6.お飾り妻は誘いを断った
一日を終えたラフィーナは、ベッドの上でくつろいでいた。
馬小屋の事件があったおかげで、今日はいつもより仕事の量が少なかった。メイドたちの噂話を聞くに、発言を疑われたリリアがすねて部屋から出てこないのだとか。ジャンはその対応に追われ、ラフィーナのところに仕事を持ってくる暇がないのだろう。
とはいえ溜まった仕事はいつかラフィーナの手元に持ち込まれるのだから、今日、暇なことが良いこととは限らないのだが。
『ラフィーナ、今日はここで寝ていいのか?』
ベッドの上で声を弾ませながら、ギドが尋ねてきた。
「ええ、しばらくは一緒に寝ましょう。あんなことがあったから、誰かが馬小屋を調べにくるかもしれないわ」
『ひゃっほー!』
ギドははしゃいで、広いベッドの上をごろごろと転げ回った。猫みたいで微笑ましい。
「ねぇギド。竜人ってどんな暮らしをしているの?」
『基本的には、人間とそんなに変わらない。木や煉瓦で作られた家に住んで、椅子に座って食事をして、夜はベッドで寝る』
興味本位でした質問だったが、ギドの答えはラフィーナの予想とは少し違っていた。ギドがずっとドラゴンの姿でいるものだから、てっきり獣に近い暮らし方をしているかと思っていたのだ。
そうとわかると、ギドを馬小屋に寝かせていたことが申し訳なくなってきて、ラフィーナは上目遣いで尋ねた。
「……もしかして、ギドはずっとベッドで寝たかった? 馬小屋の寝わらじゃなくて」
ギドはきょとんとした顔をして、すぐに噴き出した。
『そんなこと気にしなくていい。俺たちはどっちの生活でも構わないんだ。俺は、人の姿のときはパンや焼いた肉を食べるけど、ドラゴンの姿で狩りに出たときは生肉を食べる。どっちが普通とか、どっちは大変とか、そういうのはない』
「ふぅん……そういうものなの……」
『でも個体によって人に近いとか、ドラゴンに近いとか、そういうのはあるかもな。滅多にドラゴンの姿にならない奴もいるし、かと思えば1日の大半をドラゴンの姿で飛び回っているような奴もいるし』
「ギドはどっちなの?」
『どっち……かなぁ……? 半分ずつくらい?』
ギドは 竜人の生き方や暮らし方についてたくさんのことを話してくれた。
竜人は卵から産まれ、産まれた直後はドラゴンの姿をしているだとか。物心がついた頃に人との姿になることを覚え、少しずつ人らしい生活にい声していくだとか。でもたまに成長しても人の姿になれない者もいて、そういうドラゴンは竜喚の巫の祈祷を受ける必要があるのだとか。
竜人に関する話を聞くことは、ラフィーナにとっておとぎ話を聞いているかのようだった。この世界のどこかに、自分とは異なった暮らし方をする種族が存在しているのだと想像すれば心が躍った。
いよいよ眠気が押し寄せてきたので、ラフィーナは寝支度を済ませて毛布に潜りこんだ。枕元には猫のように身体を丸めたギドの姿がある。毛布はいらないかと尋ねたけれど、鱗が引っかかるからいらないと断られてしまった。
ラフィーナがうとうとと微睡み始めたとき、耳元でギドの声が聞こえた。
『ラフィーナ。俺、ずっと考えてたんだけど』
「……なぁに?」
『傷が癒えたら、俺と一緒にこの国を出よう。このままここにいても、ラフィーナは苦しむだけだ』
「……え」
思いもよらない誘いだったので、ラフィーナは目を丸くした。ギドと一緒にこの国を離れるだなんて、そんなことは考えもしなかった。
思わずギドの顔を見つめれば、黒々とした瞳がラフィーナを見返した。
『ラフィーナ一人くらい、背中に乗せて飛んでいける。大変な旅にはなるけれど、竜人の国に着けばそこで一緒に暮らせる。絶対に不幸な目には遭わせない。俺が、死ぬまでラフィーナのことを守ってやる』
ギドの声は力強く、ラフィーナは涙が出そうになった。守ってやる、そんな言葉は今までに一度もかけられたことがなかった。
(こんな惨めな暮らしは捨てて、ギドと一緒に行きたい。でも――)
ラフィーナは唇を噛んだ。ギドの誘いは救いのようにも思われたが、簡単には受け入れられない理由があった。
その理由とは、ラフィーナの両親であるエニス夫妻の事だ。
ラフィーナとジャンの結婚が決まったとき、カールトン家はエニス家への継続的な資金援助を約束した。エニス夫妻はそのことを大層喜んだ。
男爵家であるエニス家は、貴族の家でありながらあまり裕福な生活はできていなかった。食うに困ることはないが、大きな出費には気を遣っていた、というところだろうか。
カールトン家から援助を受けられているおかげで、今、エニス夫妻は貴族の名にふさわしい生活を送ることができている。資金が潤沢にあるため、新たに始めた事業も順調だと聞いている。
だからラフィーナは、カールトン家で奴隷のような扱いを受けていることを言い出せずにいる。もしも離婚などという話になれば、カールトン家からの資金援助は打ち切られるだろう。そうなれば新たに始めた事業は頓挫し、エニス夫妻は貧乏貴族に逆戻りだ。
今になって考えてみれば、ジャンはそうしたエニス家の財政事情を知った上で、ラフィーナを結婚相手に選んだのだろう。
資金援助はラフィーナをカールトン家に縛りつけておくために鎖。使い勝手のいいお飾り妻がいれば、自分はずっと愛人と遊んでいられるから。
『ラフィーナ。なぁ、俺と一緒に行こう』
ギドに催促されて、ラフィーナははっと我に返った。
「……ごめんなさい。とても嬉しい提案だけど、私は行けないわ」
『なぜ?』
「私がいなくなると困る人たちがいるの。だから私は、苦しくてもずっとここにいる……」
『ラフィーナ……』
ギドは困ったような顔をした。
ラフィーナは無理をして笑い、首にかけていた真珠のネックレスをギドの首にかけた。小さい頃に母親が買ってくれて、ずっと大切にしている物だ。
「大人になるためには、人間の物を一つ持ち帰らなければならないんでしょう? これをあげる。だから国に帰っても、私のこと忘れないでね」
ギドは、使い込まれて輝きを失くした真珠のネックレスを見つめた。何かを言いたげにのどを鳴らすが、それ以上は何も言わなかった。
「おやすみ、ギド」
静かに夜は更けていく。




