4.お飾り妻は愛人を撃退した
ギドの存在は、ラフィーナにとって日々の心の支えとなった。仕事の合間を見つけ、馬小屋をおとずれ他愛のない話をする。朝ご飯や昼ご飯を一緒に食べることもある。
そんな日々が何日か続いた。
「ギドはどこからやってきたの?」
『ずっとずっと東にある竜人の国だ』
「そこではたくさんの竜人が暮らしているの?」
『そうだ。俺の国では、人間の国を訪れることが大人への通過儀礼なんだ。とても遠いところにあるからな。三日三晩休まずに飛び続け、人間の国で人間の物を一つ手に入れて帰る。それで大人の仲間入りだ』
ラフィーナはふんふんとうなずきながらギドの説明を聞いていたが、ふと違和感を覚えた。
目の前にいるギドの身体はとても小さい。数日前に見た人間の姿も、まだ小さな子どもだった。大人への通過儀礼を経験するには早すぎるのではないだろうか。
「ギドは……今、何歳なの?」
婉曲的な尋ね方をしたつもりだったが、ギドはラフィーナの疑問を敏感に察知したようだ。黒々とした目元をつり上げた。
『あ! 俺がこんなに小さいから、まだ子どもだと思ってるんだろ! こう見えてもラフィーナよりはずっと年上なんだからな』
「……そうなの?」
『人間の国を訪れるためには、100歳を超えることが一つの条件なんだ。あとは標岩より身体が大きくなることとか、1日以上休まずに飛び続けられることとか、いくつか条件はあるけど』
「へぇ……」
『ちなみに勘違いしてもらっちゃ困るけど、この姿は俺の本当の姿ではないからな!』
「え?」
ラフィーナは目をまたたいた。
ギドは胸を張った。
『本当の姿は、もっとずっと大きいんだ。怪我が治ったら、ラフィーナに本当の姿を見せてやる』
「怪我って、鱗が剥がれていた怪我のこと? そんなに酷い状態なの?」
ラフィーナは不安になってギドの身体を眺めた。
この馬小屋へと連れてきた当初、ギドの身体のあちこちには痛々しい傷があった。数日が経った今、それらの傷はすっかり良くなっているように見えたのだが。
ギドは笑いながら首を横に振った。
『違う違う、あんな傷はとっくに治ったさ。空を飛ぶうちに、雷に打たれて内臓が焼けちゃったんだ。死ぬような怪我じゃなかったけど、身体の内側の傷は治りが遅くてさ』
そういえばあの日は雨が降っていた、とラフィーナは思い出した。
「ドラゴンって雷に打たれても生きてるのね……」
『打たれた直後は死んだかと思ったけどな。竜人は大きな傷を負うと、身体を小さくして生命力の消費を抑えるんだ。そういうとき、普通はすぐ地面に下りて怪我の回復に専念するんだけど、あのときは下りる場所を見つけられなかったんだ。理して空を飛んでたら、大きな鷹に襲われてひどい目にあった』
「……そういう事情だったのね」
ギドの傷がまだ完全には回復していない、ということを聞いて少し安心した。
傷が完治すれば、ギドは竜人の国へと帰ってしまう。そうすればまたラフィーナはひとりぼっちになってしまう。
こうしてギドと話をすることが、ラフィーナにとってかけがえのない時間となっていた。
(でも、ずっとここにいてほしいなんて言えないわ。ギドには帰るべき場所があるんだもの……)
ラフィーナが肩を落としたそのとき、馬小屋の扉がきぃ、と音を立てた。誰かが馬小屋に入ってきたのだ。
ラフィーナは慌ててギドを背中に隠した。屋敷の住人にギドの姿を見られては大騒ぎになってしまうと思ったからだ。
馬丁が馬の世話をするためにやってきたのかと思えば、違った。扉を背にして立っていたのは予想外の人物だった。
「……リリア様?」
馬小屋に入ってきた人物はリリアだった。華奢な身体に愛らしいドレスをまとわせたリリアは、ラフィーナを見るとふ、と鼻を鳴らした。
「姿を見かけないと思ったら、こんなところに隠れていたの。早く今日の分の仕事を終わらせないと、またジャン様に怒られてしまうわよ?」
リリアは嫌味たらしい微笑を浮かべながら、ラフィーナの方へと近づいてくる。ラフィーナは「それ以上近づかないで」と叫びたかった。あまりそばに寄られては、背中に隠したギドの存在に気付かれてしまうから。
「それとも、今日からここに住むように言われたのかしら? 家畜以下の扱いを受けているあんたのことだものね。屋敷の中で暮らすより、馬小屋で暮らしている方がお似合いだわ」
(お願いだから、それ以上こっちへこないで……)
