 魔力感知を使う。ミオの気配を探す。でも感じない。魔物の気配だけ。


 リンは歩き続けた。


 過去のフラッシュバックが、何度も蘇る。でも振り払う。


 今は違う。


 今は、私が動く。


 リンは前を向いた。


   *


 ミオは立ち止まった。


 前方の通路が、開けた場所に続いている。


 何かある。


 ミオは慎重に進んだ。


 広い空間に出た。天井が高い。壁に古い彫刻が刻まれている。


 ミオは周囲を見た。


 通路が複数ある。どこから来たのか、もうわからない。


 どっちに行けばいい。


 ミオは考えた。


 リンなら、どうする。


 リンなら、魔力感知で探す。


 でもミオにはそれができない。


 ミオは松明を掲げた。光が広がる。


 通路を一つずつ見る。


 どれも同じに見える。


 わからない。


 ミオは目を閉じた。


 リンの匂いを思い出す。本と、ちょっと埃っぽい匂い。


 リンの声を思い出す。冷たいけど、優しい声。


 リンの体温を思い出す。小さくて冷たい手。でも握り返してくる力は強い。


 ミオは目を開けた。


 右の通路を選んだ。理由はない。ただ、何となく。


 でも、不思議と。


 リンもこっちに来てる気がする。


 根拠はない。ただの勘。でも、そう思った。


 ミオは歩き出した。


   *


 リンは立ち止まった。


 前方の通路が、開けた場所に続いている。


 リンは慎重に進んだ。


 広い空間に出た。天井が高い。壁に古い彫刻が刻まれている。


 リンは魔力を感じ取った。魔物の気配。でもミオの気配は感じない。


 でも、諦めない。


 リンは通路を選んだ。左の通路。魔力の流れが、そちらに向かっている気がする。


 リンは歩き出した。


   *


 二人は、それぞれの通路を進んでいた。


 暗闇の中、一人で。


 手が震える。呼吸が浅い。全身が痛い。


 でも止まらない。


 リンはミオを探している。


 ミオはリンを探している。


 お互いの名前を呼ぶ。


「ミオ……」


「リン……」


 でも声は届かない。闇に消える。


 二人は、同じ方向に進んでいる。


 でも、まだ会えない。


 暗闇が、二人を隔てている。


 それでも、二人は歩き続けた。


 震えながら。


 恐怖に押しつぶされそうになりながら。


 それでも、相手を探して。


 一人で、歩き続けた。


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