馬鹿にされていることよりも、ギドが見つかってしまうことの方が気にかかって仕方なかった。
ただでさえラフィーナを目の敵にしているリリアのことだ。ドラゴンを匿っていると知られたら、面倒なことになるのは目に見えていた。
「ちょっとあんた、何とか言ったらどうなの――」
流暢にラフィーナを罵倒していたリリアが、唐突に押し黙った。ラフィーナの背後を食い入るように見つめ、全身を硬直させたかと思うと、愛らしい容姿からは想像もできない壮絶な悲鳴をあげた。
「ぎゃあああああああっ!!!」
暗闇に恐ろしい化け物を見たかのような、恐怖に引きつった悲鳴だった。リリアはパニック状態で馬小屋から出ようとし、そのままの勢いで扉に衝突した。なおも足を止めることなく、鼻血を流しながら屋敷の方へと走り去っていく。
ラフィーナはぽかんと口を開けて、遠ざかっていくリリアの背中を見つめていた。
「突然、どうしたのかしら。ねぇギド――」
同意を求めようとして振り返り、ラフィーナもまた驚きに飛び上がった。
ラフィーナの背後には巨大なドラゴンが寝そべっていた。黒々とした鱗は一枚一枚がラフィーナの手のひらほども大きく、尖った角先はラフィーナの頭上を遥かに超える。丸太のような手足の先には金色の爪がギラギラと生えそろい、口蓋に除く牙のするどく恐ろしげなこと。
折りたたんだ左右の翼を力いっぱいはためかせれば、木製の馬小屋など紙のように吹き飛ばされてしまいそうだ。
「ギド、なの?」
ラフィーナが震える声で尋ねると、巨大なドラゴンはするすると身体を縮ませた。氷でできたドラゴンの彫刻が、急速に溶けて小さくなっていくようだった。
数秒経つ頃にはそこに巨大なドラゴンの姿はなく、見慣れた小さなドラゴンがちょこんと座っていた。
『ふぅー……やっぱりまだ、元の姿に戻るのはしんどいな』
ラフィーナは恐る恐る尋ねた。
「さっきのがギドの本当の姿なの?」
『傷が癒えたらもう少し大きくなれる。ここは天井が低いから、今くらいの大きさでちょうどよかったかもな』
ギドはにんまりと笑った。それから急に態度を改めて尋ねてきた。
『さっきのあいつ、ラフィーナのことが嫌いなのか?』
「……そうね。嫌いだと思うわ」
『なぜ? ラフィーナはこんなに綺麗なのに』
「きっ……」
唐突に褒められれば、相手がドラゴンとはいえ赤面してしまった。
ラフィーなの容姿はお世辞にも美しいとはいいがたい。ギドと会話することが日々の癒やしになっているとはいえ、ジャンから押しつけられる大量の仕事がなくなることはない。目の下の隈は消えず、髪も肌も荒れ放題だ。
それでも、ギドが綺麗だと言ってくれたことは純粋に嬉しかった。きっと竜人には竜人なりの美しさの基準があるのだろうから。まだぽっぽと火照る顔を背けながら、平静を装って説明した。
「リリア様は、私の結婚相手のジャン様のことが好きなのよ。だから、恋敵である私のことは嫌いなの」
『けっこんあいて……って番のことか?』
「そうね。多分、そういうことだと思うわ」
ギドは首をひねって考えこんだ。
『ラフィーナは、そのジャンって奴のことが好きなのか?』
「全然、好きじゃないわ」
『好きでもない奴と、どうして番になったんだ?』
「ええと……」
ラフィーナは言葉に詰まってしまった。ギドには、ラフィーナの身の回りの事情を何も説明していない。お飾り妻としてカールトン家に嫁いできたことも、書類上の夫であるジャンに辺境伯としての仕事を片端から押しつけられていることも。
ギドが番という言葉を使ったことから推測するに、竜人の常識は人間とは違う。間の世界の結婚事情を説明するのは骨が折れそうだ。
ラフィーナは言葉を選びながらゆっくりと説明した。
「ジャン様とリリア様は愛し合っているのだけど、事情があって番にはなれないの。だからジャン様は私に番のフリをさせていて、リリア様はそのことが面白くないのよ。私が本物の番になれれば幸せなのに、と思っているんだわ」
『ふーん……じゃあラフィーナは、ジャンって奴の番ではないんだな? 番のフリをしているだけで』
「そう、そういうこと」
『ふーん……』
ギドは黒々として目をまたたかせ、考え込んだ。
そのとき、馬小屋の外から数人の足音が聞こえてきた。リリアが屋敷の人々を呼んできたのだとすぐにわかった。ラフィーナは大急ぎで、ギドをスカートの中に隠した。
『わ』
「ごめんね、少しだけ隠れていて」